ナチュラルガーデン お茶会 2019・10



10月も終わりのある平日、大阪のお客様のお庭で小さなお茶会を開催させて頂きました。

前日の雨もあがり、とても良い天気の中、主催のオーナーさまから、集まって頂いた皆さんにランチとお茶を振る舞っていただき、僕もハーブ入りの美味しい紅茶を頂きました。
ヴィーガンのため、ランチはご一緒できませんでしたが、こういう時はこだわりを置いておいて、ご一緒させて頂いた方が良かったかと、少し思っています。
何かに執着し過ぎるのも、あまり良くないかも知れませんね。

皆さんがランチをしている間、お庭のメンテナンスを少しする事ができました。
以前頼んでいた植木屋さんにチョンチョン(短く)に剪定されていて、あまり好みではないとの事で「森のようにしたい」というお施主様の想いがあって、「なるべく木を切らずに、今は枝を伸ばしましょう」と提案させていただき、それからしばらく、ほぼ放置していた感じでした。

タイサンボクと梅の木は少し剪定させて頂いていましたが、その他の木は、生垣など多少の剪定をご自分でされていた以外は、切りたいのをじっと我慢してもらっていた感じです。

庭仕事がお好きで大抵の事はご自身でされる方ですので、我慢するのはとても忍耐が必要だったかもしれません。
それでもご提案通り「自然樹形」に戻していく方向で忍耐いただき、お庭の雰囲気も始めにお伺いさせていただいた時よりも、とても良い感じになっていました。



剪定枝や刈り草はせっせと地面に敷き込んで頂いていましたし、そのおかげで植栽部分の土はとても良い状態で団粒化していました。
一見すると、ワイルドな感じがするお庭ですが、そのままワイルド(野生)です(笑)。
そしてそれが、なんとも言えないホッとした雰囲気を感じさせてくれます。

あちこちに刈り草や枯れ枝が地面に敷かれ、木の根本ではそれが地面に馴染み、沢山の虫が居て、カタバミなどの野草や実生の木も沢山生えていて、その様相は自然のままという感じですが、そこにちゃんとお施主様の「意図」が加わり、本当に上手く共生してると感じました。
「思い通りにならないです」とおっしゃってはいましたが、それが普通ですね。
「そうですね」と軽く答えさせていただきましたが、自然相手に「思い通りになる」方が変だと思います。何故なら思い通りになるなら、それはもう自然では無いからです。

「好きなもの(園芸品種)」が消えてしまって「嫌いなもの(蔓延る草)」が増えるのは、それも庭からのメッセージとして捉えていただくと良いのではないでしょうか。
つい「好きなもの」に価値があると思ってしまいますが「嫌いなもの」の方が価値がある場合もあります。
環境を良くする為に「わざわざ」生えてきてくれてる草ですので、自然に埋もれてしまう必要はないですが、ストレスに思わずに上手く楽しんで頂けたら良いかと思います。
嫌いな草もよく見ると、とても綺麗だったと気付く事もあります(綺麗では無い草は思いつきませんが)。

大抵の場合、何かを嫌いなのは、それが「自分の意図の邪魔をするから」です。
「こうしたい」というエゴは、それを邪魔するものを嫌いになります。
でもそれは「価値」とは全く無関係なものです。
エゴの邪魔をするものは、それがあってはじめて自分のエゴに気づきます。
「思い通りにならない」事は、そこから学ぶことがあるから起こる事だと思います。
僕も思い通りにならないことだらけです。多くを学べと言われている気がします。
自分のエゴに気づき、自分の事を少し理解して、また外の世界へと目を向けて、それに気づけた事に感謝して・・・。
「いつまで続くのだろう?」と思いますが、果てしない道のりを行くのが本来の目的ならば、ただ進むしかありませんね。



また少し話しがズレました。すみません。

今回のお茶会は、以前僕が通っていたJAZZ教室の関係の集まりでもありました。
主催者さまは同じJAZZ教室の生徒さんです。
そしていつもお庭のメンテナンスをさせて頂いているJAZZ教室の先生ご夫妻と、先生にご紹介いただき、お庭の改装工事をさせていただいた先生のご友人の方との会でした。

嬉しい事に、久しぶりに先生ご夫妻の生演奏が聴けて、すごく感動しました。
教室に通っていた頃は「歌う事」を習うというのが初めてで、とにかく「右も左も分からない」という感じでした。
歌はぜんぜん上手くはありませんが「歌う事」は好きなので、ただ上手くなりたいという気持ちだけで通っていました。
レッスンでは色々な事を教えて頂きました。ボーカリストの気構えとか、声の出し方とか、感情についてなど、本当に様々な方面からご指導いただき、感謝しております。
アメリカで本場のJAZZを修められたプロのミュージシャンご夫妻です。JAZZボーカル、ピアノを習いたい方は是非オススメいたします。

JAZZという音楽は「セッション」の音楽だと思います。
テーマやフレーズを決めてそれを中心に各プレーヤーが様々な個性を持って共演するのが「セッション」だと思います。
多くの昔のJAZZミュージシャン達は、たぶん誰もが物凄く「個性的」で、多くのエピソードも残っています。
そんな個性的な人達の「セッション」は、凄くエキサイティングで面白いものであったようです。
それがまとまって1つの「曲」として完成するのは、とても興味深いものだと思います。

庭の生きもの達の「セッション」もまた興味深いものがあります。
「全く違うもの」どうしが共存する様子はJAZZミュージシャン達の「セッション」と似ているかも知れません。



そこに一つの「生きる」というテーマがあり、それを中心に演奏が繰り広げられます。

演奏者は誰もが「個性的」ですが、誰もがお互いを尊重し合います。
誰かがソロをとりはじめると、その他の演奏者はその後押しをして「全体」を支えます。
ボーカリストが主役という訳でもありません。ボーカル(身体)という楽器の演奏者です。
演奏者は言葉ではなく「音」で会話をしています。言葉を超えた「波動」や「エネルギー」とも言えると思います。

そういう感覚で庭を眺めてみると、木や草花にも「エネルギー」を感じるのではないでしょうか。
難しく考えないで「感じたまま」が答えだと思います。エネルギーは感じるものです。
大きな木を見て感じる感覚がそのエネルギーです。
小さな花を見て感じるものがそのエネルギーです。 誰でも感じるものだと思います。
何も感じない人はいないと思います。
その感じ方で庭を眺めてみてください。
強い感じ、優しい感じ、柔らかい感じ、硬い感じ。
好みとバランス、雰囲気、野性味、意図。
一つの曲が演奏されています。
自分もその「演奏者」です。

「言葉」は必要ありません。
「彼ら」は言葉を話しません。
「思考」も必要ありません。
「彼ら」は思考しません。
「感覚」のみ必要です。

お茶会では、お施主様に、それぞれのご自宅以外のナチュラルガーデンを見ていただけたのが本当に良かったと思います。
何かを感じて頂けたと思います。
「感じる事」は言葉以上の会話だと思います。
庭からのメッセージは、いつも「感じる気持ち」があれば受け取れます。
人間の話など、必要ありません。
テキスト本も必要ありません。

「セッション」です。
ただエネルギーというもので「セッション」が起こっています。
いつも。
いつでも。
演奏は続いています。

庭に吹く風、日の光。
それらも演奏者です。
街の喧騒、ざわめき、時間の流れ、めぐる季節、それらも演奏者です。
それらは庭に影響を与えます。
雰囲気を変え、メッセージをエネルギーで伝えます。

人は誰でもそれを感じる感覚を持っています。
得意、不得意、鈍い、鋭いもありません。
そんな人の能力は、どんな人でも大差はありません。
気持ちと、どこに意識を向けているかの違いだけだと思います。

演奏者は演奏に意識を集中しています。
エネルギーを感じようとしています。

お茶会はそこに集った人間たちだけで開催されたのではありませんでした。
そこに集った人間たちは自分たち以外の生きものとセッションしていました。

「感じる事」は「教えられる事」とは違います。「情報を得る事」とも違います。それらは「好き嫌い」あるいは「損得」というエゴのフィルターを通して感情を刺激します。

この記事を書いている時、一休みしてネットを見ていると、スエーデンの環境活動家のグレタ・トゥンベリさんの英国議会でのスピーチ記事に行き当たりました。
そして、それを批判する記事にも同時に行き当たりました。

グレタさんの事は少し前に「こんな高校生がいる」と聞いていましたが、調べたりせずに「そんな高校生がいるんやな」くらいに思っていました。
必要な事以外、なるべく「情報」には触れずに、自分の「感覚」を大事にしたいからです。
海外では日本と違い、環境問題に対しての意識が高いので、そういう活動家もいるし、運動も起きているとは思っていましたが、彼女のスピーチ記事を読み、それに対しての批判を見てみると「愕然とする」思いがしました。
グレタさんの訴えが正しい、間違いの問題ではなく、環境問題そのものに対する「関心がない」のだと感じました。
または「考えたくない」「知りたくない」「他人事」と思っている、とも感じました。

「何を訴えているのだろう?」「どういう状況に自分達はいるのだろう?」「真実は何なんだろう?」と、そこに向き合う事すらせずに「考える事」を放棄した「無感覚」の状態だと感じます。

「何も感じない」事に慣れ過ぎていて「言って欲しい事」を言ってくれる人に同調する。
「無感覚」「無感情」は深く眠っているのと何も変わりません。
朝起きて、仕事をしたり家事をしたりしていますが、それは身体や五感が心の反応に対応しているだけのロボットみたいなものです。

自分は「深く眠っている」のだと気づけた時に「無感覚」ではいられなくなると思います。

来年は2020年ですね。
環境問題にしても、社会状況にしても、人の意識にしても、どんどん変化がスピードを増して行くと思います。
我々は何処に向かって進んでるのでしょうか?
そろそろ「目を覚ます」時です。
「無感覚」の時代は終わりました。

皆さんを取り巻く環境が良いものでありますように。

次にもしお茶会の機会があれば「瞑想」などしてみても面白いかも知れません。
たぶん、もっとリアルに何かを感じる事ができるかも知れません。
すごく良い事を思いついてしまったかも知れないです。
楽しみです。

お茶会、ご参加の皆さま、ありがとうございました。
主催のWさま、色々とご準備ありがとうございました。
御礼申し上げます。






A small tea party was held in the Osaka customer's garden on a weekday that ended in October.

The rain of the previous day rose, and the owners gathered for lunch and tea, and I received a delicious tea with herbs.
I couldn't have lunch together because of vegan, but I was a little wondering if it was better to stay with me at this time and stay with me.
It may not be so good to be too obsessed with something.

I was able to do a little maintenance of the garden while you were having lunch.
The owner, who had been asking for before, was pruned into short (short), and he said that he did not like it so much that he wanted to make it like a forest. Now, let's extend the branch. "

I had a little pruning of Thai Sambaku and Plum trees, but the other trees seemed to endure the things I wanted to cut, except for some pruning myself, such as hedges.

I like garden work and most of the work is done by myself, so it might have required patience to endure.
However, as I suggested, I was patient in the direction of returning to the “natural tree shape”, and the atmosphere in the garden was much better than when I first visited.



The pruned branches and cut grass were laid on the ground, and the soil in the planted area was agglomerated in a very good condition.
At first glance, the garden feels wild, but it is wild as it is (laughs).
And that makes me feel relieved.

Mowed grass and dead branches are laid on the ground, and the roots of the tree are familiar with the ground, there are many insects, wild grasses and seedlings such as kathami grow, and the appearance remains natural I feel that the owner's “intention” was added to it, and I felt that I was really well symbiotic.
You said, “It does n’t go as you want,” but that's normal.
I answered “Yes” lightly, but I think it's strange to be “natural” with the other person. Because it is no longer natural if you get it.

It may be a good idea to see the message from the garden as “favorable things (horticultural varieties)” disappear and “dislikes (spread grass)” increase.
You may think that “what you like” is more valuable, but “what you don't like” may be more valuable.
It is a grass that has been grown “intentionally” to improve the environment, so it is not necessary to be buried in nature, but I hope you can enjoy it without thinking of stress.
If you look closely at the grass you hate, you may find it very beautiful (although you can't think of a grass that is not beautiful).

Most of the time I hate something because it "does disturb my intentions".
The ego “I want to do this” hate things that disturb it.
But it has nothing to do with “value”.
Anything that disturbs the ego will only notice its ego.
I don't think it happens because there is something to learn from it.
I'm full of things that don't go as expected. I feel like learning a lot.
Thank you for noticing your ego, understanding a little about yourself, turning to the outside world, and realizing it.
I think, "How long will it last?" But if the original purpose is to go on an endless path, there is no choice but to proceed.



There was a slight misunderstanding. I'm sorry.

This tea party was also related to the JAZZ classroom I used to attend.
The organizers are students from the same Jazz classroom.
It was a meeting with Mr. and Mrs. JAZZ classroom teachers who always maintain the garden and friends of the teacher who introduced the teacher and renovated the garden.

Fortunately, I was impressed to hear the live performances of the teachers and their wife after a long time.
When I was in the classroom, it was my first time to learn “singing” and it was just like “I don't know right or left”.
Singing isn't good at all, but I like singing, so I just went there because I wanted to be good.
I learned a lot from the lesson. I am grateful for the guidance from various aspects such as the attitude of vocalists, how to speak, emotions, etc.
Mr. and Mrs. professional musicians who have studied authentic Jazz in the United States. JAZZ vocals and those who want to learn piano are definitely recommended.

I think that the music called JAZZ is a “session” music.
I think the “session” is to determine themes and phrases and to have each player perform with different personalities.
Many old JAZZ musicians are probably all “individual” and many episodes remain.
The “sessions” of such unique people seemed to be very exciting and interesting.
I think it is very interesting that it is completed as a single “song”.

The “sessions” of the creatures in the garden are also interesting.
The situation where “totally different things” coexist may be similar to the “session” of Jazz musicians.



There is a theme of “living”, and the performance is developed around it.

All performers are “unique”, but everyone respects each other.
When someone begins to solo, the other performers then push to support the “whole”.
The vocalist is not the leading role. He is a vocalist (body) instrument player.
The performers are talking in “sounds” rather than words. I think it can be called “wave” and “energy” beyond words.

If you look at the garden like that, you may feel “energy” in trees and flowers.
I think the answer is “just feel” without thinking difficult. Energy is what you feel.
The sensation of seeing a large tree is its energy.
The energy you see when you see a small flower. I think it's something everyone feels.
I don't think anyone will feel anything.
Please look at the garden in that way.
Strong feeling, gentle feeling, soft feeling, hard feeling.
Taste and balance, atmosphere, wild taste, intention.
One song is being played.
I am the “performer”.

"Words" are not necessary.
“They” do not speak.
There is no need for "thinking".
“They” don't think.
Only “sense” is required.

I think it was great that the owners could see the natural gardens outside their homes at the tea party.
I think you could feel something.
I think “feeling” is more than a conversation.
You can always receive messages from the garden if you feel “feeling”.
There is no need for human stories.
No text book is required.

"Session".
However, there is a “session” in energy.
Always.
anytime.
The performance continues.

Wind blowing in the garden, sunlight.
They are also performers.
The bustle of the city, the buzz, the flow of time, the seasons around, are also performers.
They affect the garden.
Change the atmosphere and convey the message with energy.

Anyone has a sense of feeling it.
There is no goodness, weakness, dullness, and sharpness.
There is no big difference in the ability of such people.
I think it's just the difference between feelings and where you are conscious.

The performer concentrates on the performance.
I am trying to feel energy.

The tea party was not held only by the people who gathered there.
The people gathered there had a session with creatures other than themselves.

“Feeling” is different from “Teaching”. It is also different from “getting information”. They stimulate emotions through ego filters of “like and dislike” or “loss”.

When I was writing this article, I took a break and looked at the net, and I came across a speech article in the British Parliament by Swedish environmental activist Greta Tumberg.
At the same time, I found an article criticizing it.

I heard about Greta-san a long time ago, “I have such a high school student,” but I did n’t look into it.
This is because I want to cherish my “sense” without touching “information” as much as possible.
Overseas, unlike Japan, there is a high awareness of environmental issues, so I thought there were such activists and movements, but I read her speech article and saw criticism of it. When I looked at it, I felt “stunned”.
I felt that Greta-san's appeal was “not interested” in the environmental problem itself, not the right problem.
Or I felt that I didn't want to think, didn't want to know, or thought about other people.

“What are you complaining about?” “What situation are they in?” “What is the truth?” Abandoned “Thinking” without facing them. I feel that it is "insensitive".

Engage with people who are too used to "I don't feel anything" and say "What I want you to say".
“Senseless” and “feelingless” are no different from sleeping deeply.
I wake up in the morning, work and do housework, but it is like a robot whose body and senses respond to the reaction of the heart.

When you realize that you are "sleeping deeply", you can't be "insensitive".

Next year is 2020.
Regardless of environmental issues, social conditions, and human consciousness, I think the speed of change will increase.
Where are we going?
It's time to “wake up”.
The era of “insensitivity” is over.

I hope that the environment around you is good.

Next, if you have a tea party, it might be interesting to try “meditation”.
Maybe you can feel something more realistic.
You may have come up with a really good thing.
I'm looking forward to it.

Thank you very much for the tea party.
Thank you very much for your preparations.
Thank you very much.

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