本格的な日本庭園@姫路市 自然の意図と人間の意図



先の姫路市の記事の続きです。
早めに続きを書かないと、つい忘れてしまう事もありますので、早速ですが続けます。

庭仕事はやっていてとても楽しいです。
剪定や掃除は場の整理ですので、心の整理や佇まいを正す効果もあります。
綺麗になると気持ちもスッキリとして、自分自身も本当に心地良くなります。
掃除や片付けが精神的にもたらす効果はとても大きなものがあると実感します。
内(心)と外(環境)は確かに繋がっていて、外(環境)がもたらす心への作用はとても大きなものがあると感じます。

さて、そしてこちらの現場でも許可を頂いて剪定枝を木の根本に敷き込ませて頂きました。
ご理解頂ける事は、本当に有り難く、嬉しい事です。本当に感謝致します。
この事への理解は、できるようで簡単には出来ないものだと思います。
普通の方にとっては、おそらく今までの常識をひっくり返される様な事柄ですので、それを受け入れて頂けるという事は、受け入れるお施主様にとっても、とても思い切りが必要な事柄なのかもしれません。
それを考えると、受け入れる準備や心の余裕があるという事が「すごいな」と思います。


剪定枝を「ゴミ」と見るか「マルチング材」と見るか、その意識の持ち様で、同じものでもまるで違うものになります。
「ゴミ」という観念は社会や経済が変化し、「使い捨て」の近代文化ができてから生まれたごく近年の観念だと思います。
江戸時代のリサイクル文化では「ゴミ」という観念は無かったかもしれません。
着物にしても、何度もリサイクルされ、最後はボロの雑巾になり、燃やされて(綿や麻は植物ですので)煮炊きや暖房や照明の燃料となり、その灰は田畑の肥料や掃除に利用されました。
それは日本人の精神性でもあったのだと思います。

世界中を巻き込むこの「近代化」や「グローバリズム」は、様々な地域文明を消滅させ、文明の統一化を目指して進められて来ましたが、この事がもたらす弊害は重要な文化や精神性の損失に繋がっていると感じます。
「大切なものを失った」または「忘れてしまった」世界では、核廃棄物を含めた「ゴミ」が山のように廃棄され、環境を汚染し続けています。
そして私たち(一般市民)は、その事に気づき始めています。「何か大切なものを置き去りにしている」という感覚。

剪定枝のマルチングを受け入れて頂けるその想いの中には、そういう感覚があるのではないかと思います。

この剪定枝のマルチングについては別の記事で詳しく書いていますので、そちらを参考にして頂けたらと思います。



剪定枝のマルチングにしても、「自然の意図」で見れば、それは必然的な事柄です。
自然の中では木が落とした枯れ枝や枯れ葉は、誰も掃除などしません。
それらは人間のかわりに「分解者」である昆虫や微生物によって分解され、豊かな土となって、また植物に還元されます。
地面に落ちたそれらの枝葉は木や環境にとって「必要だから落ちる」様になっています。
生物的循環。
「人間の意図」を持ち込むという事は、それが「自然の意図」に即したものであれば問題ありませんが、「自然の意図」に反したものであれば、そこで自然の成り行きや循環を阻害するものとなってしまいます。
自然がつくりあげた「システム」は全てが「必然」で繋がり、無駄なものが一切ない(ゴミが一つも出ない)完璧な「システム」です。
そこに「人間の意図」を持ち込み「ゴミ」を生産する。
自分が庭仕事で何か「しこり」があると感じるのはこの事です。

現代の「環境づくり」の考え方は「人間の都合や快適さ」のみを追求し、消費を軸とした「企業や経済の都合」に合わせた環境づくりになっているように思います。
「企業」という経済の主役を社会の中心に据え、そこに依存する社会。
経済的な発展に価値を置く社会は、自然や環境に配慮する事もなく、自然から搾取するばかりです。
そこに「自然の意図」を汲み取った配慮を見つける事はとても難しい事だと思います。
自然に触れる事なく育った世代や地域の人は、この事でさえ理解するのが難しいのかもしれません。

「経済を優先させるのは当たり前」だと考えられています。
そしてそれは「そうしないと生きていけないという社会のシステム」が出来上がっている事に原因があると思います。
「仕事をしてお金を稼がないと生活ができない」というシステムは、近代文明がつくり出したシステムです。
「お金」という幻想を生み出し、それに価値を与え、それを皆んなで信じる事によってそのシステムは成り立っています。
「意図」は意識の中で生まれ、それを「創造」して行く。
このシステムも紛れもなく「人間の意図」がつくったシステムであり、それを受け入れている事で成り立っているシステムです。
しかし、それは「変えよう」と意図すれば変えられる事柄でもあると思います。「自分たちでつくったシステム」ですから。

しかし一方で、そんな中でも世界で見れば、若い世代の方々の中にも、環境についての意識の高い人たちも多くなって来ている様です。
積極的にアウトドアに出たり、旅をしたり、小さく暮らす選択をしたり。働き方も企業に依存する事なく多様な働き方になって来ています。
それはどちらかというと日本や東洋の文化だと思うのですが、世界的に今の時代はその「二極化」がとても顕著になってきている様に思います。
「衣食住」の生活全般に対して、既存の価値観に捉われずに自分の主張やライフスタイルを持ち、それを「生き方」として実践する。
数で言えば、まだまだ少ないかもしれませんが、これからはもっと多くなってくるのではないでしょうか。
その価値観は「お金」や「経済」を中心としたものではなく「精神性」を中心としたものだと感じます。
「何を自分の人生の中心に置くか」で、そのライフスタイルも一様では無くなります。
これからは「経済」だけが価値の中心では無くなり、様々な「価値観」や「多様性」が今まで以上に増えるのではないかと思います。
日本も少子高齢化が進み、海外からの労働者や移民が増えれば、その価値観を受け入れる事になると思います。
そして、それらがお互いに尊重し合いながら「共生」する事は「自然の意図」そのものだと思います。



「自然の多様性」は「違う種」「違う生きもの」どうしが共生する仕組みです。
そして、そこには「自然の意図」しか存在しません。
人間と違い、昆虫や動物は本能的な脳に従い本能的な活動をしています。それらの「本能」は「自然の意図」と密接な関連があるように思います。
「生きる」事と「子孫に情報を繋げる」事は生物の本能です。それは「生きものに備わった自然の意図」とも言えるのではないでしょうか。
一方、人間は大脳が発達し、その行動も観念や思考が大きな割合を占めています。
高度な社会をつくり、規則やルールを設けます。
少し話しが脱線しますが(もうしているかも・・・)その中でも日本は特に、とてもルールの多い国だと感じます。
一昨年だったかな? インド旅行から帰ってきた時はあまりの雰囲気の違いにしばしぼう然となりました。
何かとても窮屈そうな雰囲気が感じられたのです。
何か型にハマり、それを守り、気を遣い、個性を抑えている。そんな雰囲気です。
そして特に「暗黙のルール」というものは日本独特のものではないかと思います(正直、本当についていけません)。
「主張して意見を交わし合う」文化ではなく、「何も言わずに空気を読む文化」とでも言うのでしょうか。
自分は幼少の頃から、それに馴染めずにとても苦労した想いがあります。海外の文化に触れたりすると、そのあっけらかんとした主張や意見にホッとします。
思いっきり「自分を表現している」のです。タトゥーとかは普通の事に思えます。「あなたは、あなた、私は、私」違って当たり前。そして、それをお互いに尊重する。
日本ではタトゥーがあれば温泉に入れませんし、白い目で見られますよね。
人と違っていたり、主張が強いと、とにかく生きにくい国だと感じます。

インドは「皆んなと同じような感じでなければいけない」という日本人独特の価値観とは明らかに違っていました。
とっても気楽でした。スーツ姿のビジネスマンや白髪の仙人や白人のヒッピーやサリーを着たおばちゃん、Tシャツと短パンのオッサン、裸の子供、普通の旅行者、犬、猫、牛、猿、ニワトリ、ヤギ、羊なんかがごちゃ混ぜにひとっところ(例えば街の交差点とか)に同居しているのです。
そして大都会の幹線道路でも交差点に信号はありません。
動物と人間と車やバイクなどが、それぞれにタイミングをみて行き交います。
牛は信号なんて守らないのでそんな交通ルールも意味がないのでしょう。
「なんでもありか?」ってなりますが、それが事故を起こさずに上手く機能しているのが不思議であり、とても興味深かったです。


インドという国は世界の中でも一味違うのかもしれませんが、多様な国籍や人種が混在し、全く違う世界観や宗教観を持ち、その中で暮らす大陸の国の人々は、その考え方も日本人とは根本的に違うのかもしれません。
島国であるこの国(日本)は、外から見ると、とても小さくて、独特の雰囲気の国だと感じます。


「常識」は時代と共に変化します。 例えば、昔のトイレは和式のボットン式の便所でした。
江戸時代ではそれを回収して田畑に肥料として使い、糞尿は有料で買い取ってもらう仕組みでした。
それが、上下水道が整備され、田畑の肥料は薬品会社が作る「化学肥料」にとって変わり、お金を払って水を飲み、お金を払って排泄物を処理してもらうシステムになりました。そしてそれは「常識」として受け入れられています。
そこに「疑問」を持つことは滅多にしません。
しかし、その事をよく良く考えた時、「それで良かったのか?」という「疑問」も出てきます。
上下水道の整備は、便利さというメリットと引き換えに、地力(有機肥料分)の低下や経済的負担、化学物質(化学肥料や農薬)による土壌、河川、海洋の汚染、浄化水道水による健康被害(フッ素やカルキ(塩素)など)、井戸文化の消滅、それによる地下水の衰弱、それによる土砂災害や環境破壊、水道事業の独占や操作など、本来は安全で無料であるはずの「飲み水」というものが、誰かの支配独占の元、安全だと思い込まされて、有料で提供されるものとなっています。
しかも湧き水や井戸に比べて災害に弱いです。
よく考えると「管理」され、「支配」され「搾取」されているのに、そこに何も疑問を持つことはありません。

とにかく「価値観」や「常識」「ルール」というものは社会の変化によってその社会から提供され、それを何となく受け入れ、そしてそれは常に変化して行くものです。
国や地域によっても違います。
インドの道に当たり前に落ちている牛の糞は、日本では「ルール違反」になるのかもしれません。

自分の信じている「ルール」も、他の国や他の価値観から見れば、それが正しいとは言えない場合もあります。

「人間の意図」はその時代や社会の「常識」や「ルール」が反映されたものであり、それが本当に暮らしや環境に有益な事なのかは本当に疑問です。

「自然の水や土にはバイ菌が居るから汚い」という「常識」。

「では、それらを汚したものは何ですか? そして、どうして汚れるのですか?」


「疑問」さえ持たずに、それを受け入れる事は、とても危険な事かもしれません。
「この社会は何処に向かって進んでいるのだろうか?」と足元を見てみる事も大切な事のように思います。



「人間の意図がつくる環境」は「自然の意図がつくる環境」とはかけ離れている事を認識する必要があると思います。
テレビを見ないので良くは知りませんが、環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんという高校生の方は、マスコミからとても叩かれているみたいですね。
経済や政治や世の中のシステムに逆らう思想は、いつの時代でも大きな圧力によって迫害されて来ました。
グレタさんが本当はどんな人なのかは分かりませんが、まだ16歳の高校生の女の子が、もしも世界的な吊し上げに遇われているのであれば、彼女は「本物の活動家」なのではないでしょうか。
「環境活動」もビジネスになり得ます。
「エコ」もビジネスになり得ます。
そんな企業や人も沢山居ると思います。
しかし、自分の利益をかえりみずに「本物の主張」をし、その影響力が大きくなれば、それは必ず「標的」にされると思います。それが「本物の証」であるように感じます。
ガンジーもマンデラ大統領もジョンレノンも、本物の人たちは皆んな「大きな力」によって迫害されました。
この時代、このような大きな活動は、起こるべくして起こり、摩擦を生むのだと思います。



「人間の意図」が「自然の意図」と寄り添う時、それはガンジーが為し得た人権革命になり、ジョンレノンが為し得た意識革命になり、マンデラ大統領が為し得た人種革命になるのだと思います。

気候変動を伴う地下資源を主なエネルギーとして使う文明には「限り」があります。
自然環境を破壊し、生態系を傷つけ、自らの首を締めるシステムです。
その事をグレタさんも訴えているのだと思います。
「持続不可能」なものごとには、当然ながら必ず「終わる時」が来ます。

人間がそれを続けようとしても、「自然の意図」がそれを妨げるかもしれません。
それは「災害」であり「気候変動」であり「病原菌」であり「経済恐慌」かもしれません。
それも「自然の意図」と言えるのかもしれません。
何かが「終わる」のであれば、それは「必ず終わる」のです。



考えなければいけない事は「終わらせない」事ではなく「どう終わらせるのか」ではないでしょうか。
そして、その後「何をつくり上げていくのか」という事ではないでしょうか。
「今までの続き」ではなく、「社会」も「経済」も「環境」も、今までとは全く違う(あるいは真逆の)ものをつくる必要があると思います。

「自然の意図」に寄り添った社会。
多様性が尊重され、個人がその個性を発揮でき、
願った生活や人生を思い通りに生き、
豊かな自然と清潔な水と土と空気があり、
生活に必要なものは環境を破壊せずに、安全なまま全て無料で自然からまかなえ、
時間に縛られず、国や地域に縛られず、
自由が得られ、愛に溢れた社会。

そういう社会に暮らしたい!!
本当に心底そう思います。



本当に「何のブログだろう?」という感じですが、「意図」が沢山集まればそれは「大きな想い」として、とても大きな力を持つと思います。
「こうしたい」という「意図」は現実の環境をつくりだす「力」を持っています。
これは夢物語でもなんでもなく、「現実の事」で「今まさに起こっている事」だと思っています。

「私は現実の話しをしているのです」とここにしっかりと明記しておきます!
そして、この時代の変わり目に2つの「選択肢」がある事も事実です。
どちらを「選択」するのか?

本当に「真剣に考えなくてはいけない問題」だと思います。




この池の真ん中には丸い水溜りがあり、そこに大きなトノサマガエルが住んでいました。
作業をしていると「何事ですか?」というふうに様子を見ては、さっと隠れてしまう感じで、その姿は写真にはおさめられませんでした。
「主(ぬし)」と勝手に名前を付けて4日ほど通っている間、わりと仲良くやっていけたと思っています。
作業が終わり、静かになって、「ぬし」もホッとしている事でしょう。
今度行った時にも、また居たら良いのになと思います。







It is the continuation of the article of the previous Himeji city.
If you do not write the continuation early, you may forget it, so we will continue immediately.

I enjoy doing garden work.
Since pruning and cleaning are the arrangement of the place, it also has the effect of organizing the mind and correcting the appearance.
When you become beautiful, your feelings will be refreshed and you will be really comfortable.
I realize that the mental effects of cleaning and cleaning up are very large.
The inside (mind) and the outside (environment) are certainly connected, and I feel that the outside (environment) has a very large effect on the mind.

Well, and with permission here, we pruned the branches into the roots of the trees.
It is really thankful and glad that you can understand. I really appreciate it.
I don't think it's easy to understand this.
For ordinary people, it is probably a matter that will overturn the common sense so far, so accepting it may be a very necessary matter for the owner who accepts it.
With that in mind, I think it's awesome to be ready and ready to accept.


Whether you see pruned branches as "garbage" or "mulching material", you have the same consciousness, and even the same thing is completely different.
I think the idea of ??"garbage" is a very recent idea that has been born since the social and economic changes and the modern culture of "disposable".
The idea of ??"garbage" may not have existed in the recycling culture of the Edo period.
Even kimonos are recycled many times, eventually turned into rags, burned (because cotton and hemp are plants), used for cooking, heating and lighting, and the ash is used for fertilizer and cleaning in fields. it was done.
I think that was also the spirit of the Japanese.

This “modernization” and “globalism” involving the whole world has been pursued to annihilate various civilizations and unify the civilizations. I feel that this has led to the loss of
In a world where you have lost or forgotten what is important, garbage, including nuclear waste, is being disposed of like a mountain and continues to pollute the environment.
And we (the general public) are starting to notice that. The feeling of "leave something important".

I think that there is such a feeling in the feeling that you can accept the mulching of pruned branches.

I've written in detail about this mulching of pruned branches in another article, so I hope you can refer to them.



Even when mulching pruned branches, it is an inevitable thing in terms of "natural intentions".
In nature, nobody cleans dead branches and dead leaves dropped by trees.
They are decomposed by insects and microorganisms, which are "decomposers", instead of humans, turning them into rich soil and returning to plants.
Those branches and leaves that fall to the ground are "falling as needed" for trees and the environment.
Biological circulation.
There is no problem with bringing in "human intentions" if it is in line with "natural intentions", but if it is against "natural intentions", it impedes the course and circulation of nature there. Will do.
The "system" created by nature is a perfect "system" that is connected by "necessary" and has no waste (no garbage).
They bring in "human intentions" and produce "garbage".
This is what makes me feel that I have some "lumps" in gardening.

I think that the idea of ??modern "environment creation" is to pursue only "human convenience and comfort" and create an environment that matches consumption and "business and economic convenience."
A society in which the leading role of the economy, called a "company," is placed at the center of society and depends on it.
A society that values ??economic development only exploits nature without regard for nature or the environment.
I think it is very difficult to find considerations that draw on the “natural intentions” there.
Generations and locals who have grown up without touching nature may find it difficult to understand even this.

"It's natural to put the economy first."
And I think that the cause is that the "social system that can not live otherwise" has been completed.
The system that “you cannot live without working and earning money” is a system created by modern civilization.
The system is created by creating the illusion of money, giving it value, and believing it all.
"Intention" is born in consciousness and "creates" it.
This system is undoubtedly a system created by "human intentions", and it is a system based on accepting it.
However, I think it can be changed if you intend to "change." Because it's a system we made ourselves.

On the other hand, however, looking at the world, it seems that among young people, there are many people who are conscious about the environment.
Actively going outdoors, traveling and choosing to live small. Work styles have become diverse without depending on companies.
I think it's more of a Japanese or Oriental culture, but in today's world, it seems that the "polarization" has become very noticeable.
They have their own assertions and lifestyles for the entire lifestyle of “clothing, eating, and living” without being bound by existing values, and practice them as a “way of life”.
In terms of numbers, it may still be small, but I think it will be more in the future.
I feel that those values ??are not about money or economy, but about spirituality.
Depending on what you put at the center of your life, your lifestyle will not be uniform.
From now on, "economy" will no longer be the center of value, and various "values" and "diversity" will increase more than ever.
I think Japan will accept its values ??as the birthrate and aging of the population decrease and the number of foreign workers and immigrants increases.
And I think that it is "natural intentions" that they coexist while respecting each other.



"Natural diversity" is a mechanism in which "different species" and "different creatures" coexist.
And there is only "natural intention" there.
Unlike humans, insects and animals follow instinct brains and operate instinctively. I think those "instincts" are closely related to "natural intentions".
Living and connecting information to descendants are the instincts of living things. I guess it can be called the "natural intention of living things".
On the other hand, human beings have developed cerebrum, and their behaviors are dominated by ideas and thoughts.
Create an advanced society and set rules and rules.
I'm a little off track (maybe I'm already doing ...), but I feel Japan is a country with a lot of rules.
Was it two years ago? 帰 When I came back from traveling in India, I was overwhelmed by the difference in atmosphere.
I felt something very cramped.
I'm addicted to something, protect it, take care, and keep my personality down. It is such an atmosphere.
And especially, the "implicit rules" are unique to Japan (honestly, I can't keep up).
Isn't it a culture of "reading the air without saying anything" rather than a culture of "arguing and exchanging opinions"?
Since I was a child, I have had a hard time without getting used to it. When I touch foreign cultures, I am relieved of their disputed claims and opinions.
He is fully expressing himself. The whole body tattoo seems normal. "You, you, I, I" And respect each other.
In Japan, if you have a tattoo, you can't enter the hot spring and you can see it with white eyes.
If you are different from others or have strong claims, you feel that it is a difficult country to live.

India was clearly different from the unique Japanese values ??of "must be like everyone".
It was very easy. Businessmen in suits, hermits in gray hair, aunts in white hippies and sari, ostensions in T-shirts and shorts, naked children, ordinary travelers, dogs, cats, cows, monkeys, chickens, goats, sheep, etc. They live together in one place (eg, at a city intersection).
And there are no traffic lights at intersections even on the main roads of big cities.
Animals, humans, cars, motorcycles, etc. come and go with their respective timings.
Since cows do not keep signals, such traffic rules would not be meaningful.
"What is there?", But it was strange that it worked well without causing an accident, and it was very interesting.


The country of India may be a bit different in the world, but people of continental countries who live in a mixed world of different nationalities and races, have completely different views of the world and religion, It may be fundamentally different from Japanese.
When viewed from the outside, this island country (Japan) feels very small and unique.


“Common sense” changes with the times. For example, the old toilets were Japanese-style botton-type toilets.
In the Edo period, it was collected and used as fertilizer in fields, and manure was purchased for a fee.
The water supply and sewage systems were improved, and the fertilizers in the fields were replaced by chemical fertilizers made by pharmaceutical companies. They paid money to drink water and paid money to process excrement. And it is accepted as "common sense".
I rarely have a "question" there.
However, when I think about that, I get the question, "Is that okay?"
In exchange for the merit of convenience, the improvement of water and sewage will reduce the soil strength (organic fertilizer content), reduce the economic burden, pollute the soil, rivers and oceans with chemical substances (chemical fertilizers and pesticides), and damage health due to purified tap water. "Drinking water" that should be safe and free, such as the disappearance of well culture (fluorine and chlorine (chlorine), etc.), the resulting weakness of groundwater, landslide disasters and environmental destruction, and the monopoly and operation of water supply businesses That is, under the dominance monopoly of someone, it is assumed that it is safe and it is offered for a fee.
Moreover, they are more vulnerable to disasters than spring water or wells.
When you think about it, it is "managed," "dominated," and "exploited," and there is no question there.

Anyway, "values", "common sense" and "rules" are provided from the society by the change of the society, somehow accept it, and it is always changing.
It depends on the country and region.
Cattle droppings that are common on Indian roads may be a "rule violation" in Japan.

The "rules" that you believe may not be correct in terms of other countries or other values.

"Human intentions" reflect the "common sense" and "rules" of the era and society, and it is really questionable whether it is really useful for living and the environment.

"Common knowledge" that "dirty because there are germs in natural water and soil".

"So what's the thing that made them dirty? And why do they get dirty?"


Accepting it without even having a "question" can be very dangerous.
It's also important to look at where you are heading, "Where is this society going?"



I think it is necessary to recognize that the environment created by human intentions is far from the environment created by natural intentions.
I don't know because I don't watch TV, but a high school student named environmental activist Greta Thunberg seems to have been beaten by the media.
Thoughts against the economy, politics and world systems have always been persecuted by great pressure.
I don't know who she really is, but if a 16-year-old high school girl is still being lifted worldwide, isn't she a "real activist"?
"Environmental activities" can also be a business.
"Eco" can also be a business.
I think there are many such companies and people.
However, if you make a "real claim" without looking back on your own interests, and you have a greater influence, it will always be a "target." It feels like it's "real proof."
Real people, Gandhi, President Mandela, and John Lennon, were all persecuted by "great power."
In this era, I think that such a big activity will happen and create friction.



When "human intent" snuggles with "natural intent", it becomes a human rights revolution that Gandhi could do, a consciousness revolution that John Lennon could do, and a racial revolution that President Mandela could do. I think it will be.

Civilization that uses underground resources accompanying climate change as its main energy has "limits".
It is a system that destroys the natural environment, damages the ecosystem, and tightens its own neck.
I think Greta is also appealing that.
Everything that is “unsustainable” naturally has an “ending time”.

Even if humans try to keep it, "natural intentions" may prevent it.
It is "disaster", "climate change", "pathogen" and "economic crisis".
It may be called "natural intention".
If something ends, it ends.



What we have to think about is not "do not end" but "how to end".
And then, isn't that what we are going to make?
I think it is necessary to create something that is completely different (or vice versa) from the past, not the continuation, but also the society, economy, and environment.

A society that is close to "natural intentions."
Diversity is respected and individuals can demonstrate their personality.
Live your desired life and life as you wish.
There is rich nature, clean water, soil and air.
Everything you need for life is safe and free from nature without destroying the environment.
Not bound by time, not bound by country or region,
A society full of love and freedom.

I want to live in such a society! !
I really think so.



It really feels like "What blog is it?", But if there are a lot of "intentions", it will be a "great feeling" and I think it has a very big power.
The “intention” of “like this” has the “power” to create a real environment.
I don't think this is a dream, but a "real thing" and a "what is happening right now."

"I'm talking about reality," he states clearly here!
And it is also true that there are two "options" at the turn of this era.
Which one to "select"?

I think it's really a matter of serious consideration.




In the middle of this pond was a round puddle in which a large frog lived.
When I was working, I saw something like, "What's the matter?", And it seemed like I was hiding quickly, and that figure wasn't included in the photo.
I named myself "Nusushi" and arbitrarily got along well for about 4 days.
The work is over, you're quiet, and you're relieved.
I wish I was there again the next time I went.

本格的な日本庭園@姫路市 「意図」が環境を造る



姫路市のお庭です。
とても本格的な日本庭園で、お家自体も昔ながらの古くからある集落に建てられた立派な日本家屋です。



植えられた木も松やカイヅカ、ツツジなど、日本庭園では定番の風土によく合うものばかりです。
年をとる事に、経験を重ねる事に、日本の気候には日本庭園で使う日本の自生植物がいちばんしっくりと馴染むし、生き生きと丈夫で、花や実も良くできると改めて思います。



山、谷(川)、池(海)、平野。
南に設けられた縁側から庭を眺めると、山から谷川が海に注ぐ風景が見事に造形されています。



土を盛り、石を組み、池の縁を回って小さく回遊できる造りです。
一つ前の明石市のお庭と同じ様に「回遊式」の造形です。
「回遊式」の日本庭園は兼六園や後楽園など「名園」とされる日本庭園の代表的な造りで極楽浄土を再現した世界だと言われています。
自然の姿をそのまま庭に落とし込み、浮き世(現実世界)に浄土(仏や菩薩が暮らす場所)の世界を表現したものです。
日本庭園の根本はその「浄土の再現」というものであり、日本人の精神性や風習に深く根ざしたものです。


庭への入り口には門担ぎの立派な黒松が仕立てられています。
こちら(現実世界)から、あちら(浄土)への入り口として、この立派な黒松がその境界を示している感じです。



仕立て方としては、いつの頃からか一般的になった「玉刈り」というやり方で仕立てられていました。
今回は初の管理作業という事で、基本的に現状に即した作業をして行きます。
ただ、全てを玉刈り状態にはせず、風通しを考慮して、枝抜きや散らし剪定も混ぜながら作業を進めます。
一気に形を変えずに、少しづつ自然形に戻して行ければと考えています。



古来の日本庭園も、本来は自然形の姿を維持していたのでは無いかと考えます。
「刈り込み剪定」は、例えば西洋のお城とか、生垣、お寺のツツジの大刈り込みなど、何か「緊張」を強いる様な場面で用いられる方法で、仕事をしたり、修行をする環境では良いかもしれませんが、リラックスしたい環境では、あまりふさわしくない様に思います。

松も本当はもっと自然形でも良いと思います。
絵に描いたような松も綺麗ですが、自然形の姿は本当に綺麗です。
庭木の松で自然形はほぼ見ることはありませんが、海岸の防風林や山や公園などでは自然形のままの佇まいを見る事ができます。
柔らかさ、しなやかさ、力強さ。それは「松」本来の美しさだと思います。



伸びている一芽一芽が一本の松の木の様です。

作業前にこんな事をいろいろと感じながら、庭を眺めています。
これからお施主様や自分の「意図」を持ち込み、この風景を造形して行くのだという思いです。
「環境」に対して「こうしよう」という「意図」を持ち、そういうエネルギーを向ければ、「意図した環境」が創り出される。
当たり前の事と言えば当たり前の事ですが、「ふむふむなるほどね」と改めて思うのです。
「意図したもの」が「現実を創造して行く」。
今の自分や自分達が暮らす「環境」というものは全て自分(個人)や自分達(集団意識)が「意図」した様になっている。という風に改めて思うのです。
環境問題について、いろいろと考えていますが、全てはこの「人間の意図」によって、この環境は造られているという事ですね。



ではどうすれば、気候変動や環境汚染を含む様々な環境の「危機的状況」を解決することができるのでしょうか。
答えはすごくシンプルで「良い環境にしよう」という「意図」を持つ事だと思います。
仏教では「依正不二[えしょうふに]」という考え方があります。「正報[しょうほう](自分)」は「依報[えほう](自分を取り巻く環境)」とは一見別のもののように思うが、二つは分かち難く関連している。という考え方です。「報」とは報い(結果)の事です。
昨年から始めたヨガの思想にも同じ思想があります。
「今に居る」という瞑想の状態は、「本来の自分(豊かで不足のない自分)」を見出すこと(ヨガ初心者の見解ですが)だと思うので、自分や環境に不足を感じたりしている時点で、自分も、それを取り巻く環境も「その様になって行く」という事だと思います。
考えてみればお釈迦さんもインド人でヨガの修行をしていたので、こういう考え方は古代(約5,000年前)のインド哲学からずっと続いている「この世界の仕組み」みたいな思想では無いかと思います。
もしかすると、それ以前の文明でもそういう思想はあったのかもしれません。

ただ本当にその「意図」を現実の環境に反映させようと思えば、それはそういう考え方を「知っている」とか「理解している」だけでは何の役にも立たないと感じます。
自分事ながら「それをやってる(行動に移している)」状態でないと自分を取り巻く環境は何も変わらないと感じます。
日々、自分はそれをやれているのか、観念だけでは無いのか、それを自分に問いながら、行動も気持ちも「外の環境」に振り回されたり、影響されたりしながら実践してみているところです。
「内側の環境(心の状態、意図)」が外側の環境を創造している。その具体的な実践は、常に外からの影響に左右されがちな自分を見つめる事でもあります。
良い感じだなと思える時もあれば、何かや誰かに影響され、不安や心配、怒り、悲しみ、などにとらわれて右往左往してみたり。
そしてまた瞑想や祈りで自分をリセットして行く毎日です。



いつもながら、話しが庭仕事の事から大きくズレてしまいましたが(笑)、もうあまり気にしないで行きます。
読んで頂けるのも良し、読んで頂けないのも良し、ですから。



旺盛に伸びていた枝を整理して行くと、だんだんと庭の形が見えてきます。
この庭を造った人の「意図」も読み取れるようになって来ます。
池の周りを石で囲い、対岸に灯籠を配してそこから山を望み空を見る景色です。
もしこれが庭の外に実際の山が望めたなら借景として素晴らしい景観になると思います。
その場合は、自分ならもっと木の数を減らして間合いを多く取ると思いますが、実際には集落の建物がありますので、これくらいの植栽量が必要なのでしょうね。
あるいは、造られた当初は奥のモクセイやウバメガシはもっと大きく仕立てられていたのかもしれません。
道路に面した南側はどの木にも傷みが出ていましたし、剪定も押さえ気味に強く手入れされていました。
庭木は年数が経つとだんだん大きくなりますので、強く剪定や伐採をされる事が多いですが、事情が許せば、あまり強剪定はせずに育ててやれればいいと思っています。



歩く場所や使う場所はその用途に合わせて草や低木の管理をする(現状に戻す)必要はありますが、眺める景観に関しては経年につれてその景観は変化して行くのが自然な事だと思います。
大きくなる木を植えれば、その環境に合わせて木は育ちます。
低木は木陰になれば勢いを弱めるかもしれません。
それぞれがお互いのバランスを保ち、枝を伸ばしたり、落としたりして空間を共有するようになります。



それが「自然の意図」であり、自然そのものです。
いつも山の景観と比べてしまうのですが、「人間の意図」を加えた景観と「自然の意図」が造った景観では、やはりその美しさは比べものになりません。
どれだけ自分達が技を使って手入れをしても、そこに「人間の意図」が入ると、それはもう「自然」ではなくなります。
そしてそれは、当たり前ですが「自然」では無いのです。
それが「自然」と「庭」との違いです。
自分はよく「庭仕事に不向きなのではないか?」と考えることがあります。
お施主様の「意図」を聴き、それを庭に造ることは「とても不自然なこと」と感じるのです。

勿論、それが悪いことではありません。
お施主様には「意図」があり、それを実践するのが庭師の仕事ですので、当たり前の事をやっている訳です。



しかし心の何処かで「不自然なこと」をしている自分を感じるのです。

お施主様には喜んで頂けますし、その事は自分にとっても、とても嬉しいことです。



それで良いのだと思い、そうやっているのです。



建築やアートと同じように造園を考えると「意図」を庭に持ち込む事はとても当たり前の事だと思います。
そもそも、それが「庭」なのだと思います。

ただ、ここ数年の心境の変化の中で、以前は「当たり前」だと思っていた事が「当たり前ではない」と感じることが多くなりました。



「意図を表現する」という事柄で言えば、良い感じに仕上がった、と言えると思います。


風通しも良くなりましたし、見た目にもスッキリしました。
悪くない仕上がりです。
ホントに。

そうですね、長くなってきましたし、今回はこの辺にしておきましょう。
もう少し、頭の中をまとめてから続きを書きたいと思います。
ネガティブな事ではありませんので念のため。
なんでしょう、なにか「しこり」みたいなものを感じるのです。

ではまた、改めて続きを書きます。






It is a garden in Himeji city.
It is a very authentic Japanese garden, and the house itself is a fine Japanese house built in an old-fashioned settlement.



Planted trees, such as pine, kaizuka, and azalea, are all well suited to the classic climate in Japanese gardens.
As I grow older and gain more experience, I think that the Japanese native plants used in Japanese gardens are the most familiar with the Japanese climate, and that they are lively, durable, and that flowers and fruits can be improved.



Mountains, valleys (rivers), ponds (sea), plains.
Looking at the garden from the southern side of the porch, the landscape where the valley river flows from the mountains into the sea is beautifully shaped.



It is a structure that can be filled with soil, assembled with stones, and moved around the edge of the pond.
Just like the previous Akashi garden, it is a “migration style” model.
It is said that the Japanese garden of the “migration style” is a world that reproduces the paradise of the paradise with the typical structure of a Japanese garden that is considered a “renowned garden” such as Kenrokuen and Korakuen.
The natural form is dropped into the garden as it is, expressing the world of the Pure Land (where Buddhas and Bodhisattvas live) in a floating world (real world).
The root of the Japanese garden is the "reproduction of the Pure Land", which is deeply rooted in the spirit and customs of the Japanese people.


At the entrance to the garden is a splendid Kuromatsu that is carried by the gate.
From here (the real world), as a gateway to that (Jodo), this fine Kuromatsu feels the boundary.



As a tailoring method, it was tailored in a way that was generally known from some time ago, called “gama cutting”.
This time it is the first management work, so we will basically work on the current situation.
However, we do not cut everything in the state of cutting, but we work while mixing pruning and scattering pruning in consideration of ventilation.
I want to return to the natural form little by little without changing the shape at once.



I think that the ancient Japanese garden originally maintained its natural form.
"Pruning" is a method used in situations where you need to "tension" something, for example, when you are cutting a large azalea in a western castle, hedge, or temple, and it is good for working or training environments. Perhaps, but in a relaxed environment, it doesn't look very appropriate.

I think pine can be more natural.
The pine like the picture is beautiful, but the natural form is really beautiful.
You can hardly see the natural shape of the garden pine, but you can see the natural shape in the coastal windbreaks, mountains and parks.
Softness, flexibility, strength. I think that is the original beauty of "pine".



Each growing bud is like a pine tree.

I'm looking at the garden while feeling various things before working.
From now on, I want to bring in the owner and my own “intent” and shape this landscape.
If you have the "intention" of "this way" to the "environment" and direct such energy, you will create the "intended environment".
Speaking of course, it is a matter of course, but I think again, "I'm sorry."
“Intentional things” “create reality”.
Everything about the environment and the environment in which we and ourselves live now is as if ourselves (individuals) and ourselves (group consciousness) had intended. I think again.
I'm thinking a lot about environmental issues, but everything means that this environment is created by this "human intention".



So how can we solve various environmental “crisis situations” including climate change and environmental pollution?
I think the answer is very simple, with the "intention" to "make a good environment".
In Buddhism, there is the idea of ??"Eshofuni". "Shoho (self)" seems at first glance to be different from "eho" (environment around me), but the two are hardly related. Is the idea. "Rewards" are rewards (results).
The same is true of the yoga philosophy that we started this year.
I think that the state of meditation "I am now" is to find "real self (rich and complete lack of self)" (it is a view of a beginner of yoga), so I feel lacking in myself and the environment At one point, I think that myself and the surrounding environment are going to be like that.
If you think about it, Buddha also practiced yoga as an Indian, so I think that this kind of thinking is like "the mechanism of this world" that has been continuing since ancient (about 5,000 years ago) Indian philosophy. You.
Perhaps even earlier civilizations had such an idea.

However, if you really want to reflect that "intention" in the real environment, it feels that simply knowing or understanding that idea does not help.
I feel that the environment surrounding me will not change unless I am in the state of doing it (taking action) while doing myself.
Every day, I am asking myself whether I can do it or not only the idea, and I am trying to practice while acting and feeling are swayed and influenced by the "outside environment" .
"Inner environment (state of mind, intention)" creates the outer environment. The specific practice is to always look at yourself, which is often influenced by outside influences.
Sometimes it feels good, others are influenced by something or someone, trying to go right and left with anxiety, worry, anger, sadness, and so on.
And every day I reset myself with meditation and prayer.



As always, the story has shifted a lot because of my garden work (laughs), but I don't mind much anymore.
You can read it, or you can't read it.



As you organize the branches that were growing vigorously, you can gradually see the shape of the garden.
You will be able to read the "intention" of the person who built this garden.
The surroundings of the pond are surrounded by stones, lanterns are arranged on the opposite shore, and you can see the mountains and view the sky from there.
If this were to see the actual mountain outside the garden, I think it would be a wonderful view as a borrowed view.
In that case, I think I would take more time by reducing the number of trees, but in fact there are buildings in the village, so it will be necessary to plant this much.
Or, at the beginning, the back Mokusei and Ubamegashi might have been tailored much larger.
On the south side facing the road, all the trees had been damaged, and pruning had been suppressed and they had been well maintained.
Garden trees grow larger over the years, so they are often pruned and cut down, but if circumstances permit, I would like to be able to grow them without too much pruning.



It is necessary to manage the grass and shrubs (return to the current state) according to the purpose of the place where you walk and use it, but I think that it is natural that the landscape changes over time as you look at it .
If you plant a tree that grows, the tree will grow to fit the environment.
Shrubs may diminish in shade.
Each will maintain their balance and stretch and drop branches to share space.



That is the "natural intention", which is nature itself.
I always compare it with a mountain landscape, but the beauty created by the “natural intentions” and the landscape created by adding “human intentions” are still incomparable.
No matter how much we use the techniques to care for them, once "human intentions" enter them, they are no longer "natural".
And it's natural but not "natural".
That is the difference between “nature” and “garden”.
I often think, "Isn't it suitable for garden work?"
Listening to the owner's "intentions" and creating them in the garden feels "very unnatural".

Of course, that's not bad.
The owner has an "intention", and it is the gardener's job to put it into practice, so he is doing something natural.



But I feel myself doing something "unnatural" somewhere in my heart.

The owner will be pleased and that will be a great pleasure for me.



I think it's good and I'm doing it.



Considering landscaping in the same way as architecture and art, it is very natural to bring "intention" into the garden.
First of all, I think it is a "garden".

However, in the last few years, my mind has changed and what I thought was "natural" before is often felt "not natural".



In terms of "expressing your intentions", I think it's a good feeling.


The ventilation has improved, and the appearance has been refreshing.
Not bad finish.
Really.

Well, it's getting longer, so let's keep it around this time.
I'd like to write a little more in my head before continuing.
It's not a negative thing so just in case.
I feel something like "lumps".

Then, I will write the rest again.

剪定作業@明石市 大いに伸びた木々たち



なかなか記事を書く時間が無くて、紹介したい現場も紹介しきれていないですが、ぼちぼちと少しずつでもUPしていければと思います。

明石市の現場です。
よく茂っています。おそらく5年以上は剪定をせずにいたと思います。
でもそれは決して「悪い事」ではありません。



庭木は、ほぼ本来の自然樹形に戻り、枝葉を縦横に伸ばして、よく見ると隣の木同士の枝はぶつからないように上手く譲り合っています。
「木のてんこ盛り」状態になっていて、個人的には、とても楽しげな感じです。
見ていて楽しくなります。



人を寄せ付けない森のよう。
でもよく見ると入り口があって、この中に入ってみれば、木に囲まれた別世界のようになっています。
「となりのトトロ」でメイが迷い込んだ世界のような感じです。

こんな所に入って行くと変な虫がウジャウジャいるのでは?という想像もされると思います。
この現場は夏に作業させて頂きましたが、これくらいの年数、自然に置かれていると毛虫なども大量発生しなくなり、人の視界でざっと観察する範囲では「何も気にならない」程度になっています。
キャンプ用のコットやハンモックで昼寝しても良いと思える程に清潔な感じです。

もちろん、よく観察すると、驚く程の虫たちが居るはずですが、森の中で虫がウジャウジャ居た、という思いをあまりした事が無いように、一見して、その姿は見当たりません。虫は見えない所に隠れています。
いつもこういう現象は不思議だなと思います。



そして、地面を見ると清潔さも感じます。落ち葉が体積して下の方は腐葉土になっています。
下の土は団粒化していて、雨の浸透性も良く、滞った感じがしない事が「清潔さ」に繋がっているのだと思います。
滞っていないと環境は腐敗せず、発酵します。好気性の菌類が増え、嫌気性の有機ガスも無く、土が熟成されて行きます。
目に見えない世界では環境は「生かし合う」方向へと進んでいます。
そういう環境の中に身を置いていると、とても心地良い気分になります。「昼寝」が出来そうだと思うのもそのせいです。
掃除していない部屋よりも放置した自然環境の方が圧倒的に清潔だと思います。

余談ですが(余談ばかりですみません)土の中には様々な菌類が居て人に有害な種類もいます。
体内に入ると人は免疫力でその力を無力化して害が出ないようにしています。
実際に話を聞きましたが、現代医療ではその菌を入れないか、入ると投薬で良い菌もろとも殺菌する方法が取られます。
免疫力を上げる方法は考えの中に入っていないようです。

現代人は現代生活がもたらす様々な事柄が原因で免疫力が低下していて、有害な菌類に対しての抵抗力が低下しています。
そして、菌類に触れない「殺菌」の考え方はそれを助長しているように思います。

例えば人間の皮膚には様々な菌類がいます。
手のひらの皮膚の1センチ角の面積に約400万個の常在菌が検出されたケースもあります。
全身の皮膚、頭皮、口内、鼻腔内、耳腔内、腸内、肺、血液、リンパ、関節・・・。様々な場所で菌類やウイルスは人体の細胞と共生しています。

その数は人体細胞の数と同じくらいか、それ以上とも言われています。
人体がそういう造りになっている以上「殺菌」の考え方は、この事からしても不可能と言えると思います。
無菌状態がもたらすものは抵抗力のない無防備な状態です。
発想を真逆にして、有用に働く菌類や微生物と積極的に共生する方向へと転換した方が良いと感じます。
免疫力が高いとあらゆる病気に負けない身体づくりができます。



さて、事情が許せば、このまま自然に任せていると日の当たらない下枝は枯れ、その分上へと枝を伸ばし、最終的に木の種類による高低差へと落ち着き、全体のバランスも完全に安定した状態になりますが、住宅地の庭という環境のため、そういう訳にもいきません。

しかし、個人的にはそういう(剪定しない)方向性になれば良いと思っています。
必要最低限の剪定(安全性の考慮)のみを施し、必要以上に伐採する事を見直せば、街全体が剪定という管理作業から解放され、神社や森にあるような大木が街中にあり、森の中に街があるという環境が造られるのではないでしょうか。

実際に林道へ行くと道の脇の大木が両側から枝を伸ばして木のトンネルになっている所が多くあります。
その様な環境は景観的にもとても心地良いですし、自然環境を考えても虫や鳥類などが多く生息できる環境が得られます。
枯れ枝や落ち葉は道路に落ちてきますが、台風など大風が来ない限り生枝が落ちてくる事はありません。
実際にそういう環境になってみれば、スピード優先、経済優先の価値観から、もっとゆっくり、慌てなくても良い社会へと転換できるのではないでしょうか。
日本は世界一働く時間が長い国です。
人生の殆どの時間を仕事に費やしているようです。
自分の事や家族の事よりも仕事を優先する風潮は、まだまだ現代日本の常識として根付いている様に感じます。
「ゆっくり生きる」という事は、何よりも「心を大切に生きる」という事だと思います。
本当に大切なのは、経済よりも「一人ひとりの心(内側の環境)」だと思います。
それを最優先できる社会が「街の環境」という「外側の環境」に現れ始めた時に、「日本も変わり始めたな」と思えるのではないでしょうか。

そして、安全性への考え方にも変化がもたらされ、「殺菌」のような「危険な要素は全て取り除く」という発想自体が見直されるのではないかと思います。
それはリスクを受け入れ、それに害されることの無い環境づくり、リスクよりもそれがもたらすメリットを優先する環境づくりができる社会へと転換して行ける考え方ではないかと思います。
この事は長くなりますので、少しずつ、また別の機会に記事に出来ればと考えています。



自然に最終変遷を任せる事ができれば良いのですが、その期間が数十年かかる場合、今の社会の感覚ではそれは難しい事です。
人為的に剪定をしますが、それでもこの庭が管理されていた時のような状態には戻しません。
それぞれの木の根は枝を伸ばす事でそれに合わせた根を伸ばし、枝や幹も太くなっています。
維持管理されていた当時のサイズでは無理がある事と、既に自然形樹形に戻っている事で、現状に即した剪定をします。
近隣にはみ出している枝を敷地内に収め、混み合っている枝を整理して、光と風を通します。



年に一度のメンテナンスを想定して、その間の伸びしろも考えて剪定をします。
最終的にどれくらいの大きさで管理して行くか、様子を見ながら数年かけてそれを調整して行きます。



とても良い日本庭園です。40年から50年程前に造られたものだと思います。
光も良く入るようになって、風通しも良くなりました。



日本庭園は自然の風景をコンパクトに庭に落とし込んだものです。
海、山、川、平地がスペースに合わせて落とし込まれます。
このお庭にも、手前に池が造られています。
今は水もあまり溜められていなくて上手く使われていない様でしたが、庭に池やビオトープがあると生物の多様性もその裾野は格段に広がります。
その池が浸透性を保った自然に近い池であれば、植生も多様化し、両生類や昆虫の種類も増え、鳥も集まって来ます。
タガメやゲンゴロウといった水生昆虫も都市開発や農薬や街灯などの影響により生育環境が悪化して今はその数が激減し、絶滅危惧種に指定されています。
野生の姿を見たことがある人は少ないと思います。

「庭」という環境は、これからの時代、とても多くの可能性を秘めていると思います。
小さな自然が生き生きと都会の中に点在する事で、綻んで行く生態系の連鎖がまた紡がれ始めるかもしれません。

都市部に造られた庭では杉や檜などの資源木はあまり植えられる事は無く、逆に現在の山よりも植生が多様化すると思います。
平野部では一級河川が街中を巡り、豊富な水と肥えた土があります。
鳥や動物が種を運び、人の営みが無ければ、あっという間に平野部は森になると思います。
例え人の営みがあったとしても、そこに自然と共生する環境が築けるのではないかと思います。
今思う事は、はたして、どうすればそこにレールを切り替えられるのだろう、という事です。
ずっと考えていました。そして今は、思いつく限りのことをやってみています。
そして、その答えも、自分の中では明確になりつつあります。

自分を含め、人が意図的に何か(外の環境)を変えようとしても、それは徒労に終わる事が多いと思います。
社会や政治や経済が絡まっている環境というものは、それを変えようという事はとてつもなく大事です。
とても大きなエネルギーを集め、それを駆使しても、それをさらに上回る力というものが存在していたり、そもそもそんな大きなエネルギーを集める事自体が難しい時代でもあると思います。

「自然の成り行き」というものは「良い方向にしか向かわない」のではないかと、何となく今は感じています。
これまでの地球の変化をみてみても、例え途上に「破滅的な何か」があったとしても、その先にあるものは「蘇生して行く自然」しかあり得ませんでした。
たかだか数千年の文明社会は自分達が生きる環境は破壊できても、45億年の自然の営みを破壊する事はできないと思います。
持続不可能な文明には限りがあります。
でもその先にあるものは、持続可能な文明しかあり得ないのではないでしょうか。
そしておそらく、もう既にそこに向かって進み始めているのではないかと思います。
「なんだ、じゃあもう自然に任せていれば良いね」という心境になって来ています。
自分は自分の身の回りの仕事をする。
「なんだ、それだけで充分なんだ。よかった、よかった。ぼちぼちやろう、マイペースで行こう」
と思う今日この頃です。






I don't have much time to write articles, and I haven't been able to fully introduce the sites I want to introduce, but I hope to improve them little by little.

This is the site of Akashi City.
It is overgrown. Perhaps I haven't pruned for more than five years.
But that's not a bad thing.



The garden tree has returned to its original natural tree shape, and the branches and leaves are stretched vertically and horizontally.
It's in a state of "heaps of wood" and it's a very fun personal experience.
It will be fun to watch.



Like a forest that keeps people away.
But if you look closely, there is an entrance, and when you enter inside, it looks like another world surrounded by trees.
It's like a world where Mei lost in "My Neighbor Totoro".

When you enter such a place, there are strange insects? I imagine that.
I worked on this site in the summer, but for so many years, caterpillars etc. did not occur in large quantities when placed in nature, so that it was `` not minding anything '' within the range of a quick observation with human vision It has become.
It feels clean enough to take a nap in a camp cot or hammock.

Of course, if you look closely, you will find surprising insects, but at first glance, you can't find them, as if you've never thought that insects lived in the forest. Insects are hiding out of sight.
I always think this phenomenon is strange.



And when I look at the ground, I feel clean. The fallen leaves are volume and the lower one is humus.
The soil below is agglomerated, has good permeability to rain, and does not feel stagnant, which leads to "cleanliness".
If not stagnated, the environment will not rot and will ferment. The aerobic fungi increase, and there is no anaerobic organic gas, and the soil matures.
In an invisible world, the environment is moving in a direction of "live-to-live."
Being in such an environment makes you feel very comfortable. That's why I think I can take a nap.
I think that the natural environment left untouched is overwhelmingly cleaner than the room not cleaned.

As an aside (sorry for the aside), there are various fungi in the soil and some are harmful to humans.
Once inside the body, humans use their immunity to neutralize their power and prevent harm.
As I heard, modern medicine uses a method that does not allow the bacteria to enter, or when entering, kills both the good bacteria with medication.
It doesn't seem like a way to boost immunity.

Modern people have reduced immunity due to various things brought about by modern life, and have reduced resistance to harmful fungi.
And I think that the concept of "sterilization" that does not touch fungi promotes that.

For example, there are various fungi on human skin.
In some cases, about 4 million indigenous bacteria have been detected in a 1 cm square area of ??palm skin.
Systemic skin, scalp, mouth, nasal cavity, ear cavity, intestine, lung, blood, lymph, joints ... Fungi and viruses coexist with human cells in various places.

The number is said to be equal to or greater than the number of human cells.
I think that the concept of "sterilization" is impossible from this point as long as the human body has such a structure.
What sterility brings is an unprotected, defenseless state.
I think that it is better to reverse the idea and change to a direction that actively coexists with useful fungi and microorganisms.
High immunity can create a body that can withstand all diseases.



By the way, if circumstances permit, if you leave it to nature as it is, the lower branches that do not shine will die, extend the branches up by that amount, eventually settle to the height difference depending on the type of tree, and completely balance the whole It will be stable, but that's not possible because of the residential garden environment.

However, I personally want to be in that (non-pruning) direction.
If only the necessary minimum pruning (consideration of safety) is applied, and the logging is overreviewed, the entire town is freed from the management work of pruning, and there are large trees like shrines and forests in the town. Isn't there an environment where there is a city inside?

When you actually go to a forest road, there are many places where large trees beside the road extend branches from both sides to form a tree tunnel.
Such an environment is very comfortable in terms of scenery, and even if you consider the natural environment, you can get an environment where many insects and birds can live.
Dead branches and fallen leaves fall on the road, but live branches do not fall unless a large wind such as a typhoon comes.
If such an environment were to be created in practice, wouldn't it be possible to shift from values ??that prioritize speed and economy to a society that would be slower and more comfortable without panic?
Japan is the country with the longest working hours in the world.
He seems to spend most of his life at work.
I feel that the tendency to prioritize work over myself and my family is still common sense in modern Japan.
I think that "to live slowly" means "to live with care for the heart" more than anything else.
I think that what is really important is not the economy but the individual mind (the inner environment).
When a society that can prioritize it begins to appear in the “outside environment” of the “city environment,” you may think that “Japan has begun to change.”

And I think that the way of thinking about safety will be changed, and the idea of ??"eliminating all dangerous elements" such as "sterilization" itself will be reviewed.
I think it is a way of thinking that can be shifted to a society that accepts risks, creates an environment that is not harmed by it, and creates an environment that prioritizes the merits it brings over risks.
Since this will take a long time, I hope to be able to write articles little by little on another occasion.



It would be nice to be able to leave the final transition to nature, but if it takes several decades, it is difficult in the sense of society today.
The pruning is done artificially, but it does not return to the state it was in when the garden was managed.
The roots of each tree grow by extending the branches, and the branches and trunks are also thickened.
The size at the time when it was maintained is unreasonable, and since it has already returned to its natural form, pruning is performed according to the current situation.
Branches protruding into the neighborhood are stored on the premises, crowded branches are arranged, and light and wind are passed through.



Assuming maintenance once a year, pruning is performed with consideration given to the extension during that time.
Over the course of several years, we will adjust the size while managing how much it will eventually be managed.



It is a very good Japanese garden. I think it was made about 40 to 50 years ago.
Light came in well, and ventilation improved.



The Japanese garden is a compact, natural landscape.
The sea, mountains, rivers and flats are dropped according to the space.
This garden also has a pond in the foreground.
Nowadays, the water is not well collected and it is not being used well, but if there is a pond or biotope in the garden, the diversity of biodiversity will be greatly expanded.
If the pond is a natural pond that retains permeability, vegetation will diversify, amphibians and insect types will increase, and birds will also gather.
Aquatic insects, such as turtles and beetles, have deteriorated in their growing environment due to the effects of urban development, pesticides and street lamps, and their numbers have dropped sharply, making them designated as endangered species.
I think few people have seen the wild.

I think the "garden" environment has so many possibilities in the coming era.
With small nature alive and scattered throughout the city, the dying ecosystem chain may begin to spun again.

Resource trees such as cedar and cypress are not often planted in gardens built in urban areas, and on the contrary, I think that vegetation will be more diverse than the current mountain.
In the plains, first-class rivers run around the city, with plenty of water and fertile soil.
If birds and animals carry seeds and there is no human activity, the plain will quickly become a forest.
Even if there is a human activity, I think that an environment that coexists with nature can be created there.
What I think now is how can I switch the rails there?
I've been thinking for a long time. And now I'm doing everything I can imagine.
And the answer is becoming clearer within me.

Even if people, including myself, intentionally try to change something (the outside environment), I think that in many cases, it ends up in vain.
In an environment where society, politics and the economy are entangled, it is incredibly important to change it.
Even if we collect a very large amount of energy and make full use of it, there are still more powers than that, and in the first place it is difficult to collect such a large amount of energy.

Somehow I feel now that the "natural outcome" is only going in the right direction.
Looking at the changes in the Earth so far, even if there was something "catastrophic" on the way, what was beyond it could only be "natural reviving".
I believe that a civilized society of up to thousands of years can destroy the environment in which they live, but cannot destroy the life of nature for 4.5 billion years.
Unsustainable civilizations are limited.
But what comes after it can only be sustainable civilization?
And probably, you're already starting to get there.
The feeling is "What's up, let's just leave it to nature."
I do work around me.
"Why, that's enough. Good, good. Let's do it at your own pace."
I think this is around this time.

剪定枝のマルチングについて 2019 冬



剪定作業の際に、業者は切った枝葉を持ち帰り、ゴミとして焼却処分する事が多いと思います。
民間処理業者の中には、剪定枝を堆肥にしてリサイクルする所もあります。
また農家さんでも堆肥づくりに使うために持ち込みをさせてもらえる所もあります。

できれば剪定で出た枝葉は化石燃料を使って焼却処分せずに、堆肥や燃料(薪)としてリサイクルできれば環境にも優しいと考えています。

いちばん良い方法としては剪定枝をその場でマルチング材として利用する事だと思います。
枝葉の持ち出し経費を削減できますし、土づくりにもとても良い資材となるからです。

草も何も生えていない剥き出しの土の状態の場合、何が起きるかというと、有機物不足になり、雨に叩かれて土が細粒化し、泥水が出来やすくなります。
傾斜地の場合は土の流出が降雨のたびに起こり、崖崩れなどの原因にもなります。
平地の場合では、表面の細粒化した土が泥膜をつくり、水溜りができやすくなり、水の浸透性も悪くなり、そこに生える植物は水切れを起こしやすくなります。
また、土が細粒化するため、微生物の生活数も少なくなります。

さらに生産者(草)や分解者(虫)が居ない事により土がどんどん痩せて行き、生態系の分断が起こります。
木は本来、草や虫や土壌の中の微生物と太古の昔から現在も共生関係にあります。
自分の落とした落ち葉や枯れ枝を分解者(ダンゴムシやゲジゲジなど)が分解し、さらにそれを微生物が分解して、初めて植物が養分として吸収できる状態になります。人間の腸内細菌の役割を土壌の微生物が担っている訳です。
ですので微生物をはじめ、これらの分解者が居ない土壌では、木は大地からの栄養分を取り込むことはできません。

何もない土の上に生えている木(日本の庭木)の場合、水不足と栄養不足(飢餓状態)になり、本来の健康を保つ事は難しくなります。
「地力のある土」とは多様な生き物が沢山生活している土の事です。 またそれは人間の腸内環境そのものだと言えます。



落ち葉が堆積し、草が生えている環境では多様な生き物が生活します。
蜂などの昆虫は分解者としてだけではなく、受粉の役割もあり、植物の繁栄のための重要なパートナーです。彼らが居なくては森は形成されませんでしたし、実も種もできない事になります。
アリはシロアリの天敵で、アリに見つかるとシロアリはひとたまりもありません。
その他の昆虫も小動物を含めた生態系の維持のための不可欠な存在です。
芋虫や毛虫はその殆どが他の昆虫や鳥や小動物の餌となります。
健全な生態系が機能している環境では毛虫などの大量発生はあり得ない事柄です。
草や虫と共生している環境には自然と他の小動物などの生き物も集まる様になります。

この様に、庭木を健康や環境に有害な農薬や化学肥料を使わずに維持管理するには、小さな生態系を維持する事が最も大切な事だと考えています。
生態系循環が適切に機能していると、自然はそのままの機能を正常に発揮して「何も持ち出さない、何も持ち込まない」状態で「必要なものは自然とそこに集まり、それがお互いに機能し合い、相乗効果を保って環境と健康を維持できる」ようになります。


見た目について

枝葉を庭木の周囲に敷き込んでいる光景は殆ど見る事はないと思います。
弊社のお施主様方にはその事を受け入れて頂き、ご理解して頂ける事を深く感謝致します。本当にありがとうございます。

とは言え、普段目にしない光景であり、まだ青い枝葉が敷いてあると「散らかっている」ような感じがすると思います。
その事はとてもよくわかります「違和感」があるという事だと思います。
実はこの事についてご理解いただく事はとても苦労している点でもあります。

対策として、例えば市販のマルチング材を上から被せるようにすれば、一般的な景観にはなると思います。
しかし、今後毎年、剪定枝をマルチングして行くとなると、その度に市販のマルチング材の費用や施工費という経費がかかる事になります。
しかも市販のマルチング材は針葉樹の皮などで出来ていて、形状は違いますが、枝葉と同じ有機物ですので、いずれ分解されて土に返ります。

山に登山に行かれたり、温泉地に旅行に行かれたりすると、山の斜面には落ち葉や枝が分厚く堆積しているのを見る事があると思います。
自然風景の写真などを見ても、木のある風景には必ず枯れた枝葉が落ちています。もしそれが無いとすれば、それは「管理された風景」だと思います。
自然の風景の中の枯れ枝や落ち葉は、それに違和感を感じる事なく、風景に馴染んでいます。

庭に剪定枝をマルチングした場合、はじめは「違和感」のある光景だとは思いますが、そのまま観察していると、だんだんと色が変わり、枝葉がしんなりとして来て、体積も小さくなって、徐々に地面に馴染んでくる事に気付かれると思います。
そしてそれは、いづれ跡形もなく土に返ります。
豊かな土になればなる程、その分解スピードは早くなって行きます。
自然の有機物は「風化」と「分解」により自然に馴染むようになって行きます。 この事自体が「生態系」という自然の循環システムであり、最も基本的な生命の循環サイクルだと考えています。

もしも、そういう変化や自然に馴染む様子などを受け入れて頂ける様でしたら、マルチング材など余計な経費をかけずに維持管理できるかと思います。

経済や社会が近代化するに連れて人の意識の中から「生態系循環」という概念が失われて来たと感じます。
自分自身、もしも子供の頃から都会で育ち、全く自然と触れないでいたとしたら、そういう概念は持てなかったかもしれません。
しかし、幸運な事にうちは農家であったため、田植えや稲刈りなども経験しましたし、実家には庭があって庭木が沢山植えられていました。
そんな環境で遊んだりしていると、枯れ葉や枯れ枝がだんだんと土に還っていくのを日常的に見ていました。

大人になり、社会のシステムが理解できるようになると、「経済」というシステムが、この環境と社会に大きく影響していると気づきました。
街中はアスファルトとコンクリートで固められ、河川もコンクリート張りで固められ、都会の中で生き物の姿を見る事は困難になりました。
経済と効率を最優先させた結果、環境も社会も現在のようになっていると思います。

人の感覚も枯れ枝や落ち葉は「ゴミ」だという感覚が固定化され、それは「資源」です、という意見は、なかなか受け入れて頂けない事もあります。
「固定観念」というもの自体が社会や経済の影響を大きく受けて作り上げられたものだと思います。
時代と共に「常識」というものは移り変わります。
これからは、経済や効率、最優先の社会から、自然の豊かさや気持ちの豊かさが優先される社会に変わっていくのだと思っています。

皆さんのお庭とのお付き合いの参考になれば幸いです。






When pruning, the traders often bring back the cut leaves and incinerate them as garbage.
Some private processors recycle pruned branches into compost.
There are also places where farmers can bring in compost for use.

If possible, we do not use fossil fuels to incinerate the leaves and leaves that have been pruned. We believe that if we can recycle them as compost or fuel (firewood), we will be environmentally friendly.

I think the best way is to use the pruned branches as mulching material on the spot.
The cost of taking out foliage can be reduced, and it is a very good material for making soil.

In the case of bare soil where no grass is growing, what happens is that there is a shortage of organic matter, the soil is hit by rain and the soil is finely divided, and muddy water is easily formed.
In the case of sloping land, soil runoff occurs each time it rains, which may cause cliff collapse.
In the case of flat terrain, fine-grained soil on the surface forms a muddy film, making it easier for water to accumulate, poorer water permeability, and the plants that grow there are more likely to drain.
In addition, because the soil is finer, the number of living microbes decreases.

In addition, the absence of producers (grass) and decomposers (insects) causes the soil to become thinner and thinner, causing ecosystem fragmentation.
Trees have a long history of symbiosis with grass, insects and microorganisms in soil since ancient times.
Decomposers (such as dung beetles and gegegeji) decompose fallen leaves and dead branches that have been dropped, and microorganisms decompose them before they can be absorbed by plants as nutrients. Soil microorganisms play a role in human intestinal bacteria.
Therefore, in soils free of these decomposers, including microorganisms, trees cannot take up nutrients from the ground.

In the case of trees growing on clear soil (Japanese garden trees), water shortages and nutrient deficiencies (starvation) occur, and it is difficult to maintain their original health.
"Ground with soil" is the soil where many creatures live. It can be said that it is the human intestinal environment itself.



A variety of creatures live in an environment where fallen leaves are deposited and grass is growing.
Insects such as bees not only act as decomposers, but also play a role in pollination, and are important partners for plant prosperity. Without them, forests would not have formed, and neither fruit nor seed would be possible.
Ants are the natural enemy of termites, and when they are found there are no termites.
Other insects are also essential for maintaining ecosystems, including small animals.
Most caterpillars and caterpillars feed on other insects, birds and small animals.
In an environment where a healthy ecosystem is functioning, catastrophic outbreaks cannot occur.
Environments that live in harmony with grass and insects also attract nature and other small animals.

In this way, to maintain and maintain garden trees without using pesticides or chemical fertilizers that are harmful to health and the environment, we believe that maintaining a small ecosystem is the most important thing.
If the ecosystem circulation is functioning properly, nature will function normally as it is, and "need nothing, bring nothing", and "necessary things will naturally gather there, Work together to maintain synergy and maintain the environment and health. "


About appearance

I don't think you will ever see a scene with branches and leaves laid around the garden tree.
We thank our owners for accepting and understanding. thank you very much.

That said, it's an unusual sight, and I think it feels "scattered" if there are still blue branches and leaves.
I understand that very well.
In fact, it is very difficult to understand this.

As a countermeasure, for example, if a commercial mulching material is applied from above, it will be a general landscape.
However, every year when mulching pruned branches, the cost of commercial mulching materials and construction costs will increase each time.
Moreover, commercial mulching materials are made of conifer bark, etc., and differ in shape, but they are the same organic matter as the leaves and foliage, so they will eventually be decomposed and returned to the soil.

When you go on a mountain climb or go on a trip to a hot spring, you may see thick leaves and branches piled up on the slopes of the mountain.
Even if you look at pictures of natural scenery, dead branches and leaves always fall on trees. If not, I think it is a "managed landscape".
Dead branches and fallen leaves in the natural landscape are familiar with the landscape without feeling uncomfortable.

If you mulch pruned branches in the garden, you may think that it is a scene with "uncomfortable feeling" at first, but if you observe it as it is, the color gradually changes, the branches and leaves come in softly, the volume decreases, You will notice that it gradually adapts to the ground.
And it returns to the soil without any trace.
The more soil you have, the faster it will break down.
Natural organic matter becomes naturally compatible with "weathering" and "decomposition". I think that this is the natural circulation system called "ecosystem", which is the most basic cycle of life.

If you can accept such changes and how they adapt to nature, I think it will be possible to maintain and manage them without extra costs such as mulching materials.

As the economy and society modernize, I feel that the concept of "ecosystem circulation" has been lost from human consciousness.
If you grew up in the city from childhood and never touched nature at all, you might not have been able to have that concept.
Fortunately, however, I was a farmer, so I experienced rice planting and rice harvesting, and my parents' home had a garden with lots of garden trees.
When I was playing in such an environment, I would regularly watch dead leaves and dead branches gradually return to the soil.

As I grew up and became able to understand the social system, I realized that the "economic" system had a significant impact on this environment and society.
The city was hardened with asphalt and concrete, and the rivers were hardened with concrete, making it difficult to see creatures in the city.
As a result of giving priority to economy and efficiency, I think the environment and society are now as they are now.

The feeling that dead branches and fallen leaves are "garbage" is fixed, and the opinion that it is a "resource" is not always accepted.
I think that "fixed ideas" were created by the influence of society and the economy.
"Common sense" changes with the times.
From now on, I believe that the economy, efficiency, and society of the highest priority will change to a society where the richness of nature and the richness of feelings are prioritized.

I hope it will be helpful for your relationship with your garden.

お庭の改装工事@神戸市北区



神戸市北区のお庭で改装工事のご依頼をいただきました。

広さとしては、とても一般的なスペースが確保されています。駐車場と、その横の門をくぐり階段を上ると植栽部分がアプローチを挟んで設けてあり、裏庭へと続くアプローチを抜けると家庭菜園がありました。



階段を上った左側のメインの植栽部分は色々と増え過ぎたり、株が大きくなり過ぎたりしていてスペース的には少しごちゃごちゃとした雰囲気でした。
余裕があれば何も問題無いのですが、見た目的にももう少しスッキリしたい感じです。


階段右側にはキンモクセイが丸く玉刈りにされていて、よくある感じに整えられていましたが、問題無ければもう少し大きく自然形に仕立てて行きたいところです。



門の横には立派な門担ぎの松の枝が仕立てられていました。
風景としては良い感じですが、傘などが当たる様ですので、この枝は切ることになりました。



先ずは剪定作業と植栽植物の整理から始めます。
キンモクセイは自然形に向けて枝を抜き、全体的にばらけさせて行きます。解いていくという感じ。
枝先をおさえると勢いを抑えられますが、この木はもう少し伸ばしてあげたいと思います。



初めは小さな株だったヒペリカムは株も大きくなり、圧迫感が出ているので、掘り上げて株を小さくし、鉢植えにします。


切り詰めると株が大きく成長しているのがわかります。


掘り上げ完了。



ヤブランなども増えすぎているので少し数を減らします。



その他いろいろと風通し良く剪定と整理をしながら刈り草と剪定枝は地面に敷き込みます。
右手の菜園の畝もこの後生かしておきます。
周りを囲んでいた木の柵も撤去しました。
地面に敷かれている平板もこの後撤去します。





お隣りとの目隠しに植えられているヒイラギも剪定して枝を根元に敷き入れます。





平らな地面に高低差をつけて雨の浸透性を良くします。
炭や枝葉を使って虫の目線で見た時に険しい山脈地帯の様にして行きます。



玄関横のヒイラギがかなり傷んでいるので、この後、植栽部分を囲んでいる石組みのコンクリートを破り、根元に縦穴を開けて行きます。

剪定整理を進めながら太陽光と風と雨の通りを良くして行きます。
傷みが出る原因としては、そこが停滞している事が挙げられます。
浸透性が悪かったり、風通しが悪かったり、光が入らなかったり。
循環を正常にしてやると環境は自らの治癒力を発揮して、自然の要素と互いに関連し合い、健全な方向性に向かいます。

庭の管理も含めて、改装や新たに設計する場合は、自然の循環を滞らせないような工夫が必要だと思います。





丸く石組みで囲まれた植栽部分はコンクリートの目地を取り水が抜けるようにします。
硬く締まった土の上にコンクリートで囲んでしまうとプールのような状態になり、停滞が起こります。



外した目地の所に枝葉を差し込み、大まかな土留をして、土をかぶせ、地被植物を植え込みます。
今回はイワダレソウを植えましたが、芝生やワイルドストロベリーなどでも良いと思います。



イワダレソウはその名のとおり岩の間から垂れるように植えつけてやると、数年かけて周囲にどんどん根を伸ばして石組みととても良い感じになります。
春頃から夏の間には小さな白花をつけるのでとても可愛いです。楽しみですね。



石を組み直して縦穴を通し、炭や枝葉を敷き詰めて土の中の微生物を増やして活性化させる下ごしらえをします。
これらの作業はみな、この微生物の活性化が目的です。
微生物そのものを土に混ぜる方法もあるようですが、浸透性を確保して、枝葉を敷き草を抜かずに管理して行けば表面から徐々に土の団粒化が進み、特別な事をしなくても「そこにあるもの」だけで微生物は育めます。
微生物が増えると地面に敷かれた枝葉の分解も早くなって行き、自分の敷地で実験していますが、5年以上そうやって土を育てていくと夏場の剪定枝の場合、2週間ほどで形がなくなります。
気がつくと、剪定枝は「どこに行ったの?」という状態です。



庭全体にこの様な分解機能を保たせてやると、それ自体が生物循環の生態系機能の土台になります。
微生物や虫などの分解者、草木などの生産者、小動物などの捕食者、そこに人間などの高次消費者が生活します。




土の中の微生物は、増えて行けばひとすくいの土の中に億や兆という単位で生息する様になります。
まさに天文学的数字です。



余談ですが、目に見えない微生物はどんなに環境が過酷になっても生き残り、次の環境に適応して、新たな生態系をつくっていくのでしょうね。
人間の身体も45%程(諸説あり、50%以上とも90%という説も。個体数)は微生物やウイルスで出来ているようです。
約半分くらいは自分以外の生物と共生しながら生きている事になりますね。



さらに言うと、人間などの複雑な動物はそれらの自分以外の生物と共生していなければ生きることが出来ません。消化や免疫など生命維持に大切な事は、それらの生物と更に自分の外の環境の生物たちの助けが無ければ成り立たないようになっているのが生態系です。



目に見える複雑な動物が生きるためには目に見えない小さな微生物が生きられる環境を保つ事が大切だと思います。



裏庭です。



レンガ造りの植栽部分を撤去して、アプローチからの動線と風の通りを良くします。



敷地のコーナーに何か抜けの悪い構造物があると風の通りも阻害して気分的にも圧迫感が出ます。



コーナーを開けて、隣の擁壁と側溝に添わして畝を造り、蔓ものの野菜をつくる時は擁壁に支柱を立てかけて這わせられるようにしました。



側溝の土や草は全てを取らずに風通しだけ確保して残します。
体積した土に草が根を張り、ここにも微生物の棲家が出来ています。



流れの下流に枝とレンガで土留をして、流れ出る土を止める工夫をします。
メンテナンスも容易に出来ますし、コンクリートの側溝が小さなビオトープの機能も有すようになります。
全てを作り込まなくても、自然の成り行きで、微生物も含め小さな生物がそこに居場所を見つけます。

また余談になりますが、街中のコンクリート張りのドブ川も土や枝や石を入れて有機的な環境にしてやると、そこに生き物が生息する様になり、水も微生物で分解ろ過されて、現状の雑菌と腐敗ガスで良くてボウフラか、もしくは何も生きられないような排水溝もメダカやドジョウが居るような生きた環境になるのではないかと思います。



何かを大きく模様替えしたり、何かの設備をつくった訳でもありません。



そこにある環境の風と水と生物の循環を改善して、その機能を維持できるように、そのやり方をお伝えさせて頂きました。



お施主様とは、そんなに話し込んだ訳ではありませんが、要点をお伝えさせて頂くと、とても良く理解して頂きました。



少し前まで、自分の仕事に関しては説明するのに大変な苦労をしていました。
一回の打ち合わせに5〜6時間かかる事もしばしばありましたし、それでもすんなりと理解して頂くのは難しい状況が多くありました。



最近は違います。良いご縁を頂いているのだと思いますが、一つの説明でその深い真意も察して頂いているような気がします。



「大切な事」という価値観は人それぞれ違うとは思いますが、何に価値を見出すのか、そのポイントを理解して頂ける事に本当に感謝します。



階段の割れたコンクリートの隙間にイワダレソウを植え込んで、花が咲くのを楽しみにして頂けること。

本当に嬉しいです。
楽しく作業させていただきました。
ありがとうございました。






We received a request for renovation work in the garden of Kita-ku, Kobe City.

As for the area, a very general space is secured. Going through the parking lot and the gate next to it, going up the stairs, there was a planting part across the approach, and there was a home garden after passing the approach to the backyard.



The main planting part on the left side of the stairs was too much and the stocks were getting too big, and the space was a little messy.
If you can afford it, there is nothing wrong, but I want to feel a little more refreshed for the purpose.


On the right side of the stairs, the cypress was rounded and trimmed in a common way, but if there is no problem, I would like to make it a little larger and natural.



Next to the gate was a fine pine branch carrying a gate.
Although it looks good as a landscape, it seems to be hit by an umbrella, so I decided to cut this branch.



Start with pruning and organizing the planted plants.
Kinmokusei will pull the branches toward the natural form and let them loosen as a whole. Feeling to solve.
You can suppress the momentum by holding down the branches, but I would like to extend this tree a little more.



Hipericam, which was a small stock at the beginning, is also growing, and there is a feeling of pressure, so we dig it up to make the stock smaller and plant it in pots.


If you cut it down, you can see that the stock has grown greatly.


Completed digging.



Since the number of Yablanc is increasing too, reduce the number a little.



Pruning grass and pruning branches are laid on the ground while pruning and organizing in a variety of ways.
I will keep the vegetable garden on my right hand side after this.
The wooden fence that surrounds it has also been removed.
The flat plate on the ground will also be removed after this.





Prunes the holly planted in the blindfold with the neighbor and lays the branch at the base.





Improves rain permeability by creating a level difference on flat ground.
It looks like a rugged mountain range when looking at insects from charcoal and branches.



The holly beside the entrance is quite damaged, so after this, we break the stone concrete surrounding the planting part and open a vertical hole at the base.

We will improve the streets of sunlight, wind and rain while pruning.
The cause of the bruise is that it is stagnant.
Poor permeability, poor ventilation, or no light.
When the circulation is normal, the environment exerts its own healing power, interacts with natural elements, and heads for a healthy direction.

I think that it is necessary to devise measures that will not slow down the circulation when renovating or designing new designs, including management of the garden.





The planted part surrounded by a stone frame will take concrete joints and allow water to drain.
If it is surrounded by concrete on hard soil, it becomes like a pool and stagnation occurs.



Insert the branches and leaves into the joints that you removed, make a rough earth retaining, cover the soil, and plant the ground cover plants.
This time I planted Iwadaresou, but I think it can be a lawn or wild strawberry.



As the name suggests, Iwadaresou can be planted so that it hangs down between rocks.
It is very cute because it adds a small white flower from spring to summer. I'm looking forward to it.



The stones are reassembled, passed through the vertical holes, and charcoal and branches and leaves are spread to increase the microorganisms in the soil and activate them.
All of these tasks are aimed at activating this microorganism.
There seems to be a way to mix the microorganisms themselves with the soil, but if you keep the permeability, spread the branches and leaves and manage without removing the grass, the soil gradually aggregates from the surface, doing special things. Even without it, microorganisms can be nurtured by just “there”.
When microorganisms increase, the decomposition of branches and leaves laid on the ground also accelerates and we are experimenting on our own site, but if you grow soil like that for more than 5 years, in the case of pruned branches in the summer, about 2 weeks With no shape.
When you notice, the pruned branch is "Where did you go?"



If such a decomposition function is maintained in the whole garden, it becomes the foundation of the ecosystem function of the biological cycle itself.
Decomposers such as microorganisms and insects, producers such as plants, predators such as small animals, and higher consumers such as humans live there.




If the number of microorganisms in the soil increases, they will live in billions of trillions of trillions of soil.
It is an astronomical number.



As an aside, invisible microorganisms will survive no matter how severe the environment is, and will adapt to the next environment to create a new ecosystem.
About 45% of the human body seems to be made of microorganisms and viruses.
About half of them will live symbiotic with other creatures.



Furthermore, complex animals such as humans cannot live unless they live in harmony with other creatures. What is important for life support, such as digestion and immunity, is the ecosystem that cannot be built without the help of those living organisms and the living organisms outside of them.



I think it is important to maintain an environment in which small invisible microorganisms can live in order for living and complex animals to live.



It is a backyard.



Remove the brick planting area to improve the flow and wind path from the approach.



If there is a bad structure in the corner of the site, it will block the wind and give you a feeling of pressure.



I opened a corner and made a bowl along the retaining wall and the side groove next to it, and when making vegetables for the vine, I made it stand on the retaining wall to make it stand.



Keep all the soil and grass in the ditch without leaving any air.
Grass grows on the volume of soil, and there is a microorganism house here.



The earth is settled with branches and bricks in the downstream of the flow, and the idea is to stop the flowing soil.
Maintenance is also easy, and the concrete gutters have the function of a small biotope.
Even if you don't make it all, small creatures, including microorganisms, will find their place.

In addition, as an aside, if you put soil, branches and stones into the organic environment of the concrete-lined Dobu River in the city, creatures will inhabit there, water will be decomposed and filtered by microorganisms, I think that the current miscellaneous bacteria and spoilage gas are good and that it is a bouura, or the drainage ditch that can't live in anything becomes a living environment with medaka and loach.



It does not mean that something has been redesigned or that any equipment has been created.



I told you how to improve the circulation of the wind, water and organisms in the environment, and maintain the function.



I did not talk so much with the owner, but when I gave you the point, I understood it very well.



Until a while ago, I had a hard time explaining my work.
It often took 5-6 hours for a single meeting, but there were still many situations where it was difficult to understand easily.



It ’s different recently. I think that you have a good relationship, but I feel that you have also been able to see its deep intent in one explanation.



I think that the value of “important things” is different for each person, but I am really grateful for understanding the point of what the value is found.



You can look forward to the flowers blooming by planting sardine in the cracked concrete gap of the stairs.

I'm really happy.
I worked happily.
Thank you very much.

ナチュラルガーデン お茶会 2019・10



10月も終わりのある平日、大阪のお客様のお庭で小さなお茶会を開催させて頂きました。

前日の雨もあがり、とても良い天気の中、主催のオーナーさまから、集まって頂いた皆さんにランチとお茶を振る舞っていただき、僕もハーブ入りの美味しい紅茶を頂きました。
ヴィーガンのため、ランチはご一緒できませんでしたが、こういう時はこだわりを置いておいて、ご一緒させて頂いた方が良かったかと、少し思っています。
何かに執着し過ぎるのも、あまり良くないかも知れませんね。

皆さんがランチをしている間、お庭のメンテナンスを少しする事ができました。
以前頼んでいた植木屋さんにチョンチョン(短く)に剪定されていて、あまり好みではないとの事で「森のようにしたい」というお施主様の想いがあって、「なるべく木を切らずに、今は枝を伸ばしましょう」と提案させていただき、それからしばらく、ほぼ放置していた感じでした。

タイサンボクと梅の木は少し剪定させて頂いていましたが、その他の木は、生垣など多少の剪定をご自分でされていた以外は、切りたいのをじっと我慢してもらっていた感じです。

庭仕事がお好きで大抵の事はご自身でされる方ですので、我慢するのはとても忍耐が必要だったかもしれません。
それでもご提案通り「自然樹形」に戻していく方向で忍耐いただき、お庭の雰囲気も始めにお伺いさせていただいた時よりも、とても良い感じになっていました。



剪定枝や刈り草はせっせと地面に敷き込んで頂いていましたし、そのおかげで植栽部分の土はとても良い状態で団粒化していました。
一見すると、ワイルドな感じがするお庭ですが、そのままワイルド(野生)です(笑)。
そしてそれが、なんとも言えないホッとした雰囲気を感じさせてくれます。

あちこちに刈り草や枯れ枝が地面に敷かれ、木の根本ではそれが地面に馴染み、沢山の虫が居て、カタバミなどの野草や実生の木も沢山生えていて、その様相は自然のままという感じですが、そこにちゃんとお施主様の「意図」が加わり、本当に上手く共生してると感じました。
「思い通りにならないです」とおっしゃってはいましたが、それが普通ですね。
「そうですね」と軽く答えさせていただきましたが、自然相手に「思い通りになる」方が変だと思います。何故なら思い通りになるなら、それはもう自然では無いからです。

「好きなもの(園芸品種)」が消えてしまって「嫌いなもの(蔓延る草)」が増えるのは、それも庭からのメッセージとして捉えていただくと良いのではないでしょうか。
つい「好きなもの」に価値があると思ってしまいますが「嫌いなもの」の方が価値がある場合もあります。
環境を良くする為に「わざわざ」生えてきてくれてる草ですので、自然に埋もれてしまう必要はないですが、ストレスに思わずに上手く楽しんで頂けたら良いかと思います。
嫌いな草もよく見ると、とても綺麗だったと気付く事もあります(綺麗では無い草は思いつきませんが)。

大抵の場合、何かを嫌いなのは、それが「自分の意図の邪魔をするから」です。
「こうしたい」というエゴは、それを邪魔するものを嫌いになります。
でもそれは「価値」とは全く無関係なものです。
エゴの邪魔をするものは、それがあってはじめて自分のエゴに気づきます。
「思い通りにならない」事は、そこから学ぶことがあるから起こる事だと思います。
僕も思い通りにならないことだらけです。多くを学べと言われている気がします。
自分のエゴに気づき、自分の事を少し理解して、また外の世界へと目を向けて、それに気づけた事に感謝して・・・。
「いつまで続くのだろう?」と思いますが、果てしない道のりを行くのが本来の目的ならば、ただ進むしかありませんね。



また少し話しがズレました。すみません。

今回のお茶会は、以前僕が通っていたJAZZ教室の関係の集まりでもありました。
主催者さまは同じJAZZ教室の生徒さんです。
そしていつもお庭のメンテナンスをさせて頂いているJAZZ教室の先生ご夫妻と、先生にご紹介いただき、お庭の改装工事をさせていただいた先生のご友人の方との会でした。

嬉しい事に、久しぶりに先生ご夫妻の生演奏が聴けて、すごく感動しました。
教室に通っていた頃は「歌う事」を習うというのが初めてで、とにかく「右も左も分からない」という感じでした。
歌はぜんぜん上手くはありませんが「歌う事」は好きなので、ただ上手くなりたいという気持ちだけで通っていました。
レッスンでは色々な事を教えて頂きました。ボーカリストの気構えとか、声の出し方とか、感情についてなど、本当に様々な方面からご指導いただき、感謝しております。
アメリカで本場のJAZZを修められたプロのミュージシャンご夫妻です。JAZZボーカル、ピアノを習いたい方は是非オススメいたします。

JAZZという音楽は「セッション」の音楽だと思います。
テーマやフレーズを決めてそれを中心に各プレーヤーが様々な個性を持って共演するのが「セッション」だと思います。
多くの昔のJAZZミュージシャン達は、たぶん誰もが物凄く「個性的」で、多くのエピソードも残っています。
そんな個性的な人達の「セッション」は、凄くエキサイティングで面白いものであったようです。
それがまとまって1つの「曲」として完成するのは、とても興味深いものだと思います。

庭の生きもの達の「セッション」もまた興味深いものがあります。
「全く違うもの」どうしが共存する様子はJAZZミュージシャン達の「セッション」と似ているかも知れません。



そこに一つの「生きる」というテーマがあり、それを中心に演奏が繰り広げられます。

演奏者は誰もが「個性的」ですが、誰もがお互いを尊重し合います。
誰かがソロをとりはじめると、その他の演奏者はその後押しをして「全体」を支えます。
ボーカリストが主役という訳でもありません。ボーカル(身体)という楽器の演奏者です。
演奏者は言葉ではなく「音」で会話をしています。言葉を超えた「波動」や「エネルギー」とも言えると思います。

そういう感覚で庭を眺めてみると、木や草花にも「エネルギー」を感じるのではないでしょうか。
難しく考えないで「感じたまま」が答えだと思います。エネルギーは感じるものです。
大きな木を見て感じる感覚がそのエネルギーです。
小さな花を見て感じるものがそのエネルギーです。 誰でも感じるものだと思います。
何も感じない人はいないと思います。
その感じ方で庭を眺めてみてください。
強い感じ、優しい感じ、柔らかい感じ、硬い感じ。
好みとバランス、雰囲気、野性味、意図。
一つの曲が演奏されています。
自分もその「演奏者」です。

「言葉」は必要ありません。
「彼ら」は言葉を話しません。
「思考」も必要ありません。
「彼ら」は思考しません。
「感覚」のみ必要です。

お茶会では、ご参加頂いた方々に、それぞれのご自宅以外のナチュラルガーデンを見ていただけたのが本当に良かったと思います。
何かを感じて頂けたと思います。
「感じる事」は言葉以上の会話だと思います。
庭からのメッセージは、いつも「感じる気持ち」があれば受け取れます。
人間の話など、必要ありません。
テキスト本も必要ありません。

「セッション」です。
ただエネルギーというもので「セッション」が起こっています。
いつも。
いつでも。
演奏は続いています。

庭に吹く風、日の光。
それらも演奏者です。
街の喧騒、ざわめき、時間の流れ、めぐる季節、それらも演奏者です。
それらは庭に影響を与えます。
雰囲気を変え、メッセージをエネルギーで伝えます。

人は誰でもそれを感じる感覚を持っています。
得意、不得意、鈍い、鋭いもありません。
そんな人の能力は、どんな人でも大差はありません。
気持ちと、どこに意識を向けているかの違いだけだと思います。

演奏者は演奏に意識を集中しています。
エネルギーを感じようとしています。

お茶会はそこに集った人間たちだけで開催されたのではありませんでした。
そこに集った人間たちは自分たち以外の生きものとセッションしていました。

「感じる事」は「教えられる事」とは違います。「情報を得る事」とも違います。それらは「好き嫌い」あるいは「損得」というエゴのフィルターを通して感情を刺激します。

この記事を書いている時、一休みしてネットを見ていると、スエーデンの環境活動家のグレタ・トゥンベリさんの英国議会でのスピーチ記事に行き当たりました。
そして、それを批判する記事にも同時に行き当たりました。

グレタさんの事は少し前に「こんな高校生がいる」と聞いていましたが、調べたりせずに「そんな高校生がいるんやな」くらいに思っていました。
必要な事以外、なるべく「情報」には触れずに、自分の「感覚」を大事にしたいからです。
海外では日本と違い、環境問題に対しての意識が高いので、そういう活動家もいるし、運動も起きているとは思っていましたが、彼女のスピーチ記事を読み、それに対しての批判を見てみると「愕然とする」思いがしました。
グレタさんの訴えが正しい、間違いの問題ではなく、環境問題そのものに対する「関心がない」のだと感じました。
または「考えたくない」「知りたくない」「他人事」と思っている、とも感じました。

「何を訴えているのだろう?」「どういう状況に自分達はいるのだろう?」「真実は何なんだろう?」と、そこに向き合う事すらせずに「考える事」を放棄した「無感覚」の状態だと感じます。

「何も感じない」事に慣れ過ぎていて「言って欲しい事」を言ってくれる人に同調する。
「無感覚」「無感情」は深く眠っているのと何も変わりません。
朝起きて、仕事をしたり家事をしたりしていますが、それは身体や五感が心の反応に対応しているだけのロボットみたいなものです。

自分は「深く眠っている」のだと気づけた時に「無感覚」ではいられなくなると思います。

来年は2020年ですね。
環境問題にしても、社会状況にしても、人の意識にしても、どんどん変化がスピードを増して行くと思います。
我々は何処に向かって進んでるのでしょうか?
そろそろ「目を覚ます」時です。
「無感覚」の時代は終わりました。

皆さんを取り巻く環境が良いものでありますように。

次にもしお茶会の機会があれば「瞑想」などしてみても面白いかも知れません。
たぶん、もっとリアルに何かを感じる事ができるかも知れません。
すごく良い事を思いついてしまったかも知れないです。
楽しみです。

お茶会、ご参加の皆さま、ありがとうございました。
主催のWさま、色々とご準備ありがとうございました。
御礼申し上げます。






A small tea party was held in the Osaka customer's garden on a weekday that ended in October.

The rain of the previous day rose, and the owners gathered for lunch and tea, and I received a delicious tea with herbs.
I couldn't have lunch together because of vegan, but I was a little wondering if it was better to stay with me at this time and stay with me.
It may not be so good to be too obsessed with something.

I was able to do a little maintenance of the garden while you were having lunch.
The owner, who had been asking for before, was pruned into short (short), and he said that he did not like it so much that he wanted to make it like a forest. Now, let's extend the branch. "

I had a little pruning of Thai Sambaku and Plum trees, but the other trees seemed to endure the things I wanted to cut, except for some pruning myself, such as hedges.

I like garden work and most of the work is done by myself, so it might have required patience to endure.
However, as I suggested, I was patient in the direction of returning to the “natural tree shape”, and the atmosphere in the garden was much better than when I first visited.



The pruned branches and cut grass were laid on the ground, and the soil in the planted area was agglomerated in a very good condition.
At first glance, the garden feels wild, but it is wild as it is (laughs).
And that makes me feel relieved.

Mowed grass and dead branches are laid on the ground, and the roots of the tree are familiar with the ground, there are many insects, wild grasses and seedlings such as kathami grow, and the appearance remains natural I feel that the owner's “intention” was added to it, and I felt that I was really well symbiotic.
You said, “It does n’t go as you want,” but that's normal.
I answered “Yes” lightly, but I think it's strange to be “natural” with the other person. Because it is no longer natural if you get it.

It may be a good idea to see the message from the garden as “favorable things (horticultural varieties)” disappear and “dislikes (spread grass)” increase.
You may think that “what you like” is more valuable, but “what you don't like” may be more valuable.
It is a grass that has been grown “intentionally” to improve the environment, so it is not necessary to be buried in nature, but I hope you can enjoy it without thinking of stress.
If you look closely at the grass you hate, you may find it very beautiful (although you can't think of a grass that is not beautiful).

Most of the time I hate something because it "does disturb my intentions".
The ego “I want to do this” hate things that disturb it.
But it has nothing to do with “value”.
Anything that disturbs the ego will only notice its ego.
I don't think it happens because there is something to learn from it.
I'm full of things that don't go as expected. I feel like learning a lot.
Thank you for noticing your ego, understanding a little about yourself, turning to the outside world, and realizing it.
I think, "How long will it last?" But if the original purpose is to go on an endless path, there is no choice but to proceed.



There was a slight misunderstanding. I'm sorry.

This tea party was also related to the JAZZ classroom I used to attend.
The organizers are students from the same Jazz classroom.
It was a meeting with Mr. and Mrs. JAZZ classroom teachers who always maintain the garden and friends of the teacher who introduced the teacher and renovated the garden.

Fortunately, I was impressed to hear the live performances of the teachers and their wife after a long time.
When I was in the classroom, it was my first time to learn “singing” and it was just like “I don't know right or left”.
Singing isn't good at all, but I like singing, so I just went there because I wanted to be good.
I learned a lot from the lesson. I am grateful for the guidance from various aspects such as the attitude of vocalists, how to speak, emotions, etc.
Mr. and Mrs. professional musicians who have studied authentic Jazz in the United States. JAZZ vocals and those who want to learn piano are definitely recommended.

I think that the music called JAZZ is a “session” music.
I think the “session” is to determine themes and phrases and to have each player perform with different personalities.
Many old JAZZ musicians are probably all “individual” and many episodes remain.
The “sessions” of such unique people seemed to be very exciting and interesting.
I think it is very interesting that it is completed as a single “song”.

The “sessions” of the creatures in the garden are also interesting.
The situation where “totally different things” coexist may be similar to the “session” of Jazz musicians.



There is a theme of “living”, and the performance is developed around it.

All performers are “unique”, but everyone respects each other.
When someone begins to solo, the other performers then push to support the “whole”.
The vocalist is not the leading role. He is a vocalist (body) instrument player.
The performers are talking in “sounds” rather than words. I think it can be called “wave” and “energy” beyond words.

If you look at the garden like that, you may feel “energy” in trees and flowers.
I think the answer is “just feel” without thinking difficult. Energy is what you feel.
The sensation of seeing a large tree is its energy.
The energy you see when you see a small flower. I think it's something everyone feels.
I don't think anyone will feel anything.
Please look at the garden in that way.
Strong feeling, gentle feeling, soft feeling, hard feeling.
Taste and balance, atmosphere, wild taste, intention.
One song is being played.
I am the “performer”.

"Words" are not necessary.
“They” do not speak.
There is no need for "thinking".
“They” don't think.
Only “sense” is required.

I think it was great that the owners could see the natural gardens outside their homes at the tea party.
I think you could feel something.
I think “feeling” is more than a conversation.
You can always receive messages from the garden if you feel “feeling”.
There is no need for human stories.
No text book is required.

"Session".
However, there is a “session” in energy.
Always.
anytime.
The performance continues.

Wind blowing in the garden, sunlight.
They are also performers.
The bustle of the city, the buzz, the flow of time, the seasons around, are also performers.
They affect the garden.
Change the atmosphere and convey the message with energy.

Anyone has a sense of feeling it.
There is no goodness, weakness, dullness, and sharpness.
There is no big difference in the ability of such people.
I think it's just the difference between feelings and where you are conscious.

The performer concentrates on the performance.
I am trying to feel energy.

The tea party was not held only by the people who gathered there.
The people gathered there had a session with creatures other than themselves.

“Feeling” is different from “Teaching”. It is also different from “getting information”. They stimulate emotions through ego filters of “like and dislike” or “loss”.

When I was writing this article, I took a break and looked at the net, and I came across a speech article in the British Parliament by Swedish environmental activist Greta Tumberg.
At the same time, I found an article criticizing it.

I heard about Greta-san a long time ago, “I have such a high school student,” but I did n’t look into it.
This is because I want to cherish my “sense” without touching “information” as much as possible.
Overseas, unlike Japan, there is a high awareness of environmental issues, so I thought there were such activists and movements, but I read her speech article and saw criticism of it. When I looked at it, I felt “stunned”.
I felt that Greta-san's appeal was “not interested” in the environmental problem itself, not the right problem.
Or I felt that I didn't want to think, didn't want to know, or thought about other people.

“What are you complaining about?” “What situation are they in?” “What is the truth?” Abandoned “Thinking” without facing them. I feel that it is "insensitive".

Engage with people who are too used to "I don't feel anything" and say "What I want you to say".
“Senseless” and “feelingless” are no different from sleeping deeply.
I wake up in the morning, work and do housework, but it is like a robot whose body and senses respond to the reaction of the heart.

When you realize that you are "sleeping deeply", you can't be "insensitive".

Next year is 2020.
Regardless of environmental issues, social conditions, and human consciousness, I think the speed of change will increase.
Where are we going?
It's time to “wake up”.
The era of “insensitivity” is over.

I hope that the environment around you is good.

Next, if you have a tea party, it might be interesting to try “meditation”.
Maybe you can feel something more realistic.
You may have come up with a really good thing.
I'm looking forward to it.

Thank you very much for the tea party.
Thank you very much for your preparations.
Thank you very much.

2019・10 お茶会メルマガ ナチュラルガーデンへの誘い その6 「思い込み」と「心の声」〜



お茶会メルマガ 第6回目です。

7〜8回の予定でしたが、当日までに文章が間に合いそうもありませんので、これで今回のメルマガは終了とさせていただきます。よろしくお願いいたします。 あとは当日、お届けできなかった分は、ご希望があればお伝えしたいと思います。


「思い込み」と「心の声」

先月から今月にかけて、ありがたいことに、ご新規さまからのお仕事のご依頼が増え、自分の庭に対しての考え方をお話しさせていただける機会を多く頂きました。
「庭の手入れ業者を探していて」という感じで、あまりうちの庭へのこだわりを知らない方からのご依頼もありましたが、剪定枝をマルチング材として使うことや草を抜かずに共生するというお話しをさせていただくと「へー、そうなんですか、なるほどね」とあっさりOKをいただけることが多くなりました。
まだ「すべての現場で」という訳にはいきませんが、先月と今月にご新規さまで入らせていただいた現場では、すべてのお庭でナチュラルガーデンのやり方をご理解いただき、施工させていただいています。
なにか「何か今までとは少し違ってきているな」という感じがします。
テレビやラジオを視聴しないので世間がどういう風な風潮なのかわかりませんが、特にご高齢の方(すみません)以外は、ほぼご理解いただけるようになりました。
ちなみに今、入らせていただいているお庭では、説明の時に、
「剪定枝をマルチングしておくと泥はねも防げるし、土が団粒化して雨の浸透性も良くなります」
「なるほどね」
これだけだったような気がします。
落ち葉や剪定枝は「ゴミ」だという「思い込み」は少し視点をずらして考えると、いとも簡単にそれが「思い込み」であったのだと気づきます。

自分の中での気づきとしては、「思い込み」はお客様にあったのではなく「自分にあった」のかもしれない、ということです。
「解ってもらえないだろうな(解ってもらいたい)」という気持ちは、何か雰囲気としてそれが伝わり、話をしても、理解しがたいという現実を生み出していたのかもしれません。

今の自分の正直な心境は「理解を求めていない」というのが正直なところです。
「ただ伝える」そしてそれに対する反応は「期待しない」というものです。
「すべての人は自分とは違う価値観の中にいる」ということが自分の中でしっくりくる事実ですし「違いがあることが当たり前」だと思います。
ただその中で「共有できる価値観」というものが存在するだけなのだ、というふうに感じています。

一方、社会的な「思い込み」も、自分も含めて全ての人にあると思います。「習慣」「風習」「教育」「メディア」「時代背景」など、子どもの頃から「親」や「学校」「友達」「周囲の大人」「メディア」などから影響を受けて、その周囲の社会環境に則した「思考」を会得していきます。それが集団生活の性と言えるかも知れません。いわゆる「常識」というものです。

「思い込み」と対照的なのが「心の声」だと考えています。あるいは「気づき」と言えるかもしれません。

2017年の内閣府の調査によると、いわゆる「引きこもり」の人口は15歳〜39歳で54.1万人。40歳〜64歳では61.3万人。
100万人以上の方が学校や社会に馴染めずにいるということがわかっています。
その100万人以上の方たちは、この現代の「常識」が何か「受け入れがたいものである」と感じているということかも知れません。
「学校に行くのが当たり前」「仕事をするのが当たり前」という「思い込み」は「心の声」に正直にいて、しかも苦しんでいる人たちにとっては辛いことであると思います。
「集団意識」が作り出す「常識」はそれが「正しいことである」という「思い込み」によって自らも辛い思いをし、自己愛を見失ってしまうのだと思います。

自然が綺麗な環境で、水も綺麗で水道水に頼らなくても生活が成り立ち、大気汚染もなく清潔で美味しい空気がどこでもあり、土も豊かで森も豊かな環境は、ほんの数百年前までは現実でした。
江戸時代以前、電気も水道もガスもなく、日本は豊かな文化が開花し、人の糞尿までもがリサイクルされ、畑の肥やしとなり農作物は現在の野菜の7倍という本来の栄養素をたっぷりと含んだ食べ物が人々の食と健康を支えていました。
免疫力も高かったと思います。化学物質もなく、民間療法が主流でしたし、食事自体が病気予防になっていました。

鎖国を解き、西洋文化が流れ込むと時代は明治時代へと移行していきます。
政治、経済が大きく変わり、石炭の発掘もこのころから始まりました。
日本人は自分たちの生活が「時代遅れ」のように感じたのかもしれません。「世界はこんなに進んでいる」という意識を持たされ、それを受け入れたため、現代文明の波が日本にも押し寄せた感じだと思います。
明治文化がもたらしたものは「国家」「教育」「ジャーナリズム」「科学」など、それまでの日本人の価値観を大きく変えるものでした。
特に「国家による教育」は近代文明を受け入れる国民を育成するように「子供」にターゲットを絞った近代文明のシステムだと感じます。
それが後にインフラが整備され、エネルギーを始めとする「衣食住」が全て有料で提供されるようになり「教育制度」によって「仕事に就く」ことが強要される社会へと誘導されて行ったのではないでしょうか。

「常識」は時に意図して誰かが作り上げることもあります。自然発祥の文化ではなく「経済」が優先される社会ではその「常識」は「押しつけられたもの」であり、それに馴染めない「心」もでてきて当然だと思います。

「自分の本心は何を望んでいるのか」 あまりにも情報が多い現代で「コマーシャルメッセージ」ではないものがどれだけあるでしょうか。純粋なアート、意見や主張、オーガニック(無加工)なニュースなどは「コマーシャルメッセージ」に埋もれてしまっているような気がします。

「本心の望み」が何なのか、それは「心の声」が教えてくれることだと感じます。
たとえそれが「常識」とはかけ離れていたとしても、それを押さえつけたり、忘れてしまえば、その今自分がいだいている「望み」は「思い込まされた望み」だと言えると思います。
「心の声」は自分の「本心の望み」をしっかりと思い出させてくれると感じます。
「思い込まされた望み」に向かって自分を生きれば、それは自分の人生ではなく「誰かの人生」です。
「庭」という空間を自分で創ったり、メンテナンスをする際にも、そこに「誰かの意図」が含まれていれば、それは自分の庭だとは言えません。「コマーシャルメッセージ」に誘導された「皆んなとお揃いの庭」が出来上がるだけです。
「選択」という「自由」を本当の意味で「自分自身の選択」にしていきたいと思います。

ナチュラルガーデンへの誘い

頭の中を「ニュートラル」にして「自分の望む庭」を想像してください。「常識」を無視して「誰かの評価」も無視して、心の中でその庭をつくってみてください。
「誰か」の声や意見を聞くのではなく、共に暮らす「植物」の声を聞いてください。
庭にいる植物がどういう個性を持ち、どういう役割を持ち、どんな影響を自分に与え、より良く共生していくためにはどうすればいいのか。
「庭」からのメッセージを受け取ることは「自分の内部との対話」と似ていると思います。
植物は言葉を話しませんが「表情」としてそれを伝えます。
こちらの想いだけでそれを庭に押し付けても、思ったようにならないことの方が多いです。庭からの「メッセージ」を聞き、自分の想いと照らし合わせて、譲るところは譲り、受け入れてもらうところは受け入れてもらう。
その対話の末に出来上がった庭は「自分よがり」だけではなく「環境と共生している自分」という、別の意味で、とても自分らしい庭になっていると思います。 その庭が出来上がった時に「本当の自分の選択」ができたのではないかと思います。

「心の声」は本来の自分の声です。
ナチュラルガーデンはそういう「心の声」から創造される庭環境です。
さらに言えば、うちが提案する庭でさえありません。
「間違い」も「正しい」もありません。
ただ、自分の内面が表に現れた環境です。
一人一人が違う庭を創ると思います。オリジナルな自分だけの庭です。

「環境」はまさに、自分の内面が表に現れた世界だと思います。
庭は自分以外の「種」を超えた生き物と共生していく「小さな自分の世界」です。

昔、世界には人種差別というものがありました。その他にも部族の差別、身分の差別、男女差別、貧富の差別、価値観の差別など、同じ人間同士でその「違い」を意識し優劣をつけていました。
現在でもその感覚はあると思いますが「差別感」を持ったまま生活を続けていくことは、これからの時代、だんだんと難しくなってくるのではないでしょうか。
「私」と「あなた」は違っていて当たり前だと思います。そこに「優劣」はありません。ただ「違い」があるだけです。

「人間」と「微生物」にも「動物」と「植物」にも優劣はないと思います。ただ「違い」があるだけです。
「生態系」ではその全てが必要とされています。何かは何かに影響を与え、関連してバランスを維持しています。全ては「必然」であり無駄はないと思います。

今、我々に問われているのは「種」の差別ではないでしょうか。「人間同士の差別も無くならないのに、『種』の差別なんて」と思うかもしれませんが、「動物や植物は人間よりも劣っているから好きなように扱ってもいい」という意識は、自然の摂理に照らすと「それはそのまま自分たちに返ってくる」ということだと思います。
「生態系」という自然のシステムが「自分たちを生かしてくれている」ということに気づかないことは、自分で自分の足元を壊しているのと変わりありません。

「庭」という、自分と自分以外の命の世界。その世界を大切にする気持ちは、自分を大切にするという気持ちだと思います。
そしてそれが必ず「地球環境」という大きな問題にも波及していくと思います。
皆さんのその世界が素晴らしいものでありますように。


お茶会メルマガ 第6回目をお読みいただき、ありがとうございました。
メルマガはこれで最終になります。

いろいろと思いをお伝えさせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。
自分自身もまだまだ完全に理想的な生活ができているわけではなく、失敗や間違いも多々あります。
知らないことだらけですし、当然ながら環境に負担をかけながらでしか生きていけないのが事実です。
「楽しみながら、できることを手の届く範囲で」これでやらせていただいています。

「楽しみながら」は特に一番大切なのではないかと感じます。
庭に接する時に「楽しみ」がないとそれは「本末転倒」になってしまうと思います。「生活」自体が楽しくないと、生きている楽しみもありません。
自分に余裕があって、それで初めて「その他」を気遣うことができると思います。
庭と接する時に、その辺の「キャッチボール」を庭とできればいちばん理想的なのではないかと思います。
植物は健気な上に寛大だと感じますので、いつも自分たちの間違いや愚かさを受け止めて、許して、癒してくれていると感じます。
自分たちにできることは、それに感謝して、少しだけでもいいので恩返しの気持ちを持つことだと思います。

当日はお時間の都合もありますし、お茶会ですので、一方向からだけでなく、ぜひいろいろなご意見をお聞かせいただければと思います。

では当日お会いできるのを楽しみにしています。
ありがとうございました。






This is the 6th tea party e-mail magazine.

Although it was scheduled 7 to 8 times, the text is unlikely to be in time by the day, so this e-mail magazine will be over. Thank you. I would like to tell you what I could n’t deliver on that day if you wish.


"Belief" and "voice of heart"

From last month to this month, thankfully, the number of new job requests has increased and I have had many opportunities to talk about my way of thinking about my garden.
There was a request from a person who did not know our commitment to the garden because it was like "looking for a garden care provider", but it was possible to use pruned branches as a mulching material and live together without removing grass When I talked about it, “Oh, is that so, I see, it ’s easy”.
It is not yet possible to say "on all sites", but at the sites where the newness was introduced last month and this month, we understand how to use the natural garden in all gardens and we are constructing them. .
I feel that something is a little different than before.
I don't know what the world is like because I don't watch TV or radio, but now I can understand almost everything except those who are elderly (sorry).
By the way, in the garden you are entering now, at the time of explanation,
"Mutting the pruned branches will prevent mud splashing, and the soil will agglomerate to improve rain permeability"
"I see,"
I feel like it was just this.
If you think about the “belief” that fallen leaves and pruned branches are “garbage” from a slightly different perspective, you will easily realize that it was “belief”.

One of the things I noticed in my mind is that the “belief” may not have been in the customer, but may have been “in my own”.
The feeling that “I don't understand (I want you to understand)” was transmitted as an atmosphere, and it may have created a reality that it was difficult to understand even if I talked.

My honest feeling is that I am not seeking understanding.
"I just tell" and the reaction to it is "I don't expect".
The fact that “everyone is in a different sense of value” is a fact that makes me feel comfortable, and I think it is natural that there is a difference.
However, I feel that there are only “values ??that can be shared” among them.

On the other hand, there is a social “belief” in everyone, including myself. “Customs”, “customs”, “education”, “media”, “background”, etc. We will learn “thinking” in accordance with the social environment. That may be the sex of group life. So-called “common sense”.

I think the voice of the heart is in contrast to the belief. Or it may be called “awareness”.

According to a 2017 survey by the Cabinet Office, the so-called “withdrawal” population is 541,000 between the ages of 15 and 39. 613,000 people between the ages of 40 and 64.
We know that more than 1 million people are unfamiliar with school and society.
The more than one million people may feel that this modern “common sense” is something “unacceptable”.
The “belief” that “it is natural to go to school” and “it is natural to work” is honest to the “voice of the heart” and is difficult for those who are suffering.
The “common sense” created by “collective consciousness” seems to be painful and lose sight of self-love by the “belief” that it is “the right thing”.

An environment where nature is beautiful, water is clean and life is possible without resorting to tap water, there is no air pollution, clean and delicious air is everywhere, soil is rich and forest is rich, only a few hundred years ago Until then it was a reality.
Before the Edo period, there was no electricity, water, or gas. Japan's rich culture blossomed, and even man's manure was recycled. The food supported people's food and health.
I think my immunity was high. There was no chemical, folk remedies were mainstream, and the meal itself was disease prevention.

When the isolation is solved and Western culture flows, the era will shift to the Meiji era.
Politics and the economy have changed greatly, and coal excavation began around this time.
Japanese people may have felt that their lives are "out of date". I felt that the world was so advanced, and I accepted it, so I think that the wave of modern civilization has come to Japan.
Meiji Culture brought about a great change in Japanese values ??such as “nation”, “education”, “journalism” and “science”.
In particular, I think that “education by the state” is a system of modern civilization that focuses on “children” so as to nurture people who accept modern civilization.
After that, infrastructure was developed, and “clothing, food, and housing” including energy were all provided for a fee, and the “education system” led to a society where “employment” was forced. it might be.

“Common sense” is sometimes intentionally created by someone. In a society where “economy” is prioritized rather than natural culture, its “common sense” is “impressed” and it is natural that a “mind” that is not familiar with it comes out.

"What do you really want?" How many things are not “commercial messages” in today's so much information? I feel that pure art, opinions and claims, and organic (raw) news are buried in the “commercial message”.

I feel that what the “desired desire” is is the “voice of the heart”.
Even if it is far from “common sense”, if you hold it down or forget it, you can say that the “hope” that you are now in is the “hope”.
I feel that the “voice of the heart” reminds me of my “desired desire”.
If you live yourself toward the “hope that you have envisioned,” it is “the life of someone”, not your life.
Even if you create or maintain a space called “garden”, if it includes “intention of someone”, it cannot be said to be your own garden. All you have to do is create a “Garden with a Match” guided by the “Commercial Message”.
I would like to make “freedom” of “selection” truly “choose my own”.

Invitation to the natural garden

Imagine a “neutral garden” with “neutral” in your head. Ignore "common sense", ignore "someone's evaluation", and try to make that garden in your heart.
Instead of listening to the voice or opinion of "someone", listen to the voice of "plants" living together.
What kind of personality, what role, and what kind of influence the plants in the garden have on me and how can they be better symbiotic?
I think receiving messages from the “garden” is similar to “dialogue with my own”.
Plants do not speak words, but convey it as an “expression”.
There are many things that don't go as you think, even if you push it to the garden with this thought alone. Listen to the “message” from the garden and compare it with your own thoughts.
At the end of the dialogue, I think that the garden that has been created is not only “selfish” but also “myself living in harmony with the environment”, and it is a very unique garden. I think that "the real choice" was made when the garden was completed.

"Voice of the heart" is the original voice.
Natural garden is a garden environment created from such a “voice of heart”.
Furthermore, it's not even the garden we suggest.
There is no “wrong” or “right”.
However, it is an environment where my inner surface appears in the table.
I think each person creates a different garden. It is an original garden only for me.

“Environment” is exactly the world where my inner surface appears.
The garden is a “small one's world” that coexists with creatures beyond the “seed” other than yourself.

In the past, there was racism in the world. In addition, the same person was conscious of the “differences” such as tribal discrimination, status discrimination, gender discrimination, discrimination between rich and poor, and discrimination of values.
I think that there is still a sense of that, but it will become increasingly difficult to continue living with a sense of discrimination.
“I” and “you” are different and it is natural. There is no “superiority” there. There is only a “difference”.

I don't think that "humans" and "microorganisms" are superior to "animals" and "plants". There is only a “difference”.
“Ecosystem” requires all of that. Something affects something and keeps the balance in relation. I think everything is “necessary” and there is no waste.

Isn't it the discrimination of “species” that is being questioned now? You may think that “discrimination of 'species' is not lost, even though discrimination between humans will not disappear," but the consciousness that 'animals and plants are inferior to humans and can be treated as you like' In the light of nature's providence, I think that it will return to us as it is.
Not knowing that the natural system of “ecosystem” is “making ourselves alive” is no different from breaking your feet on your own.

The “garden” is the world of life other than yourself and yourself. I think that the feeling of valuing that world is that of valuing yourself.
And that will surely spread to the big problem of “global environment”.
May your world be wonderful.


Thank you for reading the sixth tea party e-mail magazine.
This is the end of the e-mail magazine.

I was able to share my thoughts with you, but how was it?
I am still not completely able to live my ideal life, and there are many mistakes and mistakes.
It's true that there are so many things you don't know, and of course you can only live while putting a burden on the environment.
“I ’m doing what I can do while having fun.”

I feel that “enjoying” is especially important.
If there is no “fun” when touching the garden, it will be “falling down”. If "life" itself is not fun, there is no joy of living.
I think I can afford it, and that ’s why I can only consider “others”.
I think that it would be the most ideal if we can use the “catch ball” in the garden as a garden when touching the garden.
I feel that plants are lovable and generous, so they always accept their mistakes and stupidity, forgive and heal them.
What I can do is to thank them and have a feeling of giving back because I can do just a little.

There will be time available on the day, and since it is a tea party, I would like to hear from you not only from one direction, but also various opinions.

I'm looking forward to seeing you on the day.
Thank you very much.

2019・10 お茶会メルマガ ナチュラルガーデンへの誘い その5 環境に寄り添うスローライフ〜



お茶会メルマガ 第5回目です。


環境に寄り添うスローライフ

ハーブや庭に生える野草には生活に利用できる植物がたくさんあります。専門書も出ていますので、それらを参考にしながら、ぜひ日々の生活に取り入れてみてください。

お茶にできる植物だけでも様々なハーブ、ドクダミやヨモギ、松の葉やタンポポなど、たくさんの植物が利用できます。それらにはそれぞれに薬効があり、漢方でもあります。
西洋医学はそのほとんどが対処療法でしかありませんが、東洋医学は体質改善や自然治癒力を引き上げる効果があり、豊かな大地からとれた自家製の薬草は自身の自然治癒力や体質改善に効果があり、しかも無料です。

梅はその中でも特に薬効がある植物で3年以上たった梅干しは日本人の健康を支えてきました。
梅干し、漬物、味噌、醤油などの発酵食品は体内の整腸作用に効果があり、腸内細菌を育てます。土壌の中の微生物のようなものです。
発酵食品が体にいいことはよく知られていますが、それは植物も動物も目に見えない微生物と共生しているということで、その微生物が生き生きとしていることで免疫力が上がるということです。ですので食品添加物などの化学物質が体内に入ると、腸内の微生物にインパクトを与えて免疫力が落ちるということになり、現代病とも言われるアレルギー症状を発症しやすくなります。また免疫力の低下は癌や感染症の発症にもつながります。健全な免疫力はそれらを日頃から押さえ込んでいます。

また、植物由来の日用品を使うことで、温暖化や環境汚染を軽減できます。エコバックや木製の食器、衣服、家具など出来る限り石油製品を減らし、地産地消の製品を利用すれば輸送にかかる石油も削減でき、地場産業への貢献にもなり、なんとなく気分も良くなります。
部屋の中からプラスチックを無くすだけで気分がどれほど良くなるか、実験されてみてはいかがでしょうか。
出来る範囲で、楽しみながら、少しのこだわりを持つだけで、それが「庭」という環境にも反映されていくと思います。


道具とその力

化石燃料(石油)を資源として使う前は草木が資源でした。焚き火をして煮炊きをし、暖をとっていました。囲炉裏を中心に家が作られ、その煙が柱や梁を丈夫にし、虫よけにもなっていました。

植物の再生能力は、根元から切ってしまわない限りその植物の寿命が来るまで延々と再生を繰り返します。
自然と共生していた時代、人はその恩恵を身にしみて実感していたと思います。
自然に対して尊敬と畏怖の念を持っていたと思います。
道具が手道具しかなかった時代、人間は自然に対して今よりも非力でした。そんな時代は自然に即して生きることが唯一の生き延びる術だったと思います。

現代の道具はエンジンや電力を得たことにより人間の本来の能力をはるかに上回る力を手に入れてしまいました。人間はその力を自分の力だと勘違いしてしまいます。
丸裸の状態で自然の中に放り出されると人はどうなるでしょうか。それが本来の人間の力です。手で折ることができる枝の太さはどれくらいでしょうか。素手で掘れる穴はどれくらいでしょうか。
道具を手にした時、自分の本来の能力以上の力を発揮する時は、そのことに対して「責任を負う」気持ちが必要なのではないかと思います。その力を使って自然に接する時、その行為が環境にとってマイナスのインパクトを与えることにならないのか、考えてみることが「責任を負う」ということになると思います。

「責任を負う」という意識は、それを認識するということだと思います。
責任を負う、負わないの2択があるわけではなく「原因」に対して「結果」が伴うのだということを認識するということです。
「自分がやったことの責任は必ず自分が負うことになっている」のが自然の摂理だと思っています。
例えば地球環境のことにしても、目の前に広がっている環境は自分がやったことに対する結果が表れているだけで、それは国や政治や社会や誰か他の人が負うものではないと思います。
人間にとって、その他の生き物にとって、地球環境が危うい方向に向かうなら、それは(もちろん僕も含めて)自分自身の責任であり、全員が責任を負うことになります。
人間社会は「多数決」でその行き先が左右されます。「集合意識」というものです。
大多数の人が選択する価値観がその全体の価値観になります。個人の価値観は千差万別ですが、全体としてみた場合、共通の価値観が大きい方向に物事が動いていくのです。
「こうするのが当たり前」という価値観はその真意すら考えずに「思い込まされている」場合もあります。
そしてそれは「何も考えずに危うい方向に進んでいる」という可能性もあるということです。


第5回目をお読みいただき、ありがとうございました。
次回は「思い込み」と「心の声」というところからお届けいたします。






This is the fifth tea party e-mail magazine.


Slow life close to the environment

There are many plants that can be used for living in herbs and wild grasses that grow in the garden. Specialized books are also available, so please take them into your daily life while referring to them.

Many plants can be used, such as various herbs, dokudami and mugwort, pine leaves and dandelions. Each of them has medicinal properties and is a Chinese medicine.
Most of Western medicine is only coping therapy, but oriental medicine has the effect of improving constitution and natural healing power, and homemade medicinal herbs taken from abundant earth are effective in improving its own natural healing power and constitution. And it ’s free.

Ume is a particularly medicinal plant, and Umeboshi has been supporting the health of Japanese people for more than three years.
Fermented foods such as plum pickles, pickles, miso, and soy sauce are effective in regulating the intestinal function of the body and grow intestinal bacteria. It's like a microorganism in the soil.
It is well known that fermented food is good for the body, but it means that both plants and animals live in symbiosis with invisible microorganisms. Therefore, when chemical substances such as food additives enter the body, it will impact the microorganisms in the intestines and reduce immunity, making it easier to develop allergic symptoms called modern diseases. A decline in immunity can also lead to the development of cancer and infectious diseases. Healthy immunity keeps them down.

In addition, using plant-derived daily necessities can reduce global warming and environmental pollution. We reduce oil products such as eco bags, wooden tableware, clothes, furniture as much as possible, and if we use products of local production for local consumption, we can also reduce oil for transportation, contribute to the local industry, and feel somewhat better. .
How about experimenting to see how you feel better just by removing plastic from the room?
I think that it will be reflected in the environment of “garden” by having a little commitment while having fun as much as possible.


Tools and their power

Before using fossil fuel (oil) as a resource, vegetation was a resource. I boiled it over a bonfire and kept warm. Houses were built around the hearth, and the smoke made the pillars and beams strong and also protected against insects.

A plant's regenerative ability will continue to regenerate endlessly until it reaches the end of its life unless it is cut from the root.
In the era of coexisting with nature, people think that they have realized the benefits.
I think he had respect and awe for nature.
In the days when there were only hand tools, humans were less powerful than nature. I think that in those times, living in harmony with nature was the only way to survive.

Modern tools have gained much more power than humans because of the engine and power. Humans misunderstand that power is their own power.
What happens to humans when they are thrown out into nature in a naked state? That is the original human power. How big are the branches that can be folded by hand? How many holes can you dig with bare hands?
When you have a tool, when you demonstrate power beyond your original ability, I think you need to be “responsible” for that. I think that when you use nature to interact with nature, it will be "responsible" to think about whether the action will have a negative impact on the environment.

I think that being aware of responsibility is recognizing it.
Recognizing that there are not two choices of responsibility and responsibility, but that “cause” is accompanied by “result”.
I believe that the responsibility of what I did is my responsibility.
For example, even in the case of the global environment, the environment that spreads in front of you only shows the result of what you have done, and it is not the responsibility of the country, politics, society, or anyone else. The
For human beings and other creatures, if the global environment goes in a dangerous direction, it is your own responsibility (including me of course) and everyone will be responsible.
The destination of human society is influenced by “majority”. It is called “collective consciousness”.
The values ??chosen by the majority are the overall values. Individual values ??vary greatly, but when viewed as a whole, things move in a direction where common values ??are greater.
The value of “this is natural” is sometimes “believed” without even thinking about it.
And that means there is a possibility of "going in a dangerous direction without thinking about anything".


Thank you for reading the fifth edition.
The next time, we will deliver from the place of "belief" and "voice of heart".

2019・10 お茶会メルマガ ナチュラルガーデンへの誘い その4 環境との付き合い方〜



お茶会メルマガ 第4回目です。


庭環境との付き合い方

人間が意図的に人工的な自然空間として作った「庭」。
その始まりは意図的であったとしても、それを構成するのは「自然の生き物」です。
それは彼らの生活空間でもあります。
人間の大きな間違いは「人間だけが快適」なものを求めることにあります。その結果が先に述べた「環境破壊」や「気候変動」「汚染問題」などです。
それらの問題は人間がこのままの営みを続けることは「持続不可能」であるという警告です。
「人間だけが快適」という幻想は、それが崩れ去ってからようやく目が覚めるということになりかねません。
「今この地球で何が起こっていて、それがどういう方向へと進み、その結果どうなるのか」それは知ろうと思えば知ることができます。

環境問題や気候変動などの問題は、一個人の力など何の役にも立たないと思うかもしれません。
それらの問題は「政治」や「経済」の問題であり、自分たちの暮らしとは程遠いものだと感じるかもしれません。家庭や庭から、まして主婦ができることなど知れていると思うかもしれません。でもそうではないと思います。一個人の力は目に見えない微生物のようなものです。
社会の構造を支えているのは紛れもなく一個人です。

「知ることを選び、それについて考え、今自分にできることをやる」それで十分に何かが変化していくと思います。
最初は小さな変化ですが、それはいずれ「習慣」や「生き方」そのものになります。それは自然の成り行きとして自発的に目の前の選択をする際に現れるようになると思います。

目の前にある「庭」という空間が生き物で溢れた自然なのだと気付いた時に、それを自分たちだけの都合で意図的に変化させようという気は起こらなくなります。
それよりも、なぜそういう風に枝を伸ばし、なぜそこに傷みが出たり、問題が起こるのか、またなぜこの木はよく茂り、花や実をつけてくれるのか、観察するようになります。
庭が発信するメッセージを受け取ろうという気持ちが湧いてきます。

庭からのメッセージを受け取るようになると、彼らがいかに自分や家族や家や財産を守ってくれているのかがわかるようになります。
「生態系」というものが、人間を含めた環境全体を守るシステムだと気づくのです。
庭に生える草はそれが必要だから生えていると気づきます。


庭管理の方法

庭からのメッセージを受け取った上で、生活の支障になる要素を整理します。
通行に支障のある実生の木は小さく刈り込んだり、他へ移してもいいと思います。木によっては種を落としてどんどん増えたり、地下茎で伸びる草はそればかりがはびこるようになります。
地下茎を持つ草はそれ全体が一つの生き物と言えますので、一部分を抜いても問題はありません。これは個人的な意見ですが、植物は動物とは違う命の構造をしているのだと感じています。
挿し木や伏せ木で増えたり「一本の木の命はその木の周囲に飛び火して生き続け、どこかの種に宿りそしてまたその地に蘇る」という風に。もちろん科学的に証明されているわけではありません。ただの妄想です。

支障のある枝や風通しを阻害している枝も整理します。ただしそこに人間の意図はなるべく持ち込まないようにします。 その木がどうなりたいのかを観察して、その木本来の自然形に整えるのが理想です。なりたい姿になる、その手助けをするという感じです。

既存の庭木には大きく育つ木が植えられている場合が多くあります。近隣との問題や通行の問題などもあり、そのまま大きく育てるということが難しい場合もあります。
剪定の技術は定期的に手を入れることで本来の大きさよりもコンパクトに庭に収めるという技術でもあります。その場合でもその木になるべく負担がかからないような大きさに止め、あまり不自然に低くしすぎないことが必要です。期間を開けて伸びた枝を一度に大量に落とすのではなく、定期的に手を入れることが木の負担も減らせます。

草はできるだけ抜かずに、刈り揃える程度にします。

草は虫や小動物の拠り所であり、それらは太古の昔から木と共生関係にあります。

刈り草はなるべくその場に置き、土に返します。木の根本にマルチングをしてもいいと思います。

新たな花株や野菜の苗はその成長した時の大きさを考慮して植えつけます。周囲の草をかき分けて植え付け、光合成が出来るように苗よりも低く周囲を刈り込みます。野菜も特別に菜園を設ける必要はないと思います。花苗と同じように植え付け、庭の構成植物の役割を担ってもらいます。


庭のデザインの仕方

すでに植わっている木があり、それらも含めて使いやすいようにデザインを変えたい場合、動かせる木とそうでない木を見分けます。大木はすでに大地と一体化しており、機能的にもその場所の環境を支えている存在です。

中木程度の木で移植がどうしても必要な場合は専門的な処置をしながら移植します。その際、後々の生育具合を考慮して、全体のバランスも考えた上で場所決めをします。

高木、中木、低潅木の位置が決まればそれに合わせて草花を植えつけます。
主に日常的に家庭で出来る庭仕事はこの草花の管理かと思います。ライフスタイルやお好みに合わせて自分の庭の環境にあった種類を選び、大きさや日当たり、色合いなどを考慮して配置決めをします。
様々な園芸品種の草花があり、花や実の時期もそれぞれですので、デザインを考える段階から色々と楽しんでいただけたらと思います。

品種の選び方はそのほとんどが品種改良された園芸品種で、基本的に原種よりも病害虫に弱いです。原種に近いものは自然淘汰を生き残ったものですので、現在の環境に合った最先端の進化をした植物です。
庭環境を構成していく際は、なるべく国内品種で品種改良が進んでいないものや、草に負けないくらい丈夫なものを選ぶと、自然に生えてくる草と共生させやすくなります。
夏場、花や野菜が草に埋もれてしまわないように、植え付けた園芸品種よりも低く周囲の草刈りをして風通しと光通しを確保します。
園芸品種も庭の生態系を構成する一員として、野生に戻すつもりで植え付けをしていきましょう。
花苗などの管理の仕方は園芸本は参考程度にして鵜呑みにしないことです。スポンサーに薬品会社が付いている場合はその薬品を売るための本だということですので、特にバラの管理本などは気をつけて下さい。


お茶会メルマガ 第4回目をお読みいただき、ありがとうございました。

管理方法に関しては「こうするのが正解」というものはありません。ただ単に「やったこと」に対して「その結果が返ってくる」というだけのことです。
それは自然との付き合い方全般に言えることだと思います。

自分の庭環境は自分の意識の反映だと思います。また、美しい、美しくない、の価値観はひとそれぞれです。草と共生させたり、落ち葉を敷いている庭環境は、現在の常識の中では「美しくない」と言われるかもしれません。また「管理をサボっている」というふうに見られるかもしれません。しかし、それらの行為一つ一つに意味があり、それが庭環境や周囲の環境に対して有益に働くものであれば偏見を恐れずにそれをやる価値は十分にあると思います。
今までの古い価値観はこれからどんどん変化していくと思います。特に若い人たちの世代は物事の本質を見る目が古い価値観を必死に背負っている世代とは明らかに違うと感じます。
そういう目で見れば、徐々に枯葉が地面に馴染んでいく様子を「美しいもの」として捉えることができるのだと思います。

次回は「環境に寄り添うスローライフ」というところからお届けします。






This is the 4th tea party e-mail magazine.


How to interact with the garden environment

A “garden” created by humans as an artificial natural space.
Even if the beginning was intentional, it is "natural creatures" that make it up.
It is their living space.
The big mistake of human beings is to seek something "only human beings are comfortable". The results are “environmental destruction”, “climate change” and “pollution problems” mentioned earlier.
Those problems are warnings that it is “unsustainable” for humans to continue to operate as they are.
The illusion that “only humans are comfortable” can mean that it will only wake up after it has collapsed.
“What is happening on this planet now, what direction it goes in, and what happens as a result,” you can know if you want to know.

You may think that problems such as environmental problems and climate change are of no use to one person's power.
Those problems are related to “politics” and “economy”, and you may feel that they are far from their own lives. You may think that you can know what a housewife can do from your home or garden. But that is not the case. One person's power is like an invisible microorganism.
Undoubtedly one individual supports the structure of society.

“Choose what you know, think about it, and do what you can do now.” That will change something enough.
At first it is a small change, but it will eventually become a “custom” or “how to live” itself. I think that it will appear as a natural process when spontaneously making a choice in front of you.

When you realize that the “garden” space in front of you is a natural environment full of creatures, you don't want to change it for your own sake.
Instead, we will start to observe why the branches stretch like that, why there are bruises and problems, and why this tree grows thick and bears flowers and fruits.
The feeling to receive the message that the garden starts is coming up.

When you receive a message from the garden, you will see how they protect you, your family, your home and your property.
We realize that the “ecosystem” is a system that protects the entire environment, including humans.
You realize that the grass growing in the garden is growing because it is necessary.


Garden management method

After receiving messages from the garden, organize the elements that hinder life.
Seed trees that are hindering traffic can be pruned or moved to other places. Depending on the tree, the seeds will drop, and the grass growing on the rhizomes will become more infested.
The grass with rhizomes can be said to be a single creature, so there is no problem even if it is partially removed. This is a personal opinion, but I feel that plants have a life structure different from animals.
The number of cuttings and bushes increases, and the life of a tree jumps around the tree and continues to live, dwells in some species and revives again. Of course, it is not scientifically proven. It's just a delusion.

Organize the branches that are obstructed or that block airflow. However, human intentions should be avoided as much as possible. Ideally, you should observe what the tree wants to be and arrange it in its natural form. It feels like helping you become the one you want.

Existing garden trees are often planted with large trees. There are also problems with the neighborhood and traffic problems, so it may be difficult to grow as it is.
The pruning technique is also a technique that puts hands in the garden in a smaller size than the original size by regularly placing hands. Even in such a case, it is necessary to keep the size of the tree as small as possible and not to make it too low unnaturally. Rather than dropping a large number of branches that stretched over a period of time at once, you can reduce the burden on the trees by regularly taking your hands.

Try to trim the grass as much as possible without removing it.

Grass is the home of insects and small animals, and they have been in symbiosis with trees since ancient times.

Place the cut grass as much as possible and return it to the soil. I think you can mulch the root of the tree.

New flower stocks and vegetable seedlings are planted in consideration of their growing size. The surrounding grass is planted separately, and the surroundings are cut lower than the seedling so that photosynthesis is possible. I don't think there is a need for a vegetable garden. Planted in the same way as flower seedlings, it plays the role of a constituent plant in the garden.


How to design a garden

If you have trees that have already been planted and you want to change the design so that they are easy to use, distinguish between trees that can be moved and those that are not. Oki is already integrated with the earth, and functionally supports the environment of the place.

If it is absolutely necessary for a medium-sized tree, it should be transplanted with professional treatment. At that time, in consideration of the condition of later growth, the place will be decided in consideration of the overall balance.

If the location of the trees, shrubs and shrubs is decided, we will plant the flowers accordingly.
I think that garden work that can be done at home mainly on a daily basis is the management of this flower. Choose the type that suits your lifestyle and your preference for your garden environment, and decide on the layout taking into account the size, sunlight, and shades.
There are a variety of horticultural varieties of flowers, each with their own flowers and fruits, so I hope you enjoyed it from the design stage.

Most of the varieties are horticultural varieties with improved varieties, which are basically more vulnerable to pests than the original. The plants close to the original species have survived the natural selection, so they are the most advanced plants suitable for the current environment.
When constructing the garden environment, it is easier to coexist with naturally occurring grass if you choose domestic varieties that have not been improved and that are strong enough to resist the grass.
In summer, to keep the flowers and vegetables from being buried in the grass, mowing the surroundings lower than the planted cultivars to ensure ventilation and light.
Let's plant horticultural varieties as a part of the garden ecosystem with the intention of returning to the wild.
How to manage flower seedlings, etc., gardening books should be used only as a reference and should not be swallowed. If the sponsor has a drug company, it means that it is a book for selling the drug, so be careful especially with rose management books.


Thank you for reading the fourth tea party e-mail magazine.

There is no such thing as “the correct answer” for the management method. It just means that “the result is returned” for “what you did”.
I think that's what I can say about nature.

I think my garden environment reflects my consciousness. The values ??of beautiful and unbeautiful are unique. A garden environment that is symbiotic with grass or laid with fallen leaves may be said to be “not beautiful” in current common sense. It may also be seen as “slow management”. However, if each of these actions is meaningful and works beneficially for the garden environment and the surrounding environment, I think it is well worth doing it without fear of prejudice.
I think that old values ??will change rapidly. The generations of young people in particular feel that the eyes to see the essence of things are clearly different from the generations that desperately carry the old values.
If you look at it with that kind of eye, you can think of how the dead leaves gradually adjust to the ground as “beautiful things”.

Next time, we will deliver it from a place called “Slow Life Close to the Environment”.





2019・10 お茶会メルマガ ナチュラルガーデンへの誘い その3 庭環境でのオーガニック〜



お茶会メルマガ3回目です。
今回からは「庭」という環境について見ていきたいと思います。


庭環境でのオーガニック

ナチュラルガーデンというスタイルは当然オーガニックであることが前提となります。
「オーガニック」は「有機的な」という意味もありますが、「無加工」「無修正」という意味もあるようです。
農薬や化学肥料を用いず、施工の際にもケミカルなもの、プラスチック製品、環境破壊につながるものは極力用いないようにします。
「極力用いない」という表現には、例えば軽トラで現場へ移動したり、道具などでプラスチック製品を使用したりする場合があるためです。
時代が進み、道具や移動手段などを含めて、あらゆるものが自然破壊から無縁のもので作られることを期待しますが、今の段階では「今できること」を「手の届く範囲」でやるしかありません。


自然をよく観察していると、小さな草むらの中にたくさんの虫がいて、それらを拠り所として様々な生き物が集まってくることがわかります。
しかも園芸品種の草木だけしか植栽されていない環境よりも、放ったらかしにされた草むらの方が多様な生き物が生息しています。
石をひっくり返すと、そこにはダンゴムシやゲジゲジやムカデ、フンムシ、名前も知らないような小さな虫などもいます。枯れ枝にはアリが巣を作っていたり、奇妙な姿のクモの仲間なども見かけます。


庭の生態系

生態系はその底辺が広ければ広いほど豊かなものになります。
園芸品種のみ、という不自然な環境よりも自然に自生する草と共生させた方が「生物多様性」になり圧倒的にその底辺は広がります。
たとえ小さな庭であっても目に見えないほど小さな微生物、バクテリアや菌類が多ければ多いほど、土は豊かになり、分解能力が上がり、生物循環が円滑になります。つまり「代謝がいい」環境になります。
腐敗ではなく発酵(好気分解)がおこり、菌糸を持つ菌類が土壌の団粒化を促進させ、雨や酸素の通りが良くなり、根が健全になることで枝葉や幹の健康も維持されるようになります。

植物の免疫力が上がることにより、病害虫に対して抵抗力がつくようになります。
葉は本来の健康を保てれば虫の嫌がる物質や成長を抑制する物質を出して害虫の大発生を阻止します。また多少の病気にもその自然治癒力で対抗します。それは動物と全く同じなのです。

農薬を庭に用いることはその生態系の底辺である微生物を死滅させることになります。
植物は本来の免疫力を奪われ、すぐに病害虫に負けるようになります。そこでさらに殺虫剤や除菌剤、化学肥料が庭で使用され、環境はさらに悪循環になっていきます。
自然の野山に囲まれた環境の庭であればまだマシかもしれませんが、都市部の庭ではそこにしか自然はありません。
その根本の環境作りが庭の生態系を支える根本となります。

小さな庭の小さな生態系が正常に機能し始めると先に述べたような健全な「生態系循環」が機能し始めます。
何も持ち込まなくても、何も持ち出さなくても、そこにあるものだけで、そこに生きる生き物がそれぞれの役割を担い、何か一種類だけが大量発生したり、その環境を破壊したりすることは無くなります。
そこに生きるすべての生き物が必要とされ、全体に対して何らかの貢献をし「個」や「種」という個性の違いを最大限に発揮しながら全体を作り上げていきます。
その生態系には目に見えない微生物から、樫の木の大木までもが必要不可欠となるのです。


庭の生態系の破壊

自然に放っておけば、時間はかかりますが、庭は健全な生態系を取り戻します。人工構造物はいずれは朽ち果て、アスファルトやコンクリートからも草が生えてきます。
太古の遺跡も森に飲み込まれ、残るのは石でできた構造物だけですが、それもいずれは形のないものになります。

それを阻止しているのが人間の暮らしです。
庭にアプローチを設け、地形を変え、塀を作ったり花壇を作ったりします。人間が使い勝手のいいようにレイアウトをします。
自然の中にポツンと家を建てた、ということでもない限り、当然、そういう元々人為的な空間が「庭」という空間です。
特に都市部では計画的に地形造成され、区画で仕切られています。
地形は真っ平らな平地であることが多く、隣家も切迫しています。
そういう環境で果たして「小さな生態系」が作れるのか心配になります。


庭の生態系の再現

いくら四角く切り取られた区画であっても、建ぺい率という建築上の法律があります。
敷地一杯いっぱいに建物を建てることはできません。それに、いくら小さくても駐車場やアプローチ、建物周囲、裏庭スペースがあることもあります。
現代工法での外構工事をしなければ家の周りはぐるりと土の状態が残されているということです。

生態系の底辺は目に見えないミクロの生き物たちです。ひとすくいの土の中に何億、何兆という数で生息するような世界の生き物です。そしてまさに、それらのミクロの生き物が地上の生き物を支えています。
土作り、地形作り、浸透性、植生など様々な工夫をすることによりミクロの世界から広がる生態系を作ることができます。それは、本当に重要なものは土の中にあり、目に見えないものであるからです。小さな地面の隙間から生き生きと茂る木を見かけることがあります。それはその木の根が見に見えない生き物たちによって支えられているからです。

駐車場やアプローチも緑化することができます。タイヤに踏まれたり、歩くところではありますが、踏みしめに強い植物がありますので、草も交えそういうもので全体を緑化することができると、多くて敷地の40%近くを緑化することができますし、縦方向の中高木などを工夫して植栽することにより、立体的な緑化をすることができます。
中高木には鳥や羽虫、小動物が集まりますので、敷地の外の環境ともつながりを持つことができるようになります。生き物には区画は関係ありません。そこでそれぞれの営みをし、棲みついたり、餌場にしたりします。

人間以外の生き物の営みは、その全てが自然にとって有用な事柄です。自然を破壊したくても彼らにはできません。自然を良くすることしかできないのです。それは彼らが自然の一部であり、その営みは完全に自然に即したものであるからです。


メルマガ3回目をお読みいただき、ありがとうございます。

我々は現代社会というものの只中にいて、その社会が常識と呼ぶものは「企業利益」に由来していることが多いと感じます。
「科学薬品」を多く売りたいのは「石油経済」を維持するためのように思います。
「思い込み」はその社会が大衆に向けて行ったプログラミングではないでしょうか。
「こうするのが当たり前」という概念を一旦すべて頭から外し、シンプルに考えていただければと思います。
自然の中に無駄なものは何一つありません。草は必要だから生えますし、落ち葉や枯れ枝も「ゴミ」ではなく土作りの大切な「資源」です。
草を抜いて、落ち葉を集めビニールのゴミ袋に詰めてガソリンを使ってそれを回収し、化石燃料を燃やしてそれを焼却処分する、そのことの方が非常識なように感じます。

次回は「環境との付き合い方」というところからお届けしたいと思います。






This is the third tea party e-mail magazine.
From this time, I would like to look at the environment of “garden”.


Organic in the garden environment

Naturally, the natural garden style is assumed to be organic.
“Organic” may mean “organic”, but it may also mean “unprocessed” or “uncensored”.
We do not use pesticides or chemical fertilizers, and we will minimize the use of chemicals, plastic products, and items that cause environmental damage during construction.
The phrase “use as little as possible” is because, for example, there are cases where you move to the site with a light tiger or use plastic products with tools.
I expect that everything will be made of things that are free from natural destruction, including tools and means of transportation, but at this stage we can only do what we can do now within the reach of hands. There is none.


If you look closely at nature, you can see that there are many insects in the small grass, and various creatures gather together based on them.
In addition, a variety of creatures inhabit the grass that has been left open rather than the environment where only horticultural varieties are planted.
If you turn the stone upside down, you will find the dandelion, gegegeji, centipede, dung beetle, and small insects whose names are unknown. On dead branches, ants make nests and strange spider friends.


Garden ecosystem

The wider the bottom of the ecosystem, the richer it becomes.
Rather than the unnatural environment of only horticultural varieties, symbiosis with grass that naturally grows naturally becomes “biodiversity”, and its base is overwhelmingly widened.
The more tiny microorganisms, bacteria and fungi that are invisible, even in a small garden, the richer the soil, the greater its ability to decompose, and the smoother the biological cycle. In other words, it becomes an environment with good metabolism.
Fermentation (aerobic decomposition) occurs instead of spoilage, and fungi with mycelia promote soil agglomeration, improve the flow of rain and oxygen, and maintain healthy roots and trunks by improving the roots. It will be so.

By increasing the immunity of the plant, it becomes more resistant to pests.
If the leaf maintains its original health, it will prevent the occurrence of harmful insects by producing substances that the insects dislike and substances that inhibit growth. It also counters some diseases with its natural healing power. It is exactly the same as an animal.

Using pesticides in the garden will kill the bottom of the ecosystem.
Plants lose their natural immunity and quickly lose to pests. Therefore, insecticides, disinfectants, and chemical fertilizers are further used in the garden, and the environment becomes even more vicious.
If it is a garden surrounded by natural wilderness, it may still be good, but in an urban garden, there is nature only there.
The creation of the fundamental environment is the foundation that supports the garden ecosystem.

When the small ecosystem in the small garden begins to function normally, the healthy “ecosystem circulation” as described above begins to function.
Even if nothing is brought in, nothing is taken out, only the things there are, the creatures living there play their respective roles, only one kind is generated in large quantities, or the environment is destroyed Things will disappear.
All living creatures that live there are needed, and we will make some contributions to the whole and make up the whole while making the most of the differences in individuality of “individuals” and “species”.
From invisible microorganisms to large oak trees are indispensable for the ecosystem.


Destruction of the garden ecosystem

If left undisturbed, it takes time, but the garden regains a healthy ecosystem. Artificial structures will eventually decay and grass will grow from asphalt and concrete.
Ancient ruins are also swallowed by the forest, and all that remains is a stone structure, but it will eventually be shaped.

It is human life that prevents this.
An approach is set up in the garden, the terrain is changed, and buds and flower beds are made. Lay out the layout so that humans can use it easily.
Naturally, such a man-made space is a “garden” space, unless it means building a house in nature.
Especially in urban areas, the terrain is systematically created and partitioned by compartments.
The topography is often flat and the neighbors are imminent.
I'm worried if we can create a “small ecosystem” in such an environment.


Reproduction of the garden ecosystem

There is an architectural law called building coverage, no matter how many squares are cut off.
A building cannot be built to fill the entire site. Also, no matter how small, there may be parking spaces, approaches, surrounding buildings, and backyard space.
It means that the soil around the house is left around if the outside construction is not done with the modern construction method.

The bottom of the ecosystem is invisible micro creatures. It is a creature of the world that lives in hundreds of millions and trillions in a scoop of soil. And these micro creatures support the creatures on the ground.
An ecosystem that spreads from the microscopic world can be created by various measures such as soil creation, topography, permeability, and vegetation. That's because what is really important is in the soil and invisible. Sometimes you can see a tree that grows lively through a small gap in the ground. This is because the roots of the tree are supported by invisible creatures.

Parking lots and approaches can also be greened. Although there are plants that are stepped on or walked on, there are plants that are strong against trampling, so if you can plant the whole with such grass, you can plant at most 40% of the site. It is possible to make a three-dimensional greenery by planting the middle-high trees in the vertical direction.
Birds, wingworms, and small animals gather in Nakatakagi, so you can connect to the environment outside the site. A creature has no relation to a compartment. Therefore, each business is carried out, and it is used as a feeding ground.

The activities of creatures other than human beings are all useful for nature. They can't do it if they want to destroy nature. You can only improve nature. That is because they are part of nature and their work is completely natural.


Thank you for reading the third e-mail magazine.

We are in the midst of modern society, and what we call common sense is often derived from “corporate profits”.
I want to sell a lot of “chemicals” in order to maintain the “oil economy”.
Isn't "belief" the programming that the society has done for the masses?
I would like you to remove all the concepts of “this is natural” and think simply.
There is nothing useless in nature. Grass grows because it is necessary, and fallen leaves and dead branches are not “garbage” but important “resources” for soil creation.
I feel that it is insane to pull out the grass, collect the fallen leaves, put them in a plastic garbage bag, collect it with gasoline, burn the fossil fuel and incinerate it.

Next time I would like to deliver it from "How to interact with the environment".

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