本格的な日本庭園@姫路市 自然の意図と人間の意図



先の姫路市の記事の続きです。
早めに続きを書かないと、つい忘れてしまう事もありますので、早速ですが続けます。

庭仕事はやっていてとても楽しいです。
剪定や掃除は場の整理ですので、心の整理や佇まいを正す効果もあります。
綺麗になると気持ちもスッキリとして、自分自身も本当に心地良くなります。
掃除や片付けが精神的にもたらす効果はとても大きなものがあると実感します。
内(心)と外(環境)は確かに繋がっていて、外(環境)がもたらす心への作用はとても大きなものがあると感じます。

さて、そしてこちらの現場でも許可を頂いて剪定枝を木の根本に敷き込ませて頂きました。
ご理解頂ける事は、本当に有り難く、嬉しい事です。本当に感謝致します。
この事への理解は、できるようで簡単には出来ないものだと思います。
普通の方にとっては、おそらく今までの常識をひっくり返される様な事柄ですので、それを受け入れて頂けるという事は、受け入れるお施主様にとっても、とても思い切りが必要な事柄なのかもしれません。
それを考えると、受け入れる準備や心の余裕があるという事が「すごいな」と思います。


剪定枝を「ゴミ」と見るか「マルチング材」と見るか、その意識の持ち様で、同じものでもまるで違うものになります。
「ゴミ」という観念は社会や経済が変化し、「使い捨て」の近代文化ができてから生まれたごく近年の観念だと思います。
江戸時代のリサイクル文化では「ゴミ」という観念は無かったかもしれません。
着物にしても、何度もリサイクルされ、最後はボロの雑巾になり、燃やされて(綿や麻は植物ですので)煮炊きや暖房や照明の燃料となり、その灰は田畑の肥料や掃除に利用されました。
それは日本人の精神性でもあったのだと思います。

世界中を巻き込むこの「近代化」や「グローバリズム」は、様々な地域文明を消滅させ、文明の統一化を目指して進められて来ましたが、この事がもたらす弊害は重要な文化や精神性の損失に繋がっていると感じます。
「大切なものを失った」または「忘れてしまった」世界では、核廃棄物を含めた「ゴミ」が山のように廃棄され、環境を汚染し続けています。
そして私たち(一般市民)は、その事に気づき始めています。「何か大切なものを置き去りにしている」という感覚。

剪定枝のマルチングを受け入れて頂けるその想いの中には、そういう感覚があるのではないかと思います。

この剪定枝のマルチングについては別の記事で詳しく書いていますので、そちらを参考にして頂けたらと思います。



剪定枝のマルチングにしても、「自然の意図」で見れば、それは必然的な事柄です。
自然の中では木が落とした枯れ枝や枯れ葉は、誰も掃除などしません。
それらは人間のかわりに「分解者」である昆虫や微生物によって分解され、豊かな土となって、また植物に還元されます。
地面に落ちたそれらの枝葉は木や環境にとって「必要だから落ちる」様になっています。
生物的循環。
「人間の意図」を持ち込むという事は、それが「自然の意図」に即したものであれば問題ありませんが、「自然の意図」に反したものであれば、そこで自然の成り行きや循環を阻害するものとなってしまいます。
自然がつくりあげた「システム」は全てが「必然」で繋がり、無駄なものが一切ない(ゴミが一つも出ない)完璧な「システム」です。
そこに「人間の意図」を持ち込み「ゴミ」を生産する。
自分が庭仕事で何か「しこり」があると感じるのはこの事です。

現代の「環境づくり」の考え方は「人間の都合や快適さ」のみを追求し、消費を軸とした「企業や経済の都合」に合わせた環境づくりになっているように思います。
「企業」という経済の主役を社会の中心に据え、そこに依存する社会。
経済的な発展に価値を置く社会は、自然や環境に配慮する事もなく、自然から搾取するばかりです。
そこに「自然の意図」を汲み取った配慮を見つける事はとても難しい事だと思います。
自然に触れる事なく育った世代や地域の人は、この事でさえ理解するのが難しいのかもしれません。

「経済を優先させるのは当たり前」だと考えられています。
そしてそれは「そうしないと生きていけないという社会のシステム」が出来上がっている事に原因があると思います。
「仕事をしてお金を稼がないと生活ができない」というシステムは、近代文明がつくり出したシステムです。
「お金」という幻想を生み出し、それに価値を与え、それを皆んなで信じる事によってそのシステムは成り立っています。
「意図」は意識の中で生まれ、それを「創造」して行く。
このシステムも紛れもなく「人間の意図」がつくったシステムであり、それを受け入れている事で成り立っているシステムです。
しかし、それは「変えよう」と意図すれば変えられる事柄でもあると思います。「自分たちでつくったシステム」ですから。

しかし一方で、そんな中でも世界で見れば、若い世代の方々の中にも、環境についての意識の高い人たちも多くなって来ている様です。
積極的にアウトドアに出たり、旅をしたり、小さく暮らす選択をしたり。働き方も企業に依存する事なく多様な働き方になって来ています。
それはどちらかというと日本や東洋の文化だと思うのですが、世界的に今の時代はその「二極化」がとても顕著になってきている様に思います。
「衣食住」の生活全般に対して、既存の価値観に捉われずに自分の主張やライフスタイルを持ち、それを「生き方」として実践する。
数で言えば、まだまだ少ないかもしれませんが、これからはもっと多くなってくるのではないでしょうか。
その価値観は「お金」や「経済」を中心としたものではなく「精神性」を中心としたものだと感じます。
「何を自分の人生の中心に置くか」で、そのライフスタイルも一様では無くなります。
これからは「経済」だけが価値の中心では無くなり、様々な「価値観」や「多様性」が今まで以上に増えるのではないかと思います。
日本も少子高齢化が進み、海外からの労働者や移民が増えれば、その価値観を受け入れる事になると思います。
そして、それらがお互いに尊重し合いながら「共生」する事は「自然の意図」そのものだと思います。



「自然の多様性」は「違う種」「違う生きもの」どうしが共生する仕組みです。
そして、そこには「自然の意図」しか存在しません。
人間と違い、昆虫や動物は本能的な脳に従い本能的な活動をしています。それらの「本能」は「自然の意図」と密接な関連があるように思います。
「生きる」事と「子孫に情報を繋げる」事は生物の本能です。それは「生きものに備わった自然の意図」とも言えるのではないでしょうか。
一方、人間は大脳が発達し、その行動も観念や思考が大きな割合を占めています。
高度な社会をつくり、規則やルールを設けます。
少し話しが脱線しますが(もうしているかも・・・)その中でも日本は特に、とてもルールの多い国だと感じます。
一昨年だったかな? インド旅行から帰ってきた時はあまりの雰囲気の違いにしばしぼう然となりました。
何かとても窮屈そうな雰囲気が感じられたのです。
何か型にハマり、それを守り、気を遣い、個性を抑えている。そんな雰囲気です。
そして特に「暗黙のルール」というものは日本独特のものではないかと思います(正直、本当についていけません)。
「主張して意見を交わし合う」文化ではなく、「何も言わずに空気を読む文化」とでも言うのでしょうか。
自分は幼少の頃から、それに馴染めずにとても苦労した想いがあります。海外の文化に触れたりすると、そのあっけらかんとした主張や意見にホッとします。
思いっきり「自分を表現している」のです。タトゥーとかは普通の事に思えます。「あなたは、あなた、私は、私」違って当たり前。そして、それをお互いに尊重する。
日本ではタトゥーがあれば温泉に入れませんし、白い目で見られますよね。
人と違っていたり、主張が強いと、とにかく生きにくい国だと感じます。

インドは「皆んなと同じような感じでなければいけない」という日本人独特の価値観とは明らかに違っていました。
とっても気楽でした。スーツ姿のビジネスマンや白髪の仙人や白人のヒッピーやサリーを着たおばちゃん、Tシャツと短パンのオッサン、裸の子供、普通の旅行者、犬、猫、牛、猿、ニワトリ、ヤギ、羊なんかがごちゃ混ぜにひとっところ(例えば街の交差点とか)に同居しているのです。
そして大都会の幹線道路でも交差点に信号はありません。
動物と人間と車やバイクなどが、それぞれにタイミングをみて行き交います。
牛は信号なんて守らないのでそんな交通ルールも意味がないのでしょう。
「なんでもありか?」ってなりますが、それが事故を起こさずに上手く機能しているのが不思議であり、とても興味深かったです。


インドという国は世界の中でも一味違うのかもしれませんが、多様な国籍や人種が混在し、全く違う世界観や宗教観を持ち、その中で暮らす大陸の国の人々は、その考え方も日本人とは根本的に違うのかもしれません。
島国であるこの国(日本)は、外から見ると、とても小さくて、独特の雰囲気の国だと感じます。


「常識」は時代と共に変化します。 例えば、昔のトイレは和式のボットン式の便所でした。
江戸時代ではそれを回収して田畑に肥料として使い、糞尿は有料で買い取ってもらう仕組みでした。
それが、上下水道が整備され、田畑の肥料は薬品会社が作る「化学肥料」にとって変わり、お金を払って水を飲み、お金を払って排泄物を処理してもらうシステムになりました。そしてそれは「常識」として受け入れられています。
そこに「疑問」を持つことは滅多にしません。
しかし、その事をよく良く考えた時、「それで良かったのか?」という「疑問」も出てきます。
上下水道の整備は、便利さというメリットと引き換えに、地力(有機肥料分)の低下や経済的負担、化学物質(化学肥料や農薬)による土壌、河川、海洋の汚染、浄化水道水による健康被害(フッ素やカルキ(塩素)など)、井戸文化の消滅、それによる地下水の衰弱、それによる土砂災害や環境破壊、水道事業の独占や操作など、本来は安全で無料であるはずの「飲み水」というものが、誰かの支配独占の元、安全だと思い込まされて、有料で提供されるものとなっています。
しかも湧き水や井戸に比べて災害に弱いです。
よく考えると「管理」され、「支配」され「搾取」されているのに、そこに何も疑問を持つことはありません。

とにかく「価値観」や「常識」「ルール」というものは社会の変化によってその社会から提供され、それを何となく受け入れ、そしてそれは常に変化して行くものです。
国や地域によっても違います。
インドの道に当たり前に落ちている牛の糞は、日本では「ルール違反」になるのかもしれません。

自分の信じている「ルール」も、他の国や他の価値観から見れば、それが正しいとは言えない場合もあります。

「人間の意図」はその時代や社会の「常識」や「ルール」が反映されたものであり、それが本当に暮らしや環境に有益な事なのかは本当に疑問です。

「自然の水や土にはバイ菌が居るから汚い」という「常識」。

「では、それらを汚したものは何ですか? そして、どうして汚れるのですか?」


「疑問」さえ持たずに、それを受け入れる事は、とても危険な事かもしれません。
「この社会は何処に向かって進んでいるのだろうか?」と足元を見てみる事も大切な事のように思います。



「人間の意図がつくる環境」は「自然の意図がつくる環境」とはかけ離れている事を認識する必要があると思います。
テレビを見ないので良くは知りませんが、環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんという高校生の方は、マスコミからとても叩かれているみたいですね。
経済や政治や世の中のシステムに逆らう思想は、いつの時代でも大きな圧力によって迫害されて来ました。
グレタさんが本当はどんな人なのかは分かりませんが、まだ16歳の高校生の女の子が、もしも世界的な吊し上げに遇われているのであれば、彼女は「本物の活動家」なのではないでしょうか。
「環境活動」もビジネスになり得ます。
「エコ」もビジネスになり得ます。
そんな企業や人も沢山居ると思います。
しかし、自分の利益をかえりみずに「本物の主張」をし、その影響力が大きくなれば、それは必ず「標的」にされると思います。それが「本物の証」であるように感じます。
ガンジーもマンデラ大統領もジョンレノンも、本物の人たちは皆んな「大きな力」によって迫害されました。
この時代、このような大きな活動は、起こるべくして起こり、摩擦を生むのだと思います。



「人間の意図」が「自然の意図」と寄り添う時、それはガンジーが為し得た人権革命になり、ジョンレノンが為し得た意識革命になり、マンデラ大統領が為し得た人種革命になるのだと思います。

気候変動を伴う地下資源を主なエネルギーとして使う文明には「限り」があります。
自然環境を破壊し、生態系を傷つけ、自らの首を締めるシステムです。
その事をグレタさんも訴えているのだと思います。
「持続不可能」なものごとには、当然ながら必ず「終わる時」が来ます。

人間がそれを続けようとしても、「自然の意図」がそれを妨げるかもしれません。
それは「災害」であり「気候変動」であり「病原菌」であり「経済恐慌」かもしれません。
それも「自然の意図」と言えるのかもしれません。
何かが「終わる」のであれば、それは「必ず終わる」のです。



考えなければいけない事は「終わらせない」事ではなく「どう終わらせるのか」ではないでしょうか。
そして、その後「何をつくり上げていくのか」という事ではないでしょうか。
「今までの続き」ではなく、「社会」も「経済」も「環境」も、今までとは全く違う(あるいは真逆の)ものをつくる必要があると思います。

「自然の意図」に寄り添った社会。
多様性が尊重され、個人がその個性を発揮でき、
願った生活や人生を思い通りに生き、
豊かな自然と清潔な水と土と空気があり、
生活に必要なものは環境を破壊せずに、安全なまま全て無料で自然からまかなえ、
時間に縛られず、国や地域に縛られず、
自由が得られ、愛に溢れた社会。

そういう社会に暮らしたい!!
本当に心底そう思います。



本当に「何のブログだろう?」という感じですが、「意図」が沢山集まればそれは「大きな想い」として、とても大きな力を持つと思います。
「こうしたい」という「意図」は現実の環境をつくりだす「力」を持っています。
これは夢物語でもなんでもなく、「現実の事」で「今まさに起こっている事」だと思っています。

「私は現実の話しをしているのです」とここにしっかりと明記しておきます!
そして、この時代の変わり目に2つの「選択肢」がある事も事実です。
どちらを「選択」するのか?

本当に「真剣に考えなくてはいけない問題」だと思います。




この池の真ん中には丸い水溜りがあり、そこに大きなトノサマガエルが住んでいました。
作業をしていると「何事ですか?」というふうに様子を見ては、さっと隠れてしまう感じで、その姿は写真にはおさめられませんでした。
「主(ぬし)」と勝手に名前を付けて4日ほど通っている間、わりと仲良くやっていけたと思っています。
作業が終わり、静かになって、「ぬし」もホッとしている事でしょう。
今度行った時にも、また居たら良いのになと思います。







It is the continuation of the article of the previous Himeji city.
If you do not write the continuation early, you may forget it, so we will continue immediately.

I enjoy doing garden work.
Since pruning and cleaning are the arrangement of the place, it also has the effect of organizing the mind and correcting the appearance.
When you become beautiful, your feelings will be refreshed and you will be really comfortable.
I realize that the mental effects of cleaning and cleaning up are very large.
The inside (mind) and the outside (environment) are certainly connected, and I feel that the outside (environment) has a very large effect on the mind.

Well, and with permission here, we pruned the branches into the roots of the trees.
It is really thankful and glad that you can understand. I really appreciate it.
I don't think it's easy to understand this.
For ordinary people, it is probably a matter that will overturn the common sense so far, so accepting it may be a very necessary matter for the owner who accepts it.
With that in mind, I think it's awesome to be ready and ready to accept.


Whether you see pruned branches as "garbage" or "mulching material", you have the same consciousness, and even the same thing is completely different.
I think the idea of ??"garbage" is a very recent idea that has been born since the social and economic changes and the modern culture of "disposable".
The idea of ??"garbage" may not have existed in the recycling culture of the Edo period.
Even kimonos are recycled many times, eventually turned into rags, burned (because cotton and hemp are plants), used for cooking, heating and lighting, and the ash is used for fertilizer and cleaning in fields. it was done.
I think that was also the spirit of the Japanese.

This “modernization” and “globalism” involving the whole world has been pursued to annihilate various civilizations and unify the civilizations. I feel that this has led to the loss of
In a world where you have lost or forgotten what is important, garbage, including nuclear waste, is being disposed of like a mountain and continues to pollute the environment.
And we (the general public) are starting to notice that. The feeling of "leave something important".

I think that there is such a feeling in the feeling that you can accept the mulching of pruned branches.

I've written in detail about this mulching of pruned branches in another article, so I hope you can refer to them.



Even when mulching pruned branches, it is an inevitable thing in terms of "natural intentions".
In nature, nobody cleans dead branches and dead leaves dropped by trees.
They are decomposed by insects and microorganisms, which are "decomposers", instead of humans, turning them into rich soil and returning to plants.
Those branches and leaves that fall to the ground are "falling as needed" for trees and the environment.
Biological circulation.
There is no problem with bringing in "human intentions" if it is in line with "natural intentions", but if it is against "natural intentions", it impedes the course and circulation of nature there. Will do.
The "system" created by nature is a perfect "system" that is connected by "necessary" and has no waste (no garbage).
They bring in "human intentions" and produce "garbage".
This is what makes me feel that I have some "lumps" in gardening.

I think that the idea of ??modern "environment creation" is to pursue only "human convenience and comfort" and create an environment that matches consumption and "business and economic convenience."
A society in which the leading role of the economy, called a "company," is placed at the center of society and depends on it.
A society that values ??economic development only exploits nature without regard for nature or the environment.
I think it is very difficult to find considerations that draw on the “natural intentions” there.
Generations and locals who have grown up without touching nature may find it difficult to understand even this.

"It's natural to put the economy first."
And I think that the cause is that the "social system that can not live otherwise" has been completed.
The system that “you cannot live without working and earning money” is a system created by modern civilization.
The system is created by creating the illusion of money, giving it value, and believing it all.
"Intention" is born in consciousness and "creates" it.
This system is undoubtedly a system created by "human intentions", and it is a system based on accepting it.
However, I think it can be changed if you intend to "change." Because it's a system we made ourselves.

On the other hand, however, looking at the world, it seems that among young people, there are many people who are conscious about the environment.
Actively going outdoors, traveling and choosing to live small. Work styles have become diverse without depending on companies.
I think it's more of a Japanese or Oriental culture, but in today's world, it seems that the "polarization" has become very noticeable.
They have their own assertions and lifestyles for the entire lifestyle of “clothing, eating, and living” without being bound by existing values, and practice them as a “way of life”.
In terms of numbers, it may still be small, but I think it will be more in the future.
I feel that those values ??are not about money or economy, but about spirituality.
Depending on what you put at the center of your life, your lifestyle will not be uniform.
From now on, "economy" will no longer be the center of value, and various "values" and "diversity" will increase more than ever.
I think Japan will accept its values ??as the birthrate and aging of the population decrease and the number of foreign workers and immigrants increases.
And I think that it is "natural intentions" that they coexist while respecting each other.



"Natural diversity" is a mechanism in which "different species" and "different creatures" coexist.
And there is only "natural intention" there.
Unlike humans, insects and animals follow instinct brains and operate instinctively. I think those "instincts" are closely related to "natural intentions".
Living and connecting information to descendants are the instincts of living things. I guess it can be called the "natural intention of living things".
On the other hand, human beings have developed cerebrum, and their behaviors are dominated by ideas and thoughts.
Create an advanced society and set rules and rules.
I'm a little off track (maybe I'm already doing ...), but I feel Japan is a country with a lot of rules.
Was it two years ago? 帰 When I came back from traveling in India, I was overwhelmed by the difference in atmosphere.
I felt something very cramped.
I'm addicted to something, protect it, take care, and keep my personality down. It is such an atmosphere.
And especially, the "implicit rules" are unique to Japan (honestly, I can't keep up).
Isn't it a culture of "reading the air without saying anything" rather than a culture of "arguing and exchanging opinions"?
Since I was a child, I have had a hard time without getting used to it. When I touch foreign cultures, I am relieved of their disputed claims and opinions.
He is fully expressing himself. The whole body tattoo seems normal. "You, you, I, I" And respect each other.
In Japan, if you have a tattoo, you can't enter the hot spring and you can see it with white eyes.
If you are different from others or have strong claims, you feel that it is a difficult country to live.

India was clearly different from the unique Japanese values ??of "must be like everyone".
It was very easy. Businessmen in suits, hermits in gray hair, aunts in white hippies and sari, ostensions in T-shirts and shorts, naked children, ordinary travelers, dogs, cats, cows, monkeys, chickens, goats, sheep, etc. They live together in one place (eg, at a city intersection).
And there are no traffic lights at intersections even on the main roads of big cities.
Animals, humans, cars, motorcycles, etc. come and go with their respective timings.
Since cows do not keep signals, such traffic rules would not be meaningful.
"What is there?", But it was strange that it worked well without causing an accident, and it was very interesting.


The country of India may be a bit different in the world, but people of continental countries who live in a mixed world of different nationalities and races, have completely different views of the world and religion, It may be fundamentally different from Japanese.
When viewed from the outside, this island country (Japan) feels very small and unique.


“Common sense” changes with the times. For example, the old toilets were Japanese-style botton-type toilets.
In the Edo period, it was collected and used as fertilizer in fields, and manure was purchased for a fee.
The water supply and sewage systems were improved, and the fertilizers in the fields were replaced by chemical fertilizers made by pharmaceutical companies. They paid money to drink water and paid money to process excrement. And it is accepted as "common sense".
I rarely have a "question" there.
However, when I think about that, I get the question, "Is that okay?"
In exchange for the merit of convenience, the improvement of water and sewage will reduce the soil strength (organic fertilizer content), reduce the economic burden, pollute the soil, rivers and oceans with chemical substances (chemical fertilizers and pesticides), and damage health due to purified tap water. "Drinking water" that should be safe and free, such as the disappearance of well culture (fluorine and chlorine (chlorine), etc.), the resulting weakness of groundwater, landslide disasters and environmental destruction, and the monopoly and operation of water supply businesses That is, under the dominance monopoly of someone, it is assumed that it is safe and it is offered for a fee.
Moreover, they are more vulnerable to disasters than spring water or wells.
When you think about it, it is "managed," "dominated," and "exploited," and there is no question there.

Anyway, "values", "common sense" and "rules" are provided from the society by the change of the society, somehow accept it, and it is always changing.
It depends on the country and region.
Cattle droppings that are common on Indian roads may be a "rule violation" in Japan.

The "rules" that you believe may not be correct in terms of other countries or other values.

"Human intentions" reflect the "common sense" and "rules" of the era and society, and it is really questionable whether it is really useful for living and the environment.

"Common knowledge" that "dirty because there are germs in natural water and soil".

"So what's the thing that made them dirty? And why do they get dirty?"


Accepting it without even having a "question" can be very dangerous.
It's also important to look at where you are heading, "Where is this society going?"



I think it is necessary to recognize that the environment created by human intentions is far from the environment created by natural intentions.
I don't know because I don't watch TV, but a high school student named environmental activist Greta Thunberg seems to have been beaten by the media.
Thoughts against the economy, politics and world systems have always been persecuted by great pressure.
I don't know who she really is, but if a 16-year-old high school girl is still being lifted worldwide, isn't she a "real activist"?
"Environmental activities" can also be a business.
"Eco" can also be a business.
I think there are many such companies and people.
However, if you make a "real claim" without looking back on your own interests, and you have a greater influence, it will always be a "target." It feels like it's "real proof."
Real people, Gandhi, President Mandela, and John Lennon, were all persecuted by "great power."
In this era, I think that such a big activity will happen and create friction.



When "human intent" snuggles with "natural intent", it becomes a human rights revolution that Gandhi could do, a consciousness revolution that John Lennon could do, and a racial revolution that President Mandela could do. I think it will be.

Civilization that uses underground resources accompanying climate change as its main energy has "limits".
It is a system that destroys the natural environment, damages the ecosystem, and tightens its own neck.
I think Greta is also appealing that.
Everything that is “unsustainable” naturally has an “ending time”.

Even if humans try to keep it, "natural intentions" may prevent it.
It is "disaster", "climate change", "pathogen" and "economic crisis".
It may be called "natural intention".
If something ends, it ends.



What we have to think about is not "do not end" but "how to end".
And then, isn't that what we are going to make?
I think it is necessary to create something that is completely different (or vice versa) from the past, not the continuation, but also the society, economy, and environment.

A society that is close to "natural intentions."
Diversity is respected and individuals can demonstrate their personality.
Live your desired life and life as you wish.
There is rich nature, clean water, soil and air.
Everything you need for life is safe and free from nature without destroying the environment.
Not bound by time, not bound by country or region,
A society full of love and freedom.

I want to live in such a society! !
I really think so.



It really feels like "What blog is it?", But if there are a lot of "intentions", it will be a "great feeling" and I think it has a very big power.
The “intention” of “like this” has the “power” to create a real environment.
I don't think this is a dream, but a "real thing" and a "what is happening right now."

"I'm talking about reality," he states clearly here!
And it is also true that there are two "options" at the turn of this era.
Which one to "select"?

I think it's really a matter of serious consideration.




In the middle of this pond was a round puddle in which a large frog lived.
When I was working, I saw something like, "What's the matter?", And it seemed like I was hiding quickly, and that figure wasn't included in the photo.
I named myself "Nusushi" and arbitrarily got along well for about 4 days.
The work is over, you're quiet, and you're relieved.
I wish I was there again the next time I went.

コメント
コメントする








   

calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< March 2020 >>
kayagreen home
kayagreenについて
greenfingersエコアパートプロジェクト
オープンガーデン&スタッフブログ
ふうよう huuyou
つちとヒト
links
Facebook & Twitter

selected entries

categories

archives

recent comment

profile

search this site.

others

mobile

qrcode
みんなのブログポータル JUGEM