2019・10 お茶会メルマガ ナチュラルガーデンへの誘い その6 「思い込み」と「心の声」〜



お茶会メルマガ 第6回目です。

7〜8回の予定でしたが、当日までに文章が間に合いそうもありませんので、これで今回のメルマガは終了とさせていただきます。よろしくお願いいたします。 あとは当日、お届けできなかった分は、ご希望があればお伝えしたいと思います。


「思い込み」と「心の声」

先月から今月にかけて、ありがたいことに、ご新規さまからのお仕事のご依頼が増え、自分の庭に対しての考え方をお話しさせていただける機会を多く頂きました。
「庭の手入れ業者を探していて」という感じで、あまりうちの庭へのこだわりを知らない方からのご依頼もありましたが、剪定枝をマルチング材として使うことや草を抜かずに共生するというお話しをさせていただくと「へー、そうなんですか、なるほどね」とあっさりOKをいただけることが多くなりました。
まだ「すべての現場で」という訳にはいきませんが、先月と今月にご新規さまで入らせていただいた現場では、すべてのお庭でナチュラルガーデンのやり方をご理解いただき、施工させていただいています。
なにか「何か今までとは少し違ってきているな」という感じがします。
テレビやラジオを視聴しないので世間がどういう風な風潮なのかわかりませんが、特にご高齢の方(すみません)以外は、ほぼご理解いただけるようになりました。
ちなみに今、入らせていただいているお庭では、説明の時に、
「剪定枝をマルチングしておくと泥はねも防げるし、土が団粒化して雨の浸透性も良くなります」
「なるほどね」
これだけだったような気がします。
落ち葉や剪定枝は「ゴミ」だという「思い込み」は少し視点をずらして考えると、いとも簡単にそれが「思い込み」であったのだと気づきます。

自分の中での気づきとしては、「思い込み」はお客様にあったのではなく「自分にあった」のかもしれない、ということです。
「解ってもらえないだろうな(解ってもらいたい)」という気持ちは、何か雰囲気としてそれが伝わり、話をしても、理解しがたいという現実を生み出していたのかもしれません。

今の自分の正直な心境は「理解を求めていない」というのが正直なところです。
「ただ伝える」そしてそれに対する反応は「期待しない」というものです。
「すべての人は自分とは違う価値観の中にいる」ということが自分の中でしっくりくる事実ですし「違いがあることが当たり前」だと思います。
ただその中で「共有できる価値観」というものが存在するだけなのだ、というふうに感じています。

一方、社会的な「思い込み」も、自分も含めて全ての人にあると思います。「習慣」「風習」「教育」「メディア」「時代背景」など、子どもの頃から「親」や「学校」「友達」「周囲の大人」「メディア」などから影響を受けて、その周囲の社会環境に則した「思考」を会得していきます。それが集団生活の性と言えるかも知れません。いわゆる「常識」というものです。

「思い込み」と対照的なのが「心の声」だと考えています。あるいは「気づき」と言えるかもしれません。

2017年の内閣府の調査によると、いわゆる「引きこもり」の人口は15歳〜39歳で54.1万人。40歳〜64歳では61.3万人。
100万人以上の方が学校や社会に馴染めずにいるということがわかっています。
その100万人以上の方たちは、この現代の「常識」が何か「受け入れがたいものである」と感じているということかも知れません。
「学校に行くのが当たり前」「仕事をするのが当たり前」という「思い込み」は「心の声」に正直にいて、しかも苦しんでいる人たちにとっては辛いことであると思います。
「集団意識」が作り出す「常識」はそれが「正しいことである」という「思い込み」によって自らも辛い思いをし、自己愛を見失ってしまうのだと思います。

自然が綺麗な環境で、水も綺麗で水道水に頼らなくても生活が成り立ち、大気汚染もなく清潔で美味しい空気がどこでもあり、土も豊かで森も豊かな環境は、ほんの数百年前までは現実でした。
江戸時代以前、電気も水道もガスもなく、日本は豊かな文化が開花し、人の糞尿までもがリサイクルされ、畑の肥やしとなり農作物は現在の野菜の7倍という本来の栄養素をたっぷりと含んだ食べ物が人々の食と健康を支えていました。
免疫力も高かったと思います。化学物質もなく、民間療法が主流でしたし、食事自体が病気予防になっていました。

鎖国を解き、西洋文化が流れ込むと時代は明治時代へと移行していきます。
政治、経済が大きく変わり、石炭の発掘もこのころから始まりました。
日本人は自分たちの生活が「時代遅れ」のように感じたのかもしれません。「世界はこんなに進んでいる」という意識を持たされ、それを受け入れたため、現代文明の波が日本にも押し寄せた感じだと思います。
明治文化がもたらしたものは「国家」「教育」「ジャーナリズム」「科学」など、それまでの日本人の価値観を大きく変えるものでした。
特に「国家による教育」は近代文明を受け入れる国民を育成するように「子供」にターゲットを絞った近代文明のシステムだと感じます。
それが後にインフラが整備され、エネルギーを始めとする「衣食住」が全て有料で提供されるようになり「教育制度」によって「仕事に就く」ことが強要される社会へと誘導されて行ったのではないでしょうか。

「常識」は時に意図して誰かが作り上げることもあります。自然発祥の文化ではなく「経済」が優先される社会ではその「常識」は「押しつけられたもの」であり、それに馴染めない「心」もでてきて当然だと思います。

「自分の本心は何を望んでいるのか」 あまりにも情報が多い現代で「コマーシャルメッセージ」ではないものがどれだけあるでしょうか。純粋なアート、意見や主張、オーガニック(無加工)なニュースなどは「コマーシャルメッセージ」に埋もれてしまっているような気がします。

「本心の望み」が何なのか、それは「心の声」が教えてくれることだと感じます。
たとえそれが「常識」とはかけ離れていたとしても、それを押さえつけたり、忘れてしまえば、その今自分がいだいている「望み」は「思い込まされた望み」だと言えると思います。
「心の声」は自分の「本心の望み」をしっかりと思い出させてくれると感じます。
「思い込まされた望み」に向かって自分を生きれば、それは自分の人生ではなく「誰かの人生」です。
「庭」という空間を自分で創ったり、メンテナンスをする際にも、そこに「誰かの意図」が含まれていれば、それは自分の庭だとは言えません。「コマーシャルメッセージ」に誘導された「皆んなとお揃いの庭」が出来上がるだけです。
「選択」という「自由」を本当の意味で「自分自身の選択」にしていきたいと思います。

ナチュラルガーデンへの誘い

頭の中を「ニュートラル」にして「自分の望む庭」を想像してください。「常識」を無視して「誰かの評価」も無視して、心の中でその庭をつくってみてください。
「誰か」の声や意見を聞くのではなく、共に暮らす「植物」の声を聞いてください。
庭にいる植物がどういう個性を持ち、どういう役割を持ち、どんな影響を自分に与え、より良く共生していくためにはどうすればいいのか。
「庭」からのメッセージを受け取ることは「自分の内部との対話」と似ていると思います。
植物は言葉を話しませんが「表情」としてそれを伝えます。
こちらの想いだけでそれを庭に押し付けても、思ったようにならないことの方が多いです。庭からの「メッセージ」を聞き、自分の想いと照らし合わせて、譲るところは譲り、受け入れてもらうところは受け入れてもらう。
その対話の末に出来上がった庭は「自分よがり」だけではなく「環境と共生している自分」という、別の意味で、とても自分らしい庭になっていると思います。 その庭が出来上がった時に「本当の自分の選択」ができたのではないかと思います。

「心の声」は本来の自分の声です。
ナチュラルガーデンはそういう「心の声」から創造される庭環境です。
さらに言えば、うちが提案する庭でさえありません。
「間違い」も「正しい」もありません。
ただ、自分の内面が表に現れた環境です。
一人一人が違う庭を創ると思います。オリジナルな自分だけの庭です。

「環境」はまさに、自分の内面が表に現れた世界だと思います。
庭は自分以外の「種」を超えた生き物と共生していく「小さな自分の世界」です。

昔、世界には人種差別というものがありました。その他にも部族の差別、身分の差別、男女差別、貧富の差別、価値観の差別など、同じ人間同士でその「違い」を意識し優劣をつけていました。
現在でもその感覚はあると思いますが「差別感」を持ったまま生活を続けていくことは、これからの時代、だんだんと難しくなってくるのではないでしょうか。
「私」と「あなた」は違っていて当たり前だと思います。そこに「優劣」はありません。ただ「違い」があるだけです。

「人間」と「微生物」にも「動物」と「植物」にも優劣はないと思います。ただ「違い」があるだけです。
「生態系」ではその全てが必要とされています。何かは何かに影響を与え、関連してバランスを維持しています。全ては「必然」であり無駄はないと思います。

今、我々に問われているのは「種」の差別ではないでしょうか。「人間同士の差別も無くならないのに、『種』の差別なんて」と思うかもしれませんが、「動物や植物は人間よりも劣っているから好きなように扱ってもいい」という意識は、自然の摂理に照らすと「それはそのまま自分たちに返ってくる」ということだと思います。
「生態系」という自然のシステムが「自分たちを生かしてくれている」ということに気づかないことは、自分で自分の足元を壊しているのと変わりありません。

「庭」という、自分と自分以外の命の世界。その世界を大切にする気持ちは、自分を大切にするという気持ちだと思います。
そしてそれが必ず「地球環境」という大きな問題にも波及していくと思います。
皆さんのその世界が素晴らしいものでありますように。


お茶会メルマガ 第6回目をお読みいただき、ありがとうございました。
メルマガはこれで最終になります。

いろいろと思いをお伝えさせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。
自分自身もまだまだ完全に理想的な生活ができているわけではなく、失敗や間違いも多々あります。
知らないことだらけですし、当然ながら環境に負担をかけながらでしか生きていけないのが事実です。
「楽しみながら、できることを手の届く範囲で」これでやらせていただいています。

「楽しみながら」は特に一番大切なのではないかと感じます。
庭に接する時に「楽しみ」がないとそれは「本末転倒」になってしまうと思います。「生活」自体が楽しくないと、生きている楽しみもありません。
自分に余裕があって、それで初めて「その他」を気遣うことができると思います。
庭と接する時に、その辺の「キャッチボール」を庭とできればいちばん理想的なのではないかと思います。
植物は健気な上に寛大だと感じますので、いつも自分たちの間違いや愚かさを受け止めて、許して、癒してくれていると感じます。
自分たちにできることは、それに感謝して、少しだけでもいいので恩返しの気持ちを持つことだと思います。

当日はお時間の都合もありますし、お茶会ですので、一方向からだけでなく、ぜひいろいろなご意見をお聞かせいただければと思います。

では当日お会いできるのを楽しみにしています。
ありがとうございました。






This is the 6th tea party e-mail magazine.

Although it was scheduled 7 to 8 times, the text is unlikely to be in time by the day, so this e-mail magazine will be over. Thank you. I would like to tell you what I could n’t deliver on that day if you wish.


"Belief" and "voice of heart"

From last month to this month, thankfully, the number of new job requests has increased and I have had many opportunities to talk about my way of thinking about my garden.
There was a request from a person who did not know our commitment to the garden because it was like "looking for a garden care provider", but it was possible to use pruned branches as a mulching material and live together without removing grass When I talked about it, “Oh, is that so, I see, it ’s easy”.
It is not yet possible to say "on all sites", but at the sites where the newness was introduced last month and this month, we understand how to use the natural garden in all gardens and we are constructing them. .
I feel that something is a little different than before.
I don't know what the world is like because I don't watch TV or radio, but now I can understand almost everything except those who are elderly (sorry).
By the way, in the garden you are entering now, at the time of explanation,
"Mutting the pruned branches will prevent mud splashing, and the soil will agglomerate to improve rain permeability"
"I see,"
I feel like it was just this.
If you think about the “belief” that fallen leaves and pruned branches are “garbage” from a slightly different perspective, you will easily realize that it was “belief”.

One of the things I noticed in my mind is that the “belief” may not have been in the customer, but may have been “in my own”.
The feeling that “I don't understand (I want you to understand)” was transmitted as an atmosphere, and it may have created a reality that it was difficult to understand even if I talked.

My honest feeling is that I am not seeking understanding.
"I just tell" and the reaction to it is "I don't expect".
The fact that “everyone is in a different sense of value” is a fact that makes me feel comfortable, and I think it is natural that there is a difference.
However, I feel that there are only “values ??that can be shared” among them.

On the other hand, there is a social “belief” in everyone, including myself. “Customs”, “customs”, “education”, “media”, “background”, etc. We will learn “thinking” in accordance with the social environment. That may be the sex of group life. So-called “common sense”.

I think the voice of the heart is in contrast to the belief. Or it may be called “awareness”.

According to a 2017 survey by the Cabinet Office, the so-called “withdrawal” population is 541,000 between the ages of 15 and 39. 613,000 people between the ages of 40 and 64.
We know that more than 1 million people are unfamiliar with school and society.
The more than one million people may feel that this modern “common sense” is something “unacceptable”.
The “belief” that “it is natural to go to school” and “it is natural to work” is honest to the “voice of the heart” and is difficult for those who are suffering.
The “common sense” created by “collective consciousness” seems to be painful and lose sight of self-love by the “belief” that it is “the right thing”.

An environment where nature is beautiful, water is clean and life is possible without resorting to tap water, there is no air pollution, clean and delicious air is everywhere, soil is rich and forest is rich, only a few hundred years ago Until then it was a reality.
Before the Edo period, there was no electricity, water, or gas. Japan's rich culture blossomed, and even man's manure was recycled. The food supported people's food and health.
I think my immunity was high. There was no chemical, folk remedies were mainstream, and the meal itself was disease prevention.

When the isolation is solved and Western culture flows, the era will shift to the Meiji era.
Politics and the economy have changed greatly, and coal excavation began around this time.
Japanese people may have felt that their lives are "out of date". I felt that the world was so advanced, and I accepted it, so I think that the wave of modern civilization has come to Japan.
Meiji Culture brought about a great change in Japanese values ??such as “nation”, “education”, “journalism” and “science”.
In particular, I think that “education by the state” is a system of modern civilization that focuses on “children” so as to nurture people who accept modern civilization.
After that, infrastructure was developed, and “clothing, food, and housing” including energy were all provided for a fee, and the “education system” led to a society where “employment” was forced. it might be.

“Common sense” is sometimes intentionally created by someone. In a society where “economy” is prioritized rather than natural culture, its “common sense” is “impressed” and it is natural that a “mind” that is not familiar with it comes out.

"What do you really want?" How many things are not “commercial messages” in today's so much information? I feel that pure art, opinions and claims, and organic (raw) news are buried in the “commercial message”.

I feel that what the “desired desire” is is the “voice of the heart”.
Even if it is far from “common sense”, if you hold it down or forget it, you can say that the “hope” that you are now in is the “hope”.
I feel that the “voice of the heart” reminds me of my “desired desire”.
If you live yourself toward the “hope that you have envisioned,” it is “the life of someone”, not your life.
Even if you create or maintain a space called “garden”, if it includes “intention of someone”, it cannot be said to be your own garden. All you have to do is create a “Garden with a Match” guided by the “Commercial Message”.
I would like to make “freedom” of “selection” truly “choose my own”.

Invitation to the natural garden

Imagine a “neutral garden” with “neutral” in your head. Ignore "common sense", ignore "someone's evaluation", and try to make that garden in your heart.
Instead of listening to the voice or opinion of "someone", listen to the voice of "plants" living together.
What kind of personality, what role, and what kind of influence the plants in the garden have on me and how can they be better symbiotic?
I think receiving messages from the “garden” is similar to “dialogue with my own”.
Plants do not speak words, but convey it as an “expression”.
There are many things that don't go as you think, even if you push it to the garden with this thought alone. Listen to the “message” from the garden and compare it with your own thoughts.
At the end of the dialogue, I think that the garden that has been created is not only “selfish” but also “myself living in harmony with the environment”, and it is a very unique garden. I think that "the real choice" was made when the garden was completed.

"Voice of the heart" is the original voice.
Natural garden is a garden environment created from such a “voice of heart”.
Furthermore, it's not even the garden we suggest.
There is no “wrong” or “right”.
However, it is an environment where my inner surface appears in the table.
I think each person creates a different garden. It is an original garden only for me.

“Environment” is exactly the world where my inner surface appears.
The garden is a “small one's world” that coexists with creatures beyond the “seed” other than yourself.

In the past, there was racism in the world. In addition, the same person was conscious of the “differences” such as tribal discrimination, status discrimination, gender discrimination, discrimination between rich and poor, and discrimination of values.
I think that there is still a sense of that, but it will become increasingly difficult to continue living with a sense of discrimination.
“I” and “you” are different and it is natural. There is no “superiority” there. There is only a “difference”.

I don't think that "humans" and "microorganisms" are superior to "animals" and "plants". There is only a “difference”.
“Ecosystem” requires all of that. Something affects something and keeps the balance in relation. I think everything is “necessary” and there is no waste.

Isn't it the discrimination of “species” that is being questioned now? You may think that “discrimination of 'species' is not lost, even though discrimination between humans will not disappear," but the consciousness that 'animals and plants are inferior to humans and can be treated as you like' In the light of nature's providence, I think that it will return to us as it is.
Not knowing that the natural system of “ecosystem” is “making ourselves alive” is no different from breaking your feet on your own.

The “garden” is the world of life other than yourself and yourself. I think that the feeling of valuing that world is that of valuing yourself.
And that will surely spread to the big problem of “global environment”.
May your world be wonderful.


Thank you for reading the sixth tea party e-mail magazine.
This is the end of the e-mail magazine.

I was able to share my thoughts with you, but how was it?
I am still not completely able to live my ideal life, and there are many mistakes and mistakes.
It's true that there are so many things you don't know, and of course you can only live while putting a burden on the environment.
“I ’m doing what I can do while having fun.”

I feel that “enjoying” is especially important.
If there is no “fun” when touching the garden, it will be “falling down”. If "life" itself is not fun, there is no joy of living.
I think I can afford it, and that ’s why I can only consider “others”.
I think that it would be the most ideal if we can use the “catch ball” in the garden as a garden when touching the garden.
I feel that plants are lovable and generous, so they always accept their mistakes and stupidity, forgive and heal them.
What I can do is to thank them and have a feeling of giving back because I can do just a little.

There will be time available on the day, and since it is a tea party, I would like to hear from you not only from one direction, but also various opinions.

I'm looking forward to seeing you on the day.
Thank you very much.

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