本格的な日本庭園@姫路市 「意図」が環境を造る



姫路市のお庭です。
とても本格的な日本庭園で、お家自体も昔ながらの古くからある集落に建てられた立派な日本家屋です。



植えられた木も松やカイヅカ、ツツジなど、日本庭園では定番の風土によく合うものばかりです。
年をとる事に、経験を重ねる事に、日本の気候には日本庭園で使う日本の自生植物がいちばんしっくりと馴染むし、生き生きと丈夫で、花や実も良くできると改めて思います。



山、谷(川)、池(海)、平野。
南に設けられた縁側から庭を眺めると、山から谷川が海に注ぐ風景が見事に造形されています。



土を盛り、石を組み、池の縁を回って小さく回遊できる造りです。
一つ前の明石市のお庭と同じ様に「回遊式」の造形です。
「回遊式」の日本庭園は兼六園や後楽園など「名園」とされる日本庭園の代表的な造りで極楽浄土を再現した世界だと言われています。
自然の姿をそのまま庭に落とし込み、浮き世(現実世界)に浄土(仏や菩薩が暮らす場所)の世界を表現したものです。
日本庭園の根本はその「浄土の再現」というものであり、日本人の精神性や風習に深く根ざしたものです。


庭への入り口には門担ぎの立派な黒松が仕立てられています。
こちら(現実世界)から、あちら(浄土)への入り口として、この立派な黒松がその境界を示している感じです。



仕立て方としては、いつの頃からか一般的になった「玉刈り」というやり方で仕立てられていました。
今回は初の管理作業という事で、基本的に現状に即した作業をして行きます。
ただ、全てを玉刈り状態にはせず、風通しを考慮して、枝抜きや散らし剪定も混ぜながら作業を進めます。
一気に形を変えずに、少しづつ自然形に戻して行ければと考えています。



古来の日本庭園も、本来は自然形の姿を維持していたのでは無いかと考えます。
「刈り込み剪定」は、例えば西洋のお城とか、生垣、お寺のツツジの大刈り込みなど、何か「緊張」を強いる様な場面で用いられる方法で、仕事をしたり、修行をする環境では良いかもしれませんが、リラックスしたい環境では、あまりふさわしくない様に思います。

松も本当はもっと自然形でも良いと思います。
絵に描いたような松も綺麗ですが、自然形の姿は本当に綺麗です。
庭木の松で自然形はほぼ見ることはありませんが、海岸の防風林や山や公園などでは自然形のままの佇まいを見る事ができます。
柔らかさ、しなやかさ、力強さ。それは「松」本来の美しさだと思います。



伸びている一芽一芽が一本の松の木の様です。

作業前にこんな事をいろいろと感じながら、庭を眺めています。
これからお施主様や自分の「意図」を持ち込み、この風景を造形して行くのだという思いです。
「環境」に対して「こうしよう」という「意図」を持ち、そういうエネルギーを向ければ、「意図した環境」が創り出される。
当たり前の事と言えば当たり前の事ですが、「ふむふむなるほどね」と改めて思うのです。
「意図したもの」が「現実を創造して行く」。
今の自分や自分達が暮らす「環境」というものは全て自分(個人)や自分達(集団意識)が「意図」した様になっている。という風に改めて思うのです。
環境問題について、いろいろと考えていますが、全てはこの「人間の意図」によって、この環境は造られているという事ですね。



ではどうすれば、気候変動や環境汚染を含む様々な環境の「危機的状況」を解決することができるのでしょうか。
答えはすごくシンプルで「良い環境にしよう」という「意図」を持つ事だと思います。
仏教では「依正不二[えしょうふに]」という考え方があります。「正報[しょうほう](自分)」は「依報[えほう](自分を取り巻く環境)」とは一見別のもののように思うが、二つは分かち難く関連している。という考え方です。「報」とは報い(結果)の事です。
昨年から始めたヨガの思想にも同じ思想があります。
「今に居る」という瞑想の状態は、「本来の自分(豊かで不足のない自分)」を見出すこと(ヨガ初心者の見解ですが)だと思うので、自分や環境に不足を感じたりしている時点で、自分も、それを取り巻く環境も「その様になって行く」という事だと思います。
考えてみればお釈迦さんもインド人でヨガの修行をしていたので、こういう考え方は古代(約5,000年前)のインド哲学からずっと続いている「この世界の仕組み」みたいな思想では無いかと思います。
もしかすると、それ以前の文明でもそういう思想はあったのかもしれません。

ただ本当にその「意図」を現実の環境に反映させようと思えば、それはそういう考え方を「知っている」とか「理解している」だけでは何の役にも立たないと感じます。
自分事ながら「それをやってる(行動に移している)」状態でないと自分を取り巻く環境は何も変わらないと感じます。
日々、自分はそれをやれているのか、観念だけでは無いのか、それを自分に問いながら、行動も気持ちも「外の環境」に振り回されたり、影響されたりしながら実践してみているところです。
「内側の環境(心の状態、意図)」が外側の環境を創造している。その具体的な実践は、常に外からの影響に左右されがちな自分を見つめる事でもあります。
良い感じだなと思える時もあれば、何かや誰かに影響され、不安や心配、怒り、悲しみ、などにとらわれて右往左往してみたり。
そしてまた瞑想や祈りで自分をリセットして行く毎日です。



いつもながら、話しが庭仕事の事から大きくズレてしまいましたが(笑)、もうあまり気にしないで行きます。
読んで頂けるのも良し、読んで頂けないのも良し、ですから。



旺盛に伸びていた枝を整理して行くと、だんだんと庭の形が見えてきます。
この庭を造った人の「意図」も読み取れるようになって来ます。
池の周りを石で囲い、対岸に灯籠を配してそこから山を望み空を見る景色です。
もしこれが庭の外に実際の山が望めたなら借景として素晴らしい景観になると思います。
その場合は、自分ならもっと木の数を減らして間合いを多く取ると思いますが、実際には集落の建物がありますので、これくらいの植栽量が必要なのでしょうね。
あるいは、造られた当初は奥のモクセイやウバメガシはもっと大きく仕立てられていたのかもしれません。
道路に面した南側はどの木にも傷みが出ていましたし、剪定も押さえ気味に強く手入れされていました。
庭木は年数が経つとだんだん大きくなりますので、強く剪定や伐採をされる事が多いですが、事情が許せば、あまり強剪定はせずに育ててやれればいいと思っています。



歩く場所や使う場所はその用途に合わせて草や低木の管理をする(現状に戻す)必要はありますが、眺める景観に関しては経年につれてその景観は変化して行くのが自然な事だと思います。
大きくなる木を植えれば、その環境に合わせて木は育ちます。
低木は木陰になれば勢いを弱めるかもしれません。
それぞれがお互いのバランスを保ち、枝を伸ばしたり、落としたりして空間を共有するようになります。



それが「自然の意図」であり、自然そのものです。
いつも山の景観と比べてしまうのですが、「人間の意図」を加えた景観と「自然の意図」が造った景観では、やはりその美しさは比べものになりません。
どれだけ自分達が技を使って手入れをしても、そこに「人間の意図」が入ると、それはもう「自然」ではなくなります。
そしてそれは、当たり前ですが「自然」では無いのです。
それが「自然」と「庭」との違いです。
自分はよく「庭仕事に不向きなのではないか?」と考えることがあります。
お施主様の「意図」を聴き、それを庭に造ることは「とても不自然なこと」と感じるのです。

勿論、それが悪いことではありません。
お施主様には「意図」があり、それを実践するのが庭師の仕事ですので、当たり前の事をやっている訳です。



しかし心の何処かで「不自然なこと」をしている自分を感じるのです。

お施主様には喜んで頂けますし、その事は自分にとっても、とても嬉しいことです。



それで良いのだと思い、そうやっているのです。



建築やアートと同じように造園を考えると「意図」を庭に持ち込む事はとても当たり前の事だと思います。
そもそも、それが「庭」なのだと思います。

ただ、ここ数年の心境の変化の中で、以前は「当たり前」だと思っていた事が「当たり前ではない」と感じることが多くなりました。



「意図を表現する」という事柄で言えば、良い感じに仕上がった、と言えると思います。


風通しも良くなりましたし、見た目にもスッキリしました。
悪くない仕上がりです。
ホントに。

そうですね、長くなってきましたし、今回はこの辺にしておきましょう。
もう少し、頭の中をまとめてから続きを書きたいと思います。
ネガティブな事ではありませんので念のため。
なんでしょう、なにか「しこり」みたいなものを感じるのです。

ではまた、改めて続きを書きます。






It is a garden in Himeji city.
It is a very authentic Japanese garden, and the house itself is a fine Japanese house built in an old-fashioned settlement.



Planted trees, such as pine, kaizuka, and azalea, are all well suited to the classic climate in Japanese gardens.
As I grow older and gain more experience, I think that the Japanese native plants used in Japanese gardens are the most familiar with the Japanese climate, and that they are lively, durable, and that flowers and fruits can be improved.



Mountains, valleys (rivers), ponds (sea), plains.
Looking at the garden from the southern side of the porch, the landscape where the valley river flows from the mountains into the sea is beautifully shaped.



It is a structure that can be filled with soil, assembled with stones, and moved around the edge of the pond.
Just like the previous Akashi garden, it is a “migration style” model.
It is said that the Japanese garden of the “migration style” is a world that reproduces the paradise of the paradise with the typical structure of a Japanese garden that is considered a “renowned garden” such as Kenrokuen and Korakuen.
The natural form is dropped into the garden as it is, expressing the world of the Pure Land (where Buddhas and Bodhisattvas live) in a floating world (real world).
The root of the Japanese garden is the "reproduction of the Pure Land", which is deeply rooted in the spirit and customs of the Japanese people.


At the entrance to the garden is a splendid Kuromatsu that is carried by the gate.
From here (the real world), as a gateway to that (Jodo), this fine Kuromatsu feels the boundary.



As a tailoring method, it was tailored in a way that was generally known from some time ago, called “gama cutting”.
This time it is the first management work, so we will basically work on the current situation.
However, we do not cut everything in the state of cutting, but we work while mixing pruning and scattering pruning in consideration of ventilation.
I want to return to the natural form little by little without changing the shape at once.



I think that the ancient Japanese garden originally maintained its natural form.
"Pruning" is a method used in situations where you need to "tension" something, for example, when you are cutting a large azalea in a western castle, hedge, or temple, and it is good for working or training environments. Perhaps, but in a relaxed environment, it doesn't look very appropriate.

I think pine can be more natural.
The pine like the picture is beautiful, but the natural form is really beautiful.
You can hardly see the natural shape of the garden pine, but you can see the natural shape in the coastal windbreaks, mountains and parks.
Softness, flexibility, strength. I think that is the original beauty of "pine".



Each growing bud is like a pine tree.

I'm looking at the garden while feeling various things before working.
From now on, I want to bring in the owner and my own “intent” and shape this landscape.
If you have the "intention" of "this way" to the "environment" and direct such energy, you will create the "intended environment".
Speaking of course, it is a matter of course, but I think again, "I'm sorry."
“Intentional things” “create reality”.
Everything about the environment and the environment in which we and ourselves live now is as if ourselves (individuals) and ourselves (group consciousness) had intended. I think again.
I'm thinking a lot about environmental issues, but everything means that this environment is created by this "human intention".



So how can we solve various environmental “crisis situations” including climate change and environmental pollution?
I think the answer is very simple, with the "intention" to "make a good environment".
In Buddhism, there is the idea of ??"Eshofuni". "Shoho (self)" seems at first glance to be different from "eho" (environment around me), but the two are hardly related. Is the idea. "Rewards" are rewards (results).
The same is true of the yoga philosophy that we started this year.
I think that the state of meditation "I am now" is to find "real self (rich and complete lack of self)" (it is a view of a beginner of yoga), so I feel lacking in myself and the environment At one point, I think that myself and the surrounding environment are going to be like that.
If you think about it, Buddha also practiced yoga as an Indian, so I think that this kind of thinking is like "the mechanism of this world" that has been continuing since ancient (about 5,000 years ago) Indian philosophy. You.
Perhaps even earlier civilizations had such an idea.

However, if you really want to reflect that "intention" in the real environment, it feels that simply knowing or understanding that idea does not help.
I feel that the environment surrounding me will not change unless I am in the state of doing it (taking action) while doing myself.
Every day, I am asking myself whether I can do it or not only the idea, and I am trying to practice while acting and feeling are swayed and influenced by the "outside environment" .
"Inner environment (state of mind, intention)" creates the outer environment. The specific practice is to always look at yourself, which is often influenced by outside influences.
Sometimes it feels good, others are influenced by something or someone, trying to go right and left with anxiety, worry, anger, sadness, and so on.
And every day I reset myself with meditation and prayer.



As always, the story has shifted a lot because of my garden work (laughs), but I don't mind much anymore.
You can read it, or you can't read it.



As you organize the branches that were growing vigorously, you can gradually see the shape of the garden.
You will be able to read the "intention" of the person who built this garden.
The surroundings of the pond are surrounded by stones, lanterns are arranged on the opposite shore, and you can see the mountains and view the sky from there.
If this were to see the actual mountain outside the garden, I think it would be a wonderful view as a borrowed view.
In that case, I think I would take more time by reducing the number of trees, but in fact there are buildings in the village, so it will be necessary to plant this much.
Or, at the beginning, the back Mokusei and Ubamegashi might have been tailored much larger.
On the south side facing the road, all the trees had been damaged, and pruning had been suppressed and they had been well maintained.
Garden trees grow larger over the years, so they are often pruned and cut down, but if circumstances permit, I would like to be able to grow them without too much pruning.



It is necessary to manage the grass and shrubs (return to the current state) according to the purpose of the place where you walk and use it, but I think that it is natural that the landscape changes over time as you look at it .
If you plant a tree that grows, the tree will grow to fit the environment.
Shrubs may diminish in shade.
Each will maintain their balance and stretch and drop branches to share space.



That is the "natural intention", which is nature itself.
I always compare it with a mountain landscape, but the beauty created by the “natural intentions” and the landscape created by adding “human intentions” are still incomparable.
No matter how much we use the techniques to care for them, once "human intentions" enter them, they are no longer "natural".
And it's natural but not "natural".
That is the difference between “nature” and “garden”.
I often think, "Isn't it suitable for garden work?"
Listening to the owner's "intentions" and creating them in the garden feels "very unnatural".

Of course, that's not bad.
The owner has an "intention", and it is the gardener's job to put it into practice, so he is doing something natural.



But I feel myself doing something "unnatural" somewhere in my heart.

The owner will be pleased and that will be a great pleasure for me.



I think it's good and I'm doing it.



Considering landscaping in the same way as architecture and art, it is very natural to bring "intention" into the garden.
First of all, I think it is a "garden".

However, in the last few years, my mind has changed and what I thought was "natural" before is often felt "not natural".



In terms of "expressing your intentions", I think it's a good feeling.


The ventilation has improved, and the appearance has been refreshing.
Not bad finish.
Really.

Well, it's getting longer, so let's keep it around this time.
I'd like to write a little more in my head before continuing.
It's not a negative thing so just in case.
I feel something like "lumps".

Then, I will write the rest again.

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