剪定作業@神戸東灘区 コロナウイルスから学ぶ事 気付く事と変わる事 自分軸 植物の命



神戸市東灘区の現場です。

定期的に毎年お伺いさせて頂いて、お手入れをさせて頂いています。
いつもありがとうございます。

ここ最近の記事は作業とはあまり関係の無い事を書いているような気がしますが、もう時代は動き始めていますし、大変な変化の中、今自分に出来る事を模索しつつ、今回も思うがままに綴っていこうと思います。

写真は混植の生垣です。コニファーの中に半蔓性の花木(名前を忘れました)が植えられていて、その凸凹感がとても良いのですが、通りに面しているため、一応揃えて剪定します。
単一の植物で植えられた生垣よりもいろいろな種類で混植された生垣の方が個人的には好みです。
見ていて面白いですし、常緑と落葉が混ざっていたりすると季節により、とても変化のあるものになります。花が咲くものがあれば尚更です。
「多様性」生垣にもこの面白さは当てはまると思います。



揃えて刈り込んでもボコボコしてますね。新芽が出てくるとさらに面白い表情になり、道行く人も見ていて楽しいのではないかと思います。

物事には「こうでなければならない」という事柄は本当に「存在しない」のだと最近はさらに強く思います。
それは「どんな事柄においても」です。「正しさ」や「正義」はそれを言い始めると摩擦を生み、そもそも何が正しくて何が間違いであるのか、その基準さえも不確かなものであると思います。
自分のこういう記事も、自分が「正しい」と言う主張をしている訳ではありません。
ただ「こう思う」という意見を述べているだけです。
それはある人には共感され、ある人には拒絶される事柄だと思っています。
それで構わないと思います。
人はそれぞれ、だと思いますので。
戦争や環境問題、社会の理不尽さ、経済の理不尽さなども「悪い事」と定義してしまうのは簡単だと思いますが、そこから学ぶことが必要だからあえて「問題」として生まれてくると捉える事もできます。
その問題が無ければわからなかった事柄も沢山あると思います。
実は今まで人類が苦しんできた事柄は全て「学び」として必要だったのではないでしょうか。



今、人類の新たな苦しみはコロナウイルスかと思います。
とても現実のものとは思えない大事で深刻な被害が出ています。
悲しくて悲惨な状況も世界では起こっていて、それ自体はとてもネガティブな事柄だと思います。

歴史的にもウイルスや疫病による被害は度々人類を苦しめて来たようです。

しかし「物事には良い面と悪い面がある」と言います。
何かとても当たり前の事の様な気がします。

何故今、世界でこの異常事態が巻き起こっているのでしょうか?
国境や街は封鎖され、経済も止まりかけています。
人間がこれまで続けてきた当たり前の日常が当たり前では無くなって来ています。
経済が立ち行かなくなると、人間にとっては「死活問題」です。
普通に考えてみれば。



では普通では無い思考で考えてみましょう。

ふと空を見ると、春の陽気の中、鳥たちがとても気持ち良さそうに鳴いています。
虫も動き始め、猫も呑気に歩き回っています。
桜も咲き始め、木々の新緑も芽を出し、草の新芽も伸びて来て、緑が生き生きと息づき始めました。
彼らは皆「生き物」ですが、何も困ってはいません。
彼らは自然があれば生きて行けます。

人間はどうでしょうか。
「経済」というものが生まれたのは人類の歴史から見れば「ごく最近」の事柄です。
それまでは電気もガスも水道も無い時代を延々と生きて来ました。
日本には「湧き水」が豊富にあり、地下水も豊富にあります。
環境汚染さえ無ければ、それらは「長寿の水」や「旅人の水」「若返りの水」と名付けられる水もあるほど身体に優しく、癒しの効果もあるものです。
そして植物性の油で火を灯し、薪で煮炊きをする。
焚き火の赤い火はガスの青い火と違い、遠赤外線効果でご飯を美味しく炊き、お風呂では身体を真から温め、癒しの湯になります。
元々暖かな暖流に囲まれた日本は豊かな降雨量のおかげで山が多くの実りをもたらし、山が豊かな分、川も海も豊かです。
山菜や木の実、薬草は自然の中にいくらでも育ち、破壊的な開発や環境汚染さえ無ければ、それらの恵みを充分に得られると思います。

最近、知人に教えてもらった面白い記事の中にウイルスについて書かれたものがありました。
長い記事ですので要点だけお伝えすると、ウイルスというものはとても単純な構造の「非生物」で、コロナウイルスも自然界にいる無数の細菌やウイルスの中では自然淘汰や土などへの吸着によって死滅してしまう微弱な存在なのだそうです。
生き残れる環境はコンクリートやプラスチックなどの他の菌類やウイルスがいなくてツルッとした場所。ぎゅうぎゅう詰めの家畜小屋などらしいです。
人間に感染したウイルスは都会の環境でその勢力を増すのは当然の事の様です。
自然界のシステムは常に生物全体のバランスを保つ機能があると思います。
都市部の庭で毛虫が大量に発生するのもこのバランスが人工的に狂わされた結果だと思います。
これと同じ事が今、ウイルスという形で人間社会にもたらされているのだと感じます。
不必要な開発を止め、森や林を残し、川を生き返らせ、土を踏んで歩く環境に戻し、自然界の環境を蘇らせる事ができれば、この驚異的なウイルスも、これほどの脅威では無くなるのかも知れません。
今回のコロナが収束しても、ウイルスも変化をし、今後も様々な形態で人類の脅威となると思います。
その度に毛虫を殺虫剤で殺す様な方法で対処しても、それは根本的な解決にはならないと思います。

人間は今「本当に何をするべきなのか」を真剣に考えなくてはいけない時に来ていると思います。
自然との共生や生態系維持は専門家の方々が常に警鐘を鳴らしている事柄です。
自分たちは目の前に脅威が迫って、初めてその重大さに気付くものです。
自分たちのやった事は、自分たちの大切な人たちをも巻き込んで、脅威となって目の前に現れます。
その事に気付く時だと思います。もしも今、それに気づけないで、何も変わらないのであれば、人類は大きな損失と共にそれを学ぶ事になるかも知れません。



人はこの短かった経済社会で環境を自分達の都合だけで好きなように扱って来ました。
多くの「種」を絶滅させ、生態系を破壊し、その機能を維持するのが不可能な状態へと向かわせて来ました。
「害虫」「雑草」「雑木」は人間が自分達がこの星の支配者だと自負する言葉だと感じます。
人間は自分たち以外の生き物に対して、そう思っているのです。
本当に人間は自然(地球)の支配者なのでしょうか?

そして、今回のこのウイルスの問題は、その事と嫌でも向き合わなくてはいけない事になってくるのでは無いでしょうか?

日常が日常でなくなり、経済が崩壊すると「生きる」というシンプルな問題と直面する事になります。
自然のシステムは、自然を生かして大切にした分、そこからの恩恵を得ることができるという誰にでもわかるとてもシンプルな事柄です。
「競争」や「争い」はその概念を持っている以上、自然界では生きて行く事自体が不可能です。
自然は共生であり、競争しません。本能はそれを知っているのだと思います。
人間社会も大変な社会状況になればなるほど、共生しなければ生きていけなくなると思います。
これは綺麗事でも絵空事でもなく、リアルな事柄だと感じます。
何が人間を生かしているのか。
それ以前に「生かされている」と思えるかどうか。



「生まれ方」と「死に方」は選べない、とどこかで見聞きした記憶があります。
違う見方をすれば、どちらも「自分で選んでいる」という見方もありますが、通常の意識では生まれ方も死に方も選べない、という事になります。

何のために生まれ、何故生かされ、何故死ぬのか。
それにはおそらく、個人個人の深い理由があるのだと思います。
全ては必然なのだとすれば、「理由無き生」など無いと思うからです。



もしも、自分の中でその答えが見つかり、自分の生きる理由がわかれば「生き方」も自ずと変わると思います。

今までのように、「お金を稼ぐために生きる」という人生も変わるかもしれません。
経済の崩壊は生きる理由を自分で決め、それをやるキッカケになると感じます。




コロナの事で、これからどうなるのか分からないという状況下にある中、自分の行動を自分で決めて動いている人はどれだけいるのでしょうか。
そしてこれから、いろいろな常識がその意味を失い、判断や選択を自分軸でしなければならない時、人間はプログラムがなくなったロボットのように「誰かの指示」を待っているだけの状態になってしまわないと言えるでしょうか。
おそらく、そういう状態がいちばん情報に左右され、自分を見失い、パニックになる状態だと思います。

既に人間は「二極化」の時代に入っていると改めて感じます。
「自分軸」で生きる人と「他人軸」で生きる人。
何のために生き、そのために何をするのか。それが自分ではっきりとわかっていないと、この危機的な状況と、これからやってくる変化の中、楽しく生きて行くのは難しい事になると感じます。

死に方はわかりませんし、死ぬ時期もわかりません。そういうのは運命的な問題ですので「生き残る」事が目的ではないと思います。
どう生きるのか。
生きる意味、喜び、幸せ。
お金の本質も、その価値はそれ(お金)を得る事ではなく、その先にあるものを体験するための原動力(エネルギー)なのだと思います。
体験に価値を置き、それに向かって行動していれば、それを支えるエネルギーは、その価値が自分に即したものであれば自然と集まってくるのだと思います。
自分軸を見失い、外の世界に振り回されていれば、エネルギーはどんどん使い果たされ、いずれは無くなるかも知れません。
それにエネルギーはお金だけでは無いとも思います。
自分軸を生き、他の存在(すべての命)を尊重し、行動する中で集まったエネルギーに感謝できれば、それはどんな環境であっても幸せを感じる生き方ではないでしょうか。



もちろん僕はまだまだですよ(笑)。
大口を叩いているだけで大いに落ち込んだり、外に振り回されたりしています。
そういう風に生きたいと努力はしていますが。
そういうのはずっと「まだまだ」の状態なのかも知れませんね。

しかし不謹慎かも知れませんが、この状況がとてもワクワクしているのも事実です。
「陰極まって陽に転じる」と言うように、まさに今、この状況なのではないかと思います。

様々な問題、争い、理不尽さ、抑圧。そんな全てがひっくり返るほどの変化がもうすぐそこに来ているような気がします。

どう生きるのか。
何を得たかではなく、何を与える事ができたのか。
この言葉を僕もずっと大切にしていきたいと思います。



それと最後にお庭の事。
大切に育てていたミモザの大木がいよいよ枯れ込んでしまいました。
大掛かりな処置はできませんでしたが、できる範囲でいろいろとやっていました、しかし傷みが止まらず一部の枝を残して最後の息吹の状態になりました。
植えてから20年との事。
ミモザは寿命が短く、20年から30年で命を終えます。
夏の暑さと都市部の環境も合い重なり、その寿命も早めてしまったのかも知れません。
最後の息吹を残して、安全のために枯れ枝は切り落としました。
大きな根っこでこの庭の環境を支えていたミモザです。
お施主様も、もう一度ミモザを植えたいと言いながら、まだ切り倒さずに最後まで大切に見守りますとの事。
僕も力が足りずに申し訳ないと思いました。
次回、お伺いした時に、まだ持ち堪えていてくれればと思いますが、大切に育ててもらえた事はミモザにとっても良かったと思います。
以前の記事で「植物の命はその地に宿り、それは別の種から大地に蘇る」ような気がする。と書かせて頂いたと思います。
これは本当に個人的な思いで、何の根拠もありません。
ただ動物の命と植物の命は何か「表裏」のような関係であると思うからです。
我々動物(特に人間)は環境を自ら選び創造し、変えて行く存在かと思います。
一方、植物は環境から出現して、それに合わせて自らを変化させ、そこに生まれ来る命を育む存在かと思います。

地球という環境には元々植物が内在的に存在し、それが地球そのものの命であるか、その重要な一部のように感じます。
動物はそこに着床する外的な存在。

そう思えば、自らの存在の一部(半分)である植物という存在をもっと大切にしてあげたいと思います。
少なくとも自分の庭(自分の環境)にある植物には、彼らが自分の一部であると思って接して頂ければ、その気持ちも伝わるのではないかと思います。
動物は環境に守られて生かされています。

この大変な時、激動の時代、その全てを何か自身の向上や学びに変える事ができれば、自分自身も生きる意味ややるべき事を見出せるのではないかと思っています。
きっと良い時代の変化になります。
そして願いは叶い続けていると思います。
今まさに願っている事。それが目の前の環境だと思います。






This is the site of Higashi Nada Ward, Kobe City.

I have regular visits every year and I am grooming.
I am always grateful for your help.

It seems that these recent articles are writing things that have nothing to do with work, but the times have already begun to move, and in the midst of great changes, while exploring what I can do now, I will write it as I like this time.

The picture is a hedge of mixed planting. A semi-vine flowering tree (forgot the name) is planted in the conifer, and the unevenness is very good, but because it faces the street, it is pruned for the time being.
I prefer hedges mixed in various types to hedges planted with a single plant.
It is interesting to see, and if evergreens and deciduous are mixed, it will change very much depending on the season. It is even more so if there is a flower that blooms.
I think this fun applies to the "diversity" hedge.



Even if you trim and align it, you're still bumpy. When sprout comes out, it becomes more interesting expression, and I think that it may be fun to see people on the way.

Recently, I think even more strongly that the "must do" thing is really "non-existent".
It is "in any matter." "Rightness" and "justice" create friction when you start to say it, and I think it's uncertain what the right and what is wrong in the first place.
These articles do not claim to be "right."
It just says, "I think this way."
I think it is something that some people sympathize with and others reject.
That's fine.
Because I think each person is.
I think that it is easy to define war, environmental issues, social unreasonability, and economic unreasonability as "bad", but if it is necessary to learn from it, it will be born as a "problem" You can also catch it.
I think there are a lot of things that we couldn't understand without that problem.
In fact, all the things that humanity has suffered so far may have been necessary as "learning".



Now, I think humanity's new suffering is coronavirus.
First of all, I would like to express my heartfelt sympathy to those who have died or have been affected by the coronavirus.
It is very important and serious damage that does not seem very real.
Sad and miserable situations are happening in the world, and I think that is a very negative thing in itself.

Historically, virus and plague damage has often plagued humankind.

But he says, "There are good and bad things."
I feel like something very natural.

Why is this anomaly happening in the world right now?
Borders and towns have been closed off, and the economy is about to stop.
The ordinary daily life that humans have continued so far is no longer the norm.
When the economy ceases to run, it is a matter of life and death for humans.
If you think about it normally.



Let's think with unusual thinking.

Suddenly, when I look at the sky, the birds are singing very pleasantly in the spring weather.
Insects have begun to move, and cats are walking around with care.
Cherry blossoms have begun to bloom, fresh green trees have sprout, and new shoots of grass have grown, and the green has begun to breathe lively.
They are all "creatures", but nothing is in trouble.
They can live if they have nature.

What about humans?
The birth of the "economy" is only "very recent" in human history.
Until then, we have lived endlessly without electricity, gas or water.
Japan has abundant "spring water" and abundant groundwater.
As long as there is no environmental pollution, they are so gentle and soothing that some of them are named "Longevity Water", "Travel Water" and "Rejuvenation Water".
Then light the fire with vegetable oil and cook with wood.
Unlike the blue fire of gas, the red fire of bonfire cooks rice deliciously by the effect of far-infrared rays, and in the bath, warms the body from the ground up and becomes a soothing hot water.
Japan, originally surrounded by warm warm currents, has abundant rainfall thanks to abundant rainfall, and the mountains are rich, so the rivers and the sea are rich.
Wild plants, nuts, and medicinal plants grow in nature, and as long as there is no destructive development or environmental pollution, I think that their benefits can be fully obtained.

Recently, an interesting article from an acquaintance told me about a virus.
Since it is a long article, let me just tell the gist, the virus is a `` non-living organism '' with a very simple structure, and the coronavirus is killed by natural selection and adsorption to soil among countless bacteria and viruses in nature. It seems that it is a weak entity that will be lost.
The surviving environment is a slick place free of other fungi and viruses such as concrete and plastic. It seems to be a livestock barn packed with crawls.
It is natural that viruses that infect humans will increase their power in urban environments.
I think that the natural system always has the function of keeping the balance of the whole organism.
I think that the large number of caterpillars in urban gardens is the result of this imbalance being artificially disrupted.
I feel that the same thing is now being brought to human society in the form of viruses.
Stopping unnecessary development, leaving forests and forests, revitalizing rivers, returning to walking on the soil, and restoring the natural environment, this phenomenal virus will no longer be this threat It may be.
Even if this corona converges, the virus will change, and I think it will continue to pose a threat to humankind in various forms.
I don't think that treating caterpillars with pesticides each time would be a fundamental solution.

I think humans are now when it is time to think seriously about what to do.
Symbiosis with nature and preservation of ecosystems are things that experts always sound.
We only realize the significance of the threat right before our eyes.
What they do, involving their loved ones, appears as a threat in front of them.
I think it's time to notice that. If we don't notice it now and nothing changes, humanity may learn it with great loss.



People have been treating the environment as they like at their own convenience in this short economic society.
It has exterminated many “species”, destroyed ecosystems, and brought them to a state where their function could not be maintained.
"Pests", "weeds" and "bushes" are words that humans are confident that they are the rulers of this star.
Humans think so for other creatures.
Is man really the ruler of nature (Earth)?

And isn't the problem of this virus this time you have to confront it even if you don't like it?

When our daily lives are no longer everyday and the economy collapses, we face the simple problem of living.
The system of nature is a very simple matter that anyone can understand that we can benefit from the value we take advantage of nature.
Since "competition" and "fighting" have the concept, living in nature is impossible.
Nature is symbiotic and does not compete. I think instinct knows that.
I think that the more severe social conditions we have in society, the more we can live without coexistence.
I feel this is not a beautiful thing or a picture thing, but a real thing.
What makes humans alive?
Before that, do you think you're being alive?



I remember seeing and hearing somewhere that "birth" and "death" cannot be chosen.
From a different point of view, there is a view that both are "chosen by myself", but with normal consciousness it is impossible to choose how to be born or die.

What are you born for, why you are alive, and why you die.
I think that's probably for a deep personal reason.
If everything is inevitable, I don't think there is no reason.



If you find the answer in yourself and understand why you live, your way of life will change naturally.

As before, the life of "living for money" may change.
I feel that the collapse of the economy is a reason to decide for yourself and to do it.




In a situation where you do not know what will happen in the future about Corona, how many people are moving with their own actions.
From now on, when various common senses lose their meaning and they have to make decisions and choices on their own axis, humans are just waiting for "someone's instructions" like a robot without a program Can you say that it does not happen?
Perhaps that situation is the most dependent on information, losing sight of yourself, and panic.

Already, humans feel once again that they will enter the era of “polarization”.
People who live on their own axis and people who live on another axis.
What do we live for and what do we do for it? If I do not know it clearly, I feel that it will be difficult to live happily in this crisis situation and the coming changes.

I don't know how to die, and I don't know when to die. That's a fateful problem, so I don't think the purpose is to survive.
How do you live?
Meaning of life, joy, happiness.
I think that the essence of money is not its value, but its value, it is the driving force (energy) to experience what is beyond it.
If you put value in the experience and act on it, the energy that supports it will naturally come together if the value is appropriate for you.
If you lose your axis and get swung away by the outside world, energy will be exhausted more and more, and eventually it may be gone.
And energy is not just money.
If you can live on your own axis, respect other beings (all lives), and appreciate the energy you have gathered in your actions, isn't that a way of life that makes you happy in any environment?



Of course I'm still far (laughs).
He is very depressed or swung outside just by hitting the big mouth.
I'm trying to live that way.
That kind of thing may be in a state of "still".

However, it may be unscrupulous, but it is true that this situation is very exciting.
As I say, "the cathode turns into the sun," I think this is the situation right now.

Various problems, strife, unreasonability, repression. It feels like a change that will turn everything over is coming soon.

How do you live?
What you could give, not what you got.
I want to keep this word important.



And finally the garden.
The large mimosa tree that had been carefully cultivated has finally withered.
I couldn't take any major steps, but I was doing as much as I could, but the pain didn't stop, leaving some branches and the last breath.
20 years after planting.
Mimosa has a short life span and lasts 20 to 30 years.
The summer heat combined with the urban environment may have shortened its lifespan.
Dead branches have been cut off for safety, leaving the last breath.
Mimosa that supported the environment of this garden with big roots.
The owner says he wants to plant mimosa again, but he will keep watching carefully until the end without cutting down yet.
I also felt sorry for lack of power.
The next time you visit, I hope you can still hold it, but I think it was good for Mimosa to have it cherished carefully.
In an earlier article, it feels like "The life of a plant dwells in the land, and it comes back to the earth from another species." I think that was written.
This is a truly personal thought, without any basis.
Just because the life of animals and the life of plants are something like a "front and back" relationship.
We, animals (especially humans), choose and create their own environments and change them.
Plants, on the other hand, emerge from the environment, change themselves in line with them, and suppose that they are the ones that nurture the lives born there.

Plants are inherently present in the environment of the earth, and it feels like a vital part of the life of the earth itself.
The animal is an external entity that gets there.

With that in mind, I want to value the existence of plants, which are part (half) of my existence.
I think at least the plants in your garden (your environment) will be transmitted if you think they are a part of you.
Animals are kept alive in the environment.

In this difficult time, in a turbulent era, if I can change all of this into something of my own improvement and learning, I think that I can find out the meaning of living and what to do.
It will be a change in the good times.
And I think that my wishes continue to come true.
What I just hope now. I think that is the environment in front of you.

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