明石市 魚住町の庭



明石市の現場です。

とても広い敷地で地形も富んでいて明石の海岸線を上手く利用したお庭でした。



明石市魚住という地名はまさに明石市が瀬戸内海沿いにある海岸の町だという事です。

その昔、瀬戸内海は氷河の時代は大きな大河だったらしいです。
氷河期の終わりにこの星の氷が溶けて海面が上昇して海になったらしいです。
明石市には明石川という一級河川が流れ込んでいます。
兵庫県は山岳地帯なので、山から流れ込む河川(加古川や市川など)が播磨平野を形成して、現在の地形になりました。

明石市の海岸はほぼ海水浴場になっていて、砂浜が広がっています。
水が綺麗で魚も沢山いる海。
魚住にこのお庭はあります。

このお庭がある現場のすぐ南には住吉神社という神社があります。
この神社は境内から海が見える神社という珍しい立地にあります。
海岸沿いの高台に建てられた神社で、ご依頼いただいたお庭も同じ高台にありました。



庭全体が高台を含む海岸の平地と繋がっていて、とても広くて変化に富む地形でした。



お庭は地域の植生に即した日本庭園が造られていて、このお庭を造った職人さんの知恵やアイデアを窺い知る事ができます。



回廊式の散策路に石組みやツクバイ、灯籠など地形と建屋を上手く縫うように南側に日本庭園が造られています。



石畳の回廊も歩きやすいよう施工されていて、石組みに熟練した職人さんの仕事だと窺い知ることができます。



斜面地を、上手く石で土留めをして、回廊と崖下を区切っています。





こういう広大なお庭では全体を捉える事も大切ですが、視界に収まる部分部分としての景観で区切りながら仕事をして行くと後々に全体が繋がってきます。



ご新規様でのご依頼でしたが、剪定枝を根元や土が露出している所に敷き込んで行く事をお話しの上ご了解頂けました。
玄関脇の植栽部分はご両親様のご希望もあり、剪定枝の上からマルチング材を敷き込みました。








個人個人の価値観は様々です。
僕はヨガを習い始めてからは「正しい」や「間違い」という「二極」のものが実は同じものなのではないかという事を感じ始めました。

剪定枝を敷き込む事に理解をして頂ける事も、またそれに抵抗があるという事も、どちらが正しいという事ではなく、それらの価値観は些細な「違い」であって、それ程大きな「違い」ではない気がするのです。



施工前。







施工後。

この景観を見て頂くと、今まで自分の庭で見たこともなかった景観を見る事になると思います。
しかし、不思議と、この景観に不快感を抱くお施主様は殆どいらっしゃません。
否、殆どではなく、「今まで全くいらっしゃらなかった」というのが事実です。
「違和感がない」「知らなかった」というのが真実です。

地面(土)が剥き出しになっている状態が「不自然な状態」だったと気づかれるのだと思います。

人は知識よりも「感覚」で判断した方がより自分にとって良い選択ができるのではないでしょうか。

「世間の常識」にとらわれるのではなく、より自分が心地良いものを選んで行けば、気持ちも安らぎますし、心の余裕も出てくると思います。

僕自身、わりと個性が強い方なので、多くの人に理解してもらえる事は滅多にありません。
でもそれも楽しいなと思えるようになりました(余談ですが)。

長くなりそうなので、続きはまた次回ということで!


北区のお庭 その後 テントウムシとアブラムシ テントウムシを呼ぶコツ 自然の取り分と人間の取り分 アブラムシが家を守る 自然樹形のメリット 柔らかい表情 土の上に暮らす事 



お久しぶりのブログです。

ここの所おかげさまで仕事がすごく忙しくてブログの記事も書けていませんでした(言い訳)。

それで、ご紹介したいお庭も沢山あるのですが、前後しますが先に昨年の夏の終わり頃に改装工事をさせて頂いた北区のお庭の様子を見にお伺いさせて頂きましたので、紹介したいと思います。

裏のお庭の家庭菜園では立派なそら豆が育っていました。
そこにテントウムシがいっぱい。
なぜこんなにテントウムシが居るかというと、アブラムシがたくさん居るからです。
テントウムシの幼虫はアブラムシが大好物なので、ここに来て卵を産むのです。

アブラムシは卵から孵ると10日ほどで親になり、雌だけで卵を産み続けるという驚異的な虫です。
世代交代もその速さで進み、農薬への耐性も素晴らしいものがあります。
農薬への耐性を獲得したアブラムシは世代交代ごとにその耐性を強め、農薬は効かなくなります。

もしも家庭菜園で農薬を使いたくないのであればアブラムシはぜひテントウムシに任せてください。
すごく沢山来てくれます。



ただし、テントウムシを呼ぶのにはコツがあります。
誰にでもできる簡単なコツです。

その方法は、畑の畝に落ち葉や刈り草のマルチングをして、周辺の草は抜かずに刈り取るだけにしておきます。
虫は草に集まります。
草が生えていればテントウムシはどこにでも居ますので、呼び寄せる事ができるのです。

ただし、テントウムシが居るからといって、アブラムシが全滅する訳ではありません。
アブラムシも居て、テントウムシも沢山来て、そら豆もしっかり収穫できる、という仕組みです。
「全部居る!」それが自然の姿です。

そら豆も人間だけのものではありません。
葉や茎の樹液はアブラムシの取り分だと思いますし、葉っぱはイモムシやバッタの取り分だと思います。
人間はそら豆がいただければ、それだけでありがたい事です。

アブラムシはお尻から甘い汁を出してアリを呼びます。
アリはシロアリの天敵ですので、木造住宅の庭にはアリはぜひ居てもらいたい生き物です。
巡り巡ってアブラムシが家を守ってくれている事になりますね。



落ち葉のマルチングもいい感じで馴染んでいました。
この落ち葉の中にも菌類やバクテリアなどの微生物が居て植物の根を守ります。
落ち葉は根の布団です。



土のアプローチにも草が生えていていい感じでした。
草の花はよく見てみるととても綺麗です。健気ですし、季節ごとに咲く花も違います。
四季の変化は地面の草を見ていると一番感じやすいと思います。



キンモクセイも新芽が色濃くなりとてもいい感じでした。
自然形に整えたので光合成の効率も良くなっています。
樹木の自然形は最も効率よく光合成ができる姿です。
枝を伝って雨も根元に集めますし、植物の姿は自然形にしてあげれば自分で健康を維持します。



表の庭もコンクリート平板を取り、木柵を外し、雨の浸透整備をして、落ち葉でマルチングしてあります。

コンクリート平板や木柵などの人工物は狭い庭では固い印象を受けてしまいます。
区切られているような圧迫感もあり、実際に空気や水の循環も阻害しています。

それらの人工物を取ってあげるだけで、とても柔らかい景観になります。



土の上に暮らす事は身体的にも精神的にも健康的になれます。

土の中に様々な微生物がたくさん居る事で体内と体外の菌やウイルスの交換ができ、免疫力も上がります。
免疫力は最高の抗がん剤です。
癌細胞は体内で毎日できる細胞ですが、免疫力でそれを抑制しています。


弱っていたヒイラギ(写真を取り忘れました(汗))も新芽が出ていて復活していました。
その根元の石組みを組み直した目地にイワダレソウを植えましたが、とてもいい感じに根付いてくれていました。
数年後にはこの石組みを覆うようにツルを伸ばして初夏から夏には白い小さな花を咲かせてくれます。とても楽しみです。



お客様から帰り際にそら豆とえんどう豆とニンニクのお土産をいただきました。
ありがとうございました。
どこかの産直で買っていただいた「私がつくりました」的なちゃんとした野菜です。しかも紙袋入り。
塩茹でやカレーにして、とても美味しく頂きました。
ありがとうございました。
また様子を見にお伺いさせて頂きます。






This is the blog after a long absence.

Thanks to this, my work was so busy that I couldn't write a blog post (excuse).

So, there are many gardens I would like to introduce, but before or after, I would like to introduce the garden in Kita Ward that was renovated near the end of last summer.

In the kitchen garden in the back garden, fine beans were grown.
There are a lot of ladybirds.
The reason why there are so many ladybirds is because there are so many aphids.
Aphids are my favorite for ladybirds, so I come to eat them.

The aphid is a marvelous insect that becomes a parent in about 10 days after hatching from an egg and continues to lay eggs only by females.
The change of generation proceeds at that speed, and some of them have excellent pesticide resistance.
Aphids that have acquired resistance to pesticides become more resistant with each new generation, and the pesticides no longer work.

If you don't want to use pesticides in your vegetable garden, let the aphids be your ladybug.
A lot of people come.



However, there are tricks to calling ladybirds.
It's a simple trick that anyone can do.

The method is to mulch fallen leaves and mowed grass on the ridges of the field, and only mow the surrounding grass without removing it.
Insects gather on the grass.
If the grass is growing, the ladybirds are everywhere, so you can call them in.

However, the presence of the ladybird does not mean that the aphid is wiped out.
There are aphids, many ladybirds come, and broad beans can be harvested well.
"I'm all here!" That's what nature is all about.

Broad beans are not just for humans.
I think the sap on the leaves and stems is the aphid's share, and the leaves are the caterpillars and grasshoppers.
It would be great for human beings to receive broad beans.

Aphids call out ants with sweet juice from their buttocks.
Since ants are natural enemies of termites, ants are a creature that we definitely want to stay in the garden of a wooden house.
It means that the aphids are going around and protecting the house.



I was familiar with the mulching of the fallen leaves.
Microbes such as fungi and bacteria are also present in these fallen leaves to protect the roots of plants.
Fallen leaves are root futons.



It was nice to have grass on the soil approach.
If you look closely at the grass flowers, they are very beautiful. It is healthy and the flowers that bloom in each season are different.
I think the changes in the four seasons are the easiest to feel when looking at the grass on the ground.



It was also very nice because the new shoots of the oyster were darkened.
Since it is arranged in a natural form, the efficiency of photosynthesis is improved.
The natural form of the tree is the most efficient form of photosynthesis.
Rain collects at the roots along the branches, and if the plants are naturally shaped, they will maintain their own health.



In the front garden, concrete plates have been removed, wooden fences have been removed, rain penetration has been carried out, and mulching has been done with fallen leaves.

Artificial objects such as concrete slabs and wooden fences will give a solid impression in a small garden.
There is also a feeling of pressure, which actually blocks the circulation of air and water.

Just take those artifacts and you will have a very soft landscape.



Living on the soil can be physically and mentally healthy.

The presence of various microorganisms in the soil allows the exchange of bacteria and viruses inside and outside the body, increasing immunity.
Immunity is the best anti-cancer drug.
Cancer cells are cells that can be made every day in the body, but the immune system suppresses them.


The weakened holly (I forgot to take a photo ?) had a new shoot and was revived.
I planted sardines on the joints where the stonework of the root was reassembled, but it took root very nicely.
A few years later, the vines are stretched to cover the stonework and bloom small white flowers from early summer to summer. I'm really looking forward to it.



On the way back from the customer, I received souvenirs of broad beans, peas and garlic.
Thank you very much.
It is a kind of “I made it” decent vegetables that I bought directly from somewhere. Moreover, it comes in a paper bag.
It was boiled with salt and curry, and it was delicious.
Thank you very much.
In addition, we will visit you to see the situation.

剪定作業@神戸東灘区 コロナウイルスから学ぶ事 気付く事と変わる事 自分軸 植物の命



神戸市東灘区の現場です。

定期的に毎年お伺いさせて頂いて、お手入れをさせて頂いています。
いつもありがとうございます。

ここ最近の記事は作業とはあまり関係の無い事を書いているような気がしますが、もう時代は動き始めていますし、大変な変化の中、今自分に出来る事を模索しつつ、今回も思うがままに綴っていこうと思います。

写真は混植の生垣です。コニファーの中に半蔓性の花木(名前を忘れました)が植えられていて、その凸凹感がとても良いのですが、通りに面しているため、一応揃えて剪定します。
単一の植物で植えられた生垣よりもいろいろな種類で混植された生垣の方が個人的には好みです。
見ていて面白いですし、常緑と落葉が混ざっていたりすると季節により、とても変化のあるものになります。花が咲くものがあれば尚更です。
「多様性」生垣にもこの面白さは当てはまると思います。



揃えて刈り込んでもボコボコしてますね。新芽が出てくるとさらに面白い表情になり、道行く人も見ていて楽しいのではないかと思います。

物事には「こうでなければならない」という事柄は本当に「存在しない」のだと最近はさらに強く思います。
それは「どんな事柄においても」です。「正しさ」や「正義」はそれを言い始めると摩擦を生み、そもそも何が正しくて何が間違いであるのか、その基準さえも不確かなものであると思います。
自分のこういう記事も、自分が「正しい」と言う主張をしている訳ではありません。
ただ「こう思う」という意見を述べているだけです。
それはある人には共感され、ある人には拒絶される事柄だと思っています。
それで構わないと思います。
人はそれぞれ、だと思いますので。
戦争や環境問題、社会の理不尽さ、経済の理不尽さなども「悪い事」と定義してしまうのは簡単だと思いますが、そこから学ぶことが必要だからあえて「問題」として生まれてくると捉える事もできます。
その問題が無ければわからなかった事柄も沢山あると思います。
実は今まで人類が苦しんできた事柄は全て「学び」として必要だったのではないでしょうか。



今、人類の新たな苦しみはコロナウイルスかと思います。
とても現実のものとは思えない大事で深刻な被害が出ています。
悲しくて悲惨な状況も世界では起こっていて、それ自体はとてもネガティブな事柄だと思います。

歴史的にもウイルスや疫病による被害は度々人類を苦しめて来たようです。

しかし「物事には良い面と悪い面がある」と言います。
何かとても当たり前の事の様な気がします。

何故今、世界でこの異常事態が巻き起こっているのでしょうか?
国境や街は封鎖され、経済も止まりかけています。
人間がこれまで続けてきた当たり前の日常が当たり前では無くなって来ています。
経済が立ち行かなくなると、人間にとっては「死活問題」です。
普通に考えてみれば。



では普通では無い思考で考えてみましょう。

ふと空を見ると、春の陽気の中、鳥たちがとても気持ち良さそうに鳴いています。
虫も動き始め、猫も呑気に歩き回っています。
桜も咲き始め、木々の新緑も芽を出し、草の新芽も伸びて来て、緑が生き生きと息づき始めました。
彼らは皆「生き物」ですが、何も困ってはいません。
彼らは自然があれば生きて行けます。

人間はどうでしょうか。
「経済」というものが生まれたのは人類の歴史から見れば「ごく最近」の事柄です。
それまでは電気もガスも水道も無い時代を延々と生きて来ました。
日本には「湧き水」が豊富にあり、地下水も豊富にあります。
環境汚染さえ無ければ、それらは「長寿の水」や「旅人の水」「若返りの水」と名付けられる水もあるほど身体に優しく、癒しの効果もあるものです。
そして植物性の油で火を灯し、薪で煮炊きをする。
焚き火の赤い火はガスの青い火と違い、遠赤外線効果でご飯を美味しく炊き、お風呂では身体を真から温め、癒しの湯になります。
元々暖かな暖流に囲まれた日本は豊かな降雨量のおかげで山が多くの実りをもたらし、山が豊かな分、川も海も豊かです。
山菜や木の実、薬草は自然の中にいくらでも育ち、破壊的な開発や環境汚染さえ無ければ、それらの恵みを充分に得られると思います。

最近、知人に教えてもらった面白い記事の中にウイルスについて書かれたものがありました。
長い記事ですので要点だけお伝えすると、ウイルスというものはとても単純な構造の「非生物」で、コロナウイルスも自然界にいる無数の細菌やウイルスの中では自然淘汰や土などへの吸着によって死滅してしまう微弱な存在なのだそうです。
生き残れる環境はコンクリートやプラスチックなどの他の菌類やウイルスがいなくてツルッとした場所。ぎゅうぎゅう詰めの家畜小屋などらしいです。
人間に感染したウイルスは都会の環境でその勢力を増すのは当然の事の様です。
自然界のシステムは常に生物全体のバランスを保つ機能があると思います。
都市部の庭で毛虫が大量に発生するのもこのバランスが人工的に狂わされた結果だと思います。
これと同じ事が今、ウイルスという形で人間社会にもたらされているのだと感じます。
不必要な開発を止め、森や林を残し、川を生き返らせ、土を踏んで歩く環境に戻し、自然界の環境を蘇らせる事ができれば、この驚異的なウイルスも、これほどの脅威では無くなるのかも知れません。
今回のコロナが収束しても、ウイルスも変化をし、今後も様々な形態で人類の脅威となると思います。
その度に毛虫を殺虫剤で殺す様な方法で対処しても、それは根本的な解決にはならないと思います。

人間は今「本当に何をするべきなのか」を真剣に考えなくてはいけない時に来ていると思います。
自然との共生や生態系維持は専門家の方々が常に警鐘を鳴らしている事柄です。
自分たちは目の前に脅威が迫って、初めてその重大さに気付くものです。
自分たちのやった事は、自分たちの大切な人たちをも巻き込んで、脅威となって目の前に現れます。
その事に気付く時だと思います。もしも今、それに気づけないで、何も変わらないのであれば、人類は大きな損失と共にそれを学ぶ事になるかも知れません。



人はこの短かった経済社会で環境を自分達の都合だけで好きなように扱って来ました。
多くの「種」を絶滅させ、生態系を破壊し、その機能を維持するのが不可能な状態へと向かわせて来ました。
「害虫」「雑草」「雑木」は人間が自分達がこの星の支配者だと自負する言葉だと感じます。
人間は自分たち以外の生き物に対して、そう思っているのです。
本当に人間は自然(地球)の支配者なのでしょうか?

そして、今回のこのウイルスの問題は、その事と嫌でも向き合わなくてはいけない事になってくるのでは無いでしょうか?

日常が日常でなくなり、経済が崩壊すると「生きる」というシンプルな問題と直面する事になります。
自然のシステムは、自然を生かして大切にした分、そこからの恩恵を得ることができるという誰にでもわかるとてもシンプルな事柄です。
「競争」や「争い」はその概念を持っている以上、自然界では生きて行く事自体が不可能です。
自然は共生であり、競争しません。本能はそれを知っているのだと思います。
人間社会も大変な社会状況になればなるほど、共生しなければ生きていけなくなると思います。
これは綺麗事でも絵空事でもなく、リアルな事柄だと感じます。
何が人間を生かしているのか。
それ以前に「生かされている」と思えるかどうか。



「生まれ方」と「死に方」は選べない、とどこかで見聞きした記憶があります。
違う見方をすれば、どちらも「自分で選んでいる」という見方もありますが、通常の意識では生まれ方も死に方も選べない、という事になります。

何のために生まれ、何故生かされ、何故死ぬのか。
それにはおそらく、個人個人の深い理由があるのだと思います。
全ては必然なのだとすれば、「理由無き生」など無いと思うからです。



もしも、自分の中でその答えが見つかり、自分の生きる理由がわかれば「生き方」も自ずと変わると思います。

今までのように、「お金を稼ぐために生きる」という人生も変わるかもしれません。
経済の崩壊は生きる理由を自分で決め、それをやるキッカケになると感じます。




コロナの事で、これからどうなるのか分からないという状況下にある中、自分の行動を自分で決めて動いている人はどれだけいるのでしょうか。
そしてこれから、いろいろな常識がその意味を失い、判断や選択を自分軸でしなければならない時、人間はプログラムがなくなったロボットのように「誰かの指示」を待っているだけの状態になってしまわないと言えるでしょうか。
おそらく、そういう状態がいちばん情報に左右され、自分を見失い、パニックになる状態だと思います。

既に人間は「二極化」の時代に入っていると改めて感じます。
「自分軸」で生きる人と「他人軸」で生きる人。
何のために生き、そのために何をするのか。それが自分ではっきりとわかっていないと、この危機的な状況と、これからやってくる変化の中、楽しく生きて行くのは難しい事になると感じます。

死に方はわかりませんし、死ぬ時期もわかりません。そういうのは運命的な問題ですので「生き残る」事が目的ではないと思います。
どう生きるのか。
生きる意味、喜び、幸せ。
お金の本質も、その価値はそれ(お金)を得る事ではなく、その先にあるものを体験するための原動力(エネルギー)なのだと思います。
体験に価値を置き、それに向かって行動していれば、それを支えるエネルギーは、その価値が自分に即したものであれば自然と集まってくるのだと思います。
自分軸を見失い、外の世界に振り回されていれば、エネルギーはどんどん使い果たされ、いずれは無くなるかも知れません。
それにエネルギーはお金だけでは無いとも思います。
自分軸を生き、他の存在(すべての命)を尊重し、行動する中で集まったエネルギーに感謝できれば、それはどんな環境であっても幸せを感じる生き方ではないでしょうか。



もちろん僕はまだまだですよ(笑)。
大口を叩いているだけで大いに落ち込んだり、外に振り回されたりしています。
そういう風に生きたいと努力はしていますが。
そういうのはずっと「まだまだ」の状態なのかも知れませんね。

しかし不謹慎かも知れませんが、この状況がとてもワクワクしているのも事実です。
「陰極まって陽に転じる」と言うように、まさに今、この状況なのではないかと思います。

様々な問題、争い、理不尽さ、抑圧。そんな全てがひっくり返るほどの変化がもうすぐそこに来ているような気がします。

どう生きるのか。
何を得たかではなく、何を与える事ができたのか。
この言葉を僕もずっと大切にしていきたいと思います。



それと最後にお庭の事。
大切に育てていたミモザの大木がいよいよ枯れ込んでしまいました。
大掛かりな処置はできませんでしたが、できる範囲でいろいろとやっていました、しかし傷みが止まらず一部の枝を残して最後の息吹の状態になりました。
植えてから20年との事。
ミモザは寿命が短く、20年から30年で命を終えます。
夏の暑さと都市部の環境も合い重なり、その寿命も早めてしまったのかも知れません。
最後の息吹を残して、安全のために枯れ枝は切り落としました。
大きな根っこでこの庭の環境を支えていたミモザです。
お施主様も、もう一度ミモザを植えたいと言いながら、まだ切り倒さずに最後まで大切に見守りますとの事。
僕も力が足りずに申し訳ないと思いました。
次回、お伺いした時に、まだ持ち堪えていてくれればと思いますが、大切に育ててもらえた事はミモザにとっても良かったと思います。
以前の記事で「植物の命はその地に宿り、それは別の種から大地に蘇る」ような気がする。と書かせて頂いたと思います。
これは本当に個人的な思いで、何の根拠もありません。
ただ動物の命と植物の命は何か「表裏」のような関係であると思うからです。
我々動物(特に人間)は環境を自ら選び創造し、変えて行く存在かと思います。
一方、植物は環境から出現して、それに合わせて自らを変化させ、そこに生まれ来る命を育む存在かと思います。

地球という環境には元々植物が内在的に存在し、それが地球そのものの命であるか、その重要な一部のように感じます。
動物はそこに着床する外的な存在。

そう思えば、自らの存在の一部(半分)である植物という存在をもっと大切にしてあげたいと思います。
少なくとも自分の庭(自分の環境)にある植物には、彼らが自分の一部であると思って接して頂ければ、その気持ちも伝わるのではないかと思います。
動物は環境に守られて生かされています。

この大変な時、激動の時代、その全てを何か自身の向上や学びに変える事ができれば、自分自身も生きる意味ややるべき事を見出せるのではないかと思っています。
きっと良い時代の変化になります。
そして願いは叶い続けていると思います。
今まさに願っている事。それが目の前の環境だと思います。






This is the site of Higashi Nada Ward, Kobe City.

I have regular visits every year and I am grooming.
I am always grateful for your help.

It seems that these recent articles are writing things that have nothing to do with work, but the times have already begun to move, and in the midst of great changes, while exploring what I can do now, I will write it as I like this time.

The picture is a hedge of mixed planting. A semi-vine flowering tree (forgot the name) is planted in the conifer, and the unevenness is very good, but because it faces the street, it is pruned for the time being.
I prefer hedges mixed in various types to hedges planted with a single plant.
It is interesting to see, and if evergreens and deciduous are mixed, it will change very much depending on the season. It is even more so if there is a flower that blooms.
I think this fun applies to the "diversity" hedge.



Even if you trim and align it, you're still bumpy. When sprout comes out, it becomes more interesting expression, and I think that it may be fun to see people on the way.

Recently, I think even more strongly that the "must do" thing is really "non-existent".
It is "in any matter." "Rightness" and "justice" create friction when you start to say it, and I think it's uncertain what the right and what is wrong in the first place.
These articles do not claim to be "right."
It just says, "I think this way."
I think it is something that some people sympathize with and others reject.
That's fine.
Because I think each person is.
I think that it is easy to define war, environmental issues, social unreasonability, and economic unreasonability as "bad", but if it is necessary to learn from it, it will be born as a "problem" You can also catch it.
I think there are a lot of things that we couldn't understand without that problem.
In fact, all the things that humanity has suffered so far may have been necessary as "learning".



Now, I think humanity's new suffering is coronavirus.
First of all, I would like to express my heartfelt sympathy to those who have died or have been affected by the coronavirus.
It is very important and serious damage that does not seem very real.
Sad and miserable situations are happening in the world, and I think that is a very negative thing in itself.

Historically, virus and plague damage has often plagued humankind.

But he says, "There are good and bad things."
I feel like something very natural.

Why is this anomaly happening in the world right now?
Borders and towns have been closed off, and the economy is about to stop.
The ordinary daily life that humans have continued so far is no longer the norm.
When the economy ceases to run, it is a matter of life and death for humans.
If you think about it normally.



Let's think with unusual thinking.

Suddenly, when I look at the sky, the birds are singing very pleasantly in the spring weather.
Insects have begun to move, and cats are walking around with care.
Cherry blossoms have begun to bloom, fresh green trees have sprout, and new shoots of grass have grown, and the green has begun to breathe lively.
They are all "creatures", but nothing is in trouble.
They can live if they have nature.

What about humans?
The birth of the "economy" is only "very recent" in human history.
Until then, we have lived endlessly without electricity, gas or water.
Japan has abundant "spring water" and abundant groundwater.
As long as there is no environmental pollution, they are so gentle and soothing that some of them are named "Longevity Water", "Travel Water" and "Rejuvenation Water".
Then light the fire with vegetable oil and cook with wood.
Unlike the blue fire of gas, the red fire of bonfire cooks rice deliciously by the effect of far-infrared rays, and in the bath, warms the body from the ground up and becomes a soothing hot water.
Japan, originally surrounded by warm warm currents, has abundant rainfall thanks to abundant rainfall, and the mountains are rich, so the rivers and the sea are rich.
Wild plants, nuts, and medicinal plants grow in nature, and as long as there is no destructive development or environmental pollution, I think that their benefits can be fully obtained.

Recently, an interesting article from an acquaintance told me about a virus.
Since it is a long article, let me just tell the gist, the virus is a `` non-living organism '' with a very simple structure, and the coronavirus is killed by natural selection and adsorption to soil among countless bacteria and viruses in nature. It seems that it is a weak entity that will be lost.
The surviving environment is a slick place free of other fungi and viruses such as concrete and plastic. It seems to be a livestock barn packed with crawls.
It is natural that viruses that infect humans will increase their power in urban environments.
I think that the natural system always has the function of keeping the balance of the whole organism.
I think that the large number of caterpillars in urban gardens is the result of this imbalance being artificially disrupted.
I feel that the same thing is now being brought to human society in the form of viruses.
Stopping unnecessary development, leaving forests and forests, revitalizing rivers, returning to walking on the soil, and restoring the natural environment, this phenomenal virus will no longer be this threat It may be.
Even if this corona converges, the virus will change, and I think it will continue to pose a threat to humankind in various forms.
I don't think that treating caterpillars with pesticides each time would be a fundamental solution.

I think humans are now when it is time to think seriously about what to do.
Symbiosis with nature and preservation of ecosystems are things that experts always sound.
We only realize the significance of the threat right before our eyes.
What they do, involving their loved ones, appears as a threat in front of them.
I think it's time to notice that. If we don't notice it now and nothing changes, humanity may learn it with great loss.



People have been treating the environment as they like at their own convenience in this short economic society.
It has exterminated many “species”, destroyed ecosystems, and brought them to a state where their function could not be maintained.
"Pests", "weeds" and "bushes" are words that humans are confident that they are the rulers of this star.
Humans think so for other creatures.
Is man really the ruler of nature (Earth)?

And isn't the problem of this virus this time you have to confront it even if you don't like it?

When our daily lives are no longer everyday and the economy collapses, we face the simple problem of living.
The system of nature is a very simple matter that anyone can understand that we can benefit from the value we take advantage of nature.
Since "competition" and "fighting" have the concept, living in nature is impossible.
Nature is symbiotic and does not compete. I think instinct knows that.
I think that the more severe social conditions we have in society, the more we can live without coexistence.
I feel this is not a beautiful thing or a picture thing, but a real thing.
What makes humans alive?
Before that, do you think you're being alive?



I remember seeing and hearing somewhere that "birth" and "death" cannot be chosen.
From a different point of view, there is a view that both are "chosen by myself", but with normal consciousness it is impossible to choose how to be born or die.

What are you born for, why you are alive, and why you die.
I think that's probably for a deep personal reason.
If everything is inevitable, I don't think there is no reason.



If you find the answer in yourself and understand why you live, your way of life will change naturally.

As before, the life of "living for money" may change.
I feel that the collapse of the economy is a reason to decide for yourself and to do it.




In a situation where you do not know what will happen in the future about Corona, how many people are moving with their own actions.
From now on, when various common senses lose their meaning and they have to make decisions and choices on their own axis, humans are just waiting for "someone's instructions" like a robot without a program Can you say that it does not happen?
Perhaps that situation is the most dependent on information, losing sight of yourself, and panic.

Already, humans feel once again that they will enter the era of “polarization”.
People who live on their own axis and people who live on another axis.
What do we live for and what do we do for it? If I do not know it clearly, I feel that it will be difficult to live happily in this crisis situation and the coming changes.

I don't know how to die, and I don't know when to die. That's a fateful problem, so I don't think the purpose is to survive.
How do you live?
Meaning of life, joy, happiness.
I think that the essence of money is not its value, but its value, it is the driving force (energy) to experience what is beyond it.
If you put value in the experience and act on it, the energy that supports it will naturally come together if the value is appropriate for you.
If you lose your axis and get swung away by the outside world, energy will be exhausted more and more, and eventually it may be gone.
And energy is not just money.
If you can live on your own axis, respect other beings (all lives), and appreciate the energy you have gathered in your actions, isn't that a way of life that makes you happy in any environment?



Of course I'm still far (laughs).
He is very depressed or swung outside just by hitting the big mouth.
I'm trying to live that way.
That kind of thing may be in a state of "still".

However, it may be unscrupulous, but it is true that this situation is very exciting.
As I say, "the cathode turns into the sun," I think this is the situation right now.

Various problems, strife, unreasonability, repression. It feels like a change that will turn everything over is coming soon.

How do you live?
What you could give, not what you got.
I want to keep this word important.



And finally the garden.
The large mimosa tree that had been carefully cultivated has finally withered.
I couldn't take any major steps, but I was doing as much as I could, but the pain didn't stop, leaving some branches and the last breath.
20 years after planting.
Mimosa has a short life span and lasts 20 to 30 years.
The summer heat combined with the urban environment may have shortened its lifespan.
Dead branches have been cut off for safety, leaving the last breath.
Mimosa that supported the environment of this garden with big roots.
The owner says he wants to plant mimosa again, but he will keep watching carefully until the end without cutting down yet.
I also felt sorry for lack of power.
The next time you visit, I hope you can still hold it, but I think it was good for Mimosa to have it cherished carefully.
In an earlier article, it feels like "The life of a plant dwells in the land, and it comes back to the earth from another species." I think that was written.
This is a truly personal thought, without any basis.
Just because the life of animals and the life of plants are something like a "front and back" relationship.
We, animals (especially humans), choose and create their own environments and change them.
Plants, on the other hand, emerge from the environment, change themselves in line with them, and suppose that they are the ones that nurture the lives born there.

Plants are inherently present in the environment of the earth, and it feels like a vital part of the life of the earth itself.
The animal is an external entity that gets there.

With that in mind, I want to value the existence of plants, which are part (half) of my existence.
I think at least the plants in your garden (your environment) will be transmitted if you think they are a part of you.
Animals are kept alive in the environment.

In this difficult time, in a turbulent era, if I can change all of this into something of my own improvement and learning, I think that I can find out the meaning of living and what to do.
It will be a change in the good times.
And I think that my wishes continue to come true.
What I just hope now. I think that is the environment in front of you.

本格的な日本庭園@姫路市 自然の意図と人間の意図



先の姫路市の記事の続きです。
早めに続きを書かないと、つい忘れてしまう事もありますので、早速ですが続けます。

庭仕事はやっていてとても楽しいです。
剪定や掃除は場の整理ですので、心の整理や佇まいを正す効果もあります。
綺麗になると気持ちもスッキリとして、自分自身も本当に心地良くなります。
掃除や片付けが精神的にもたらす効果はとても大きなものがあると実感します。
内(心)と外(環境)は確かに繋がっていて、外(環境)がもたらす心への作用はとても大きなものがあると感じます。

さて、そしてこちらの現場でも許可を頂いて剪定枝を木の根本に敷き込ませて頂きました。
ご理解頂ける事は、本当に有り難く、嬉しい事です。本当に感謝致します。
この事への理解は、できるようで簡単には出来ないものだと思います。
普通の方にとっては、おそらく今までの常識をひっくり返される様な事柄ですので、それを受け入れて頂けるという事は、受け入れるお施主様にとっても、とても思い切りが必要な事柄なのかもしれません。
それを考えると、受け入れる準備や心の余裕があるという事が「すごいな」と思います。


剪定枝を「ゴミ」と見るか「マルチング材」と見るか、その意識の持ち様で、同じものでもまるで違うものになります。
「ゴミ」という観念は社会や経済が変化し、「使い捨て」の近代文化ができてから生まれたごく近年の観念だと思います。
江戸時代のリサイクル文化では「ゴミ」という観念は無かったかもしれません。
着物にしても、何度もリサイクルされ、最後はボロの雑巾になり、燃やされて(綿や麻は植物ですので)煮炊きや暖房や照明の燃料となり、その灰は田畑の肥料や掃除に利用されました。
それは日本人の精神性でもあったのだと思います。

世界中を巻き込むこの「近代化」や「グローバリズム」は、様々な地域文明を消滅させ、文明の統一化を目指して進められて来ましたが、この事がもたらす弊害は重要な文化や精神性の損失に繋がっていると感じます。
「大切なものを失った」または「忘れてしまった」世界では、核廃棄物を含めた「ゴミ」が山のように廃棄され、環境を汚染し続けています。
そして私たち(一般市民)は、その事に気づき始めています。「何か大切なものを置き去りにしている」という感覚。

剪定枝のマルチングを受け入れて頂けるその想いの中には、そういう感覚があるのではないかと思います。

この剪定枝のマルチングについては別の記事で詳しく書いていますので、そちらを参考にして頂けたらと思います。



剪定枝のマルチングにしても、「自然の意図」で見れば、それは必然的な事柄です。
自然の中では木が落とした枯れ枝や枯れ葉は、誰も掃除などしません。
それらは人間のかわりに「分解者」である昆虫や微生物によって分解され、豊かな土となって、また植物に還元されます。
地面に落ちたそれらの枝葉は木や環境にとって「必要だから落ちる」様になっています。
生物的循環。
「人間の意図」を持ち込むという事は、それが「自然の意図」に即したものであれば問題ありませんが、「自然の意図」に反したものであれば、そこで自然の成り行きや循環を阻害するものとなってしまいます。
自然がつくりあげた「システム」は全てが「必然」で繋がり、無駄なものが一切ない(ゴミが一つも出ない)完璧な「システム」です。
そこに「人間の意図」を持ち込み「ゴミ」を生産する。
自分が庭仕事で何か「しこり」があると感じるのはこの事です。

現代の「環境づくり」の考え方は「人間の都合や快適さ」のみを追求し、消費を軸とした「企業や経済の都合」に合わせた環境づくりになっているように思います。
「企業」という経済の主役を社会の中心に据え、そこに依存する社会。
経済的な発展に価値を置く社会は、自然や環境に配慮する事もなく、自然から搾取するばかりです。
そこに「自然の意図」を汲み取った配慮を見つける事はとても難しい事だと思います。
自然に触れる事なく育った世代や地域の人は、この事でさえ理解するのが難しいのかもしれません。

「経済を優先させるのは当たり前」だと考えられています。
そしてそれは「そうしないと生きていけないという社会のシステム」が出来上がっている事に原因があると思います。
「仕事をしてお金を稼がないと生活ができない」というシステムは、近代文明がつくり出したシステムです。
「お金」という幻想を生み出し、それに価値を与え、それを皆んなで信じる事によってそのシステムは成り立っています。
「意図」は意識の中で生まれ、それを「創造」して行く。
このシステムも紛れもなく「人間の意図」がつくったシステムであり、それを受け入れている事で成り立っているシステムです。
しかし、それは「変えよう」と意図すれば変えられる事柄でもあると思います。「自分たちでつくったシステム」ですから。

しかし一方で、そんな中でも世界で見れば、若い世代の方々の中にも、環境についての意識の高い人たちも多くなって来ている様です。
積極的にアウトドアに出たり、旅をしたり、小さく暮らす選択をしたり。働き方も企業に依存する事なく多様な働き方になって来ています。
それはどちらかというと日本や東洋の文化だと思うのですが、世界的に今の時代はその「二極化」がとても顕著になってきている様に思います。
「衣食住」の生活全般に対して、既存の価値観に捉われずに自分の主張やライフスタイルを持ち、それを「生き方」として実践する。
数で言えば、まだまだ少ないかもしれませんが、これからはもっと多くなってくるのではないでしょうか。
その価値観は「お金」や「経済」を中心としたものではなく「精神性」を中心としたものだと感じます。
「何を自分の人生の中心に置くか」で、そのライフスタイルも一様では無くなります。
これからは「経済」だけが価値の中心では無くなり、様々な「価値観」や「多様性」が今まで以上に増えるのではないかと思います。
日本も少子高齢化が進み、海外からの労働者や移民が増えれば、その価値観を受け入れる事になると思います。
そして、それらがお互いに尊重し合いながら「共生」する事は「自然の意図」そのものだと思います。



「自然の多様性」は「違う種」「違う生きもの」どうしが共生する仕組みです。
そして、そこには「自然の意図」しか存在しません。
人間と違い、昆虫や動物は本能的な脳に従い本能的な活動をしています。それらの「本能」は「自然の意図」と密接な関連があるように思います。
「生きる」事と「子孫に情報を繋げる」事は生物の本能です。それは「生きものに備わった自然の意図」とも言えるのではないでしょうか。
一方、人間は大脳が発達し、その行動も観念や思考が大きな割合を占めています。
高度な社会をつくり、規則やルールを設けます。
少し話しが脱線しますが(もうしているかも・・・)その中でも日本は特に、とてもルールの多い国だと感じます。
一昨年だったかな? インド旅行から帰ってきた時はあまりの雰囲気の違いにしばしぼう然となりました。
何かとても窮屈そうな雰囲気が感じられたのです。
何か型にハマり、それを守り、気を遣い、個性を抑えている。そんな雰囲気です。
そして特に「暗黙のルール」というものは日本独特のものではないかと思います(正直、本当についていけません)。
「主張して意見を交わし合う」文化ではなく、「何も言わずに空気を読む文化」とでも言うのでしょうか。
自分は幼少の頃から、それに馴染めずにとても苦労した想いがあります。海外の文化に触れたりすると、そのあっけらかんとした主張や意見にホッとします。
思いっきり「自分を表現している」のです。タトゥーとかは普通の事に思えます。「あなたは、あなた、私は、私」違って当たり前。そして、それをお互いに尊重する。
日本ではタトゥーがあれば温泉に入れませんし、白い目で見られますよね。
人と違っていたり、主張が強いと、とにかく生きにくい国だと感じます。

インドは「皆んなと同じような感じでなければいけない」という日本人独特の価値観とは明らかに違っていました。
とっても気楽でした。スーツ姿のビジネスマンや白髪の仙人や白人のヒッピーやサリーを着たおばちゃん、Tシャツと短パンのオッサン、裸の子供、普通の旅行者、犬、猫、牛、猿、ニワトリ、ヤギ、羊なんかがごちゃ混ぜにひとっところ(例えば街の交差点とか)に同居しているのです。
そして大都会の幹線道路でも交差点に信号はありません。
動物と人間と車やバイクなどが、それぞれにタイミングをみて行き交います。
牛は信号なんて守らないのでそんな交通ルールも意味がないのでしょう。
「なんでもありか?」ってなりますが、それが事故を起こさずに上手く機能しているのが不思議であり、とても興味深かったです。


インドという国は世界の中でも一味違うのかもしれませんが、多様な国籍や人種が混在し、全く違う世界観や宗教観を持ち、その中で暮らす大陸の国の人々は、その考え方も日本人とは根本的に違うのかもしれません。
島国であるこの国(日本)は、外から見ると、とても小さくて、独特の雰囲気の国だと感じます。


「常識」は時代と共に変化します。 例えば、昔のトイレは和式のボットン式の便所でした。
江戸時代ではそれを回収して田畑に肥料として使い、糞尿は有料で買い取ってもらう仕組みでした。
それが、上下水道が整備され、田畑の肥料は薬品会社が作る「化学肥料」にとって変わり、お金を払って水を飲み、お金を払って排泄物を処理してもらうシステムになりました。そしてそれは「常識」として受け入れられています。
そこに「疑問」を持つことは滅多にしません。
しかし、その事をよく良く考えた時、「それで良かったのか?」という「疑問」も出てきます。
上下水道の整備は、便利さというメリットと引き換えに、地力(有機肥料分)の低下や経済的負担、化学物質(化学肥料や農薬)による土壌、河川、海洋の汚染、浄化水道水による健康被害(フッ素やカルキ(塩素)など)、井戸文化の消滅、それによる地下水の衰弱、それによる土砂災害や環境破壊、水道事業の独占や操作など、本来は安全で無料であるはずの「飲み水」というものが、誰かの支配独占の元、安全だと思い込まされて、有料で提供されるものとなっています。
しかも湧き水や井戸に比べて災害に弱いです。
よく考えると「管理」され、「支配」され「搾取」されているのに、そこに何も疑問を持つことはありません。

とにかく「価値観」や「常識」「ルール」というものは社会の変化によってその社会から提供され、それを何となく受け入れ、そしてそれは常に変化して行くものです。
国や地域によっても違います。
インドの道に当たり前に落ちている牛の糞は、日本では「ルール違反」になるのかもしれません。

自分の信じている「ルール」も、他の国や他の価値観から見れば、それが正しいとは言えない場合もあります。

「人間の意図」はその時代や社会の「常識」や「ルール」が反映されたものであり、それが本当に暮らしや環境に有益な事なのかは本当に疑問です。

「自然の水や土にはバイ菌が居るから汚い」という「常識」。

「では、それらを汚したものは何ですか? そして、どうして汚れるのですか?」


「疑問」さえ持たずに、それを受け入れる事は、とても危険な事かもしれません。
「この社会は何処に向かって進んでいるのだろうか?」と足元を見てみる事も大切な事のように思います。



「人間の意図がつくる環境」は「自然の意図がつくる環境」とはかけ離れている事を認識する必要があると思います。
テレビを見ないので良くは知りませんが、環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんという高校生の方は、マスコミからとても叩かれているみたいですね。
経済や政治や世の中のシステムに逆らう思想は、いつの時代でも大きな圧力によって迫害されて来ました。
グレタさんが本当はどんな人なのかは分かりませんが、まだ16歳の高校生の女の子が、もしも世界的な吊し上げに遇われているのであれば、彼女は「本物の活動家」なのではないでしょうか。
「環境活動」もビジネスになり得ます。
「エコ」もビジネスになり得ます。
そんな企業や人も沢山居ると思います。
しかし、自分の利益をかえりみずに「本物の主張」をし、その影響力が大きくなれば、それは必ず「標的」にされると思います。それが「本物の証」であるように感じます。
ガンジーもマンデラ大統領もジョンレノンも、本物の人たちは皆んな「大きな力」によって迫害されました。
この時代、このような大きな活動は、起こるべくして起こり、摩擦を生むのだと思います。



「人間の意図」が「自然の意図」と寄り添う時、それはガンジーが為し得た人権革命になり、ジョンレノンが為し得た意識革命になり、マンデラ大統領が為し得た人種革命になるのだと思います。

気候変動を伴う地下資源を主なエネルギーとして使う文明には「限り」があります。
自然環境を破壊し、生態系を傷つけ、自らの首を締めるシステムです。
その事をグレタさんも訴えているのだと思います。
「持続不可能」なものごとには、当然ながら必ず「終わる時」が来ます。

人間がそれを続けようとしても、「自然の意図」がそれを妨げるかもしれません。
それは「災害」であり「気候変動」であり「病原菌」であり「経済恐慌」かもしれません。
それも「自然の意図」と言えるのかもしれません。
何かが「終わる」のであれば、それは「必ず終わる」のです。



考えなければいけない事は「終わらせない」事ではなく「どう終わらせるのか」ではないでしょうか。
そして、その後「何をつくり上げていくのか」という事ではないでしょうか。
「今までの続き」ではなく、「社会」も「経済」も「環境」も、今までとは全く違う(あるいは真逆の)ものをつくる必要があると思います。

「自然の意図」に寄り添った社会。
多様性が尊重され、個人がその個性を発揮でき、
願った生活や人生を思い通りに生き、
豊かな自然と清潔な水と土と空気があり、
生活に必要なものは環境を破壊せずに、安全なまま全て無料で自然からまかなえ、
時間に縛られず、国や地域に縛られず、
自由が得られ、愛に溢れた社会。

そういう社会に暮らしたい!!
本当に心底そう思います。



本当に「何のブログだろう?」という感じですが、「意図」が沢山集まればそれは「大きな想い」として、とても大きな力を持つと思います。
「こうしたい」という「意図」は現実の環境をつくりだす「力」を持っています。
これは夢物語でもなんでもなく、「現実の事」で「今まさに起こっている事」だと思っています。

「私は現実の話しをしているのです」とここにしっかりと明記しておきます!
そして、この時代の変わり目に2つの「選択肢」がある事も事実です。
どちらを「選択」するのか?

本当に「真剣に考えなくてはいけない問題」だと思います。




この池の真ん中には丸い水溜りがあり、そこに大きなトノサマガエルが住んでいました。
作業をしていると「何事ですか?」というふうに様子を見ては、さっと隠れてしまう感じで、その姿は写真にはおさめられませんでした。
「主(ぬし)」と勝手に名前を付けて4日ほど通っている間、わりと仲良くやっていけたと思っています。
作業が終わり、静かになって、「ぬし」もホッとしている事でしょう。
今度行った時にも、また居たら良いのになと思います。







It is the continuation of the article of the previous Himeji city.
If you do not write the continuation early, you may forget it, so we will continue immediately.

I enjoy doing garden work.
Since pruning and cleaning are the arrangement of the place, it also has the effect of organizing the mind and correcting the appearance.
When you become beautiful, your feelings will be refreshed and you will be really comfortable.
I realize that the mental effects of cleaning and cleaning up are very large.
The inside (mind) and the outside (environment) are certainly connected, and I feel that the outside (environment) has a very large effect on the mind.

Well, and with permission here, we pruned the branches into the roots of the trees.
It is really thankful and glad that you can understand. I really appreciate it.
I don't think it's easy to understand this.
For ordinary people, it is probably a matter that will overturn the common sense so far, so accepting it may be a very necessary matter for the owner who accepts it.
With that in mind, I think it's awesome to be ready and ready to accept.


Whether you see pruned branches as "garbage" or "mulching material", you have the same consciousness, and even the same thing is completely different.
I think the idea of ??"garbage" is a very recent idea that has been born since the social and economic changes and the modern culture of "disposable".
The idea of ??"garbage" may not have existed in the recycling culture of the Edo period.
Even kimonos are recycled many times, eventually turned into rags, burned (because cotton and hemp are plants), used for cooking, heating and lighting, and the ash is used for fertilizer and cleaning in fields. it was done.
I think that was also the spirit of the Japanese.

This “modernization” and “globalism” involving the whole world has been pursued to annihilate various civilizations and unify the civilizations. I feel that this has led to the loss of
In a world where you have lost or forgotten what is important, garbage, including nuclear waste, is being disposed of like a mountain and continues to pollute the environment.
And we (the general public) are starting to notice that. The feeling of "leave something important".

I think that there is such a feeling in the feeling that you can accept the mulching of pruned branches.

I've written in detail about this mulching of pruned branches in another article, so I hope you can refer to them.



Even when mulching pruned branches, it is an inevitable thing in terms of "natural intentions".
In nature, nobody cleans dead branches and dead leaves dropped by trees.
They are decomposed by insects and microorganisms, which are "decomposers", instead of humans, turning them into rich soil and returning to plants.
Those branches and leaves that fall to the ground are "falling as needed" for trees and the environment.
Biological circulation.
There is no problem with bringing in "human intentions" if it is in line with "natural intentions", but if it is against "natural intentions", it impedes the course and circulation of nature there. Will do.
The "system" created by nature is a perfect "system" that is connected by "necessary" and has no waste (no garbage).
They bring in "human intentions" and produce "garbage".
This is what makes me feel that I have some "lumps" in gardening.

I think that the idea of ??modern "environment creation" is to pursue only "human convenience and comfort" and create an environment that matches consumption and "business and economic convenience."
A society in which the leading role of the economy, called a "company," is placed at the center of society and depends on it.
A society that values ??economic development only exploits nature without regard for nature or the environment.
I think it is very difficult to find considerations that draw on the “natural intentions” there.
Generations and locals who have grown up without touching nature may find it difficult to understand even this.

"It's natural to put the economy first."
And I think that the cause is that the "social system that can not live otherwise" has been completed.
The system that “you cannot live without working and earning money” is a system created by modern civilization.
The system is created by creating the illusion of money, giving it value, and believing it all.
"Intention" is born in consciousness and "creates" it.
This system is undoubtedly a system created by "human intentions", and it is a system based on accepting it.
However, I think it can be changed if you intend to "change." Because it's a system we made ourselves.

On the other hand, however, looking at the world, it seems that among young people, there are many people who are conscious about the environment.
Actively going outdoors, traveling and choosing to live small. Work styles have become diverse without depending on companies.
I think it's more of a Japanese or Oriental culture, but in today's world, it seems that the "polarization" has become very noticeable.
They have their own assertions and lifestyles for the entire lifestyle of “clothing, eating, and living” without being bound by existing values, and practice them as a “way of life”.
In terms of numbers, it may still be small, but I think it will be more in the future.
I feel that those values ??are not about money or economy, but about spirituality.
Depending on what you put at the center of your life, your lifestyle will not be uniform.
From now on, "economy" will no longer be the center of value, and various "values" and "diversity" will increase more than ever.
I think Japan will accept its values ??as the birthrate and aging of the population decrease and the number of foreign workers and immigrants increases.
And I think that it is "natural intentions" that they coexist while respecting each other.



"Natural diversity" is a mechanism in which "different species" and "different creatures" coexist.
And there is only "natural intention" there.
Unlike humans, insects and animals follow instinct brains and operate instinctively. I think those "instincts" are closely related to "natural intentions".
Living and connecting information to descendants are the instincts of living things. I guess it can be called the "natural intention of living things".
On the other hand, human beings have developed cerebrum, and their behaviors are dominated by ideas and thoughts.
Create an advanced society and set rules and rules.
I'm a little off track (maybe I'm already doing ...), but I feel Japan is a country with a lot of rules.
Was it two years ago? 帰 When I came back from traveling in India, I was overwhelmed by the difference in atmosphere.
I felt something very cramped.
I'm addicted to something, protect it, take care, and keep my personality down. It is such an atmosphere.
And especially, the "implicit rules" are unique to Japan (honestly, I can't keep up).
Isn't it a culture of "reading the air without saying anything" rather than a culture of "arguing and exchanging opinions"?
Since I was a child, I have had a hard time without getting used to it. When I touch foreign cultures, I am relieved of their disputed claims and opinions.
He is fully expressing himself. The whole body tattoo seems normal. "You, you, I, I" And respect each other.
In Japan, if you have a tattoo, you can't enter the hot spring and you can see it with white eyes.
If you are different from others or have strong claims, you feel that it is a difficult country to live.

India was clearly different from the unique Japanese values ??of "must be like everyone".
It was very easy. Businessmen in suits, hermits in gray hair, aunts in white hippies and sari, ostensions in T-shirts and shorts, naked children, ordinary travelers, dogs, cats, cows, monkeys, chickens, goats, sheep, etc. They live together in one place (eg, at a city intersection).
And there are no traffic lights at intersections even on the main roads of big cities.
Animals, humans, cars, motorcycles, etc. come and go with their respective timings.
Since cows do not keep signals, such traffic rules would not be meaningful.
"What is there?", But it was strange that it worked well without causing an accident, and it was very interesting.


The country of India may be a bit different in the world, but people of continental countries who live in a mixed world of different nationalities and races, have completely different views of the world and religion, It may be fundamentally different from Japanese.
When viewed from the outside, this island country (Japan) feels very small and unique.


“Common sense” changes with the times. For example, the old toilets were Japanese-style botton-type toilets.
In the Edo period, it was collected and used as fertilizer in fields, and manure was purchased for a fee.
The water supply and sewage systems were improved, and the fertilizers in the fields were replaced by chemical fertilizers made by pharmaceutical companies. They paid money to drink water and paid money to process excrement. And it is accepted as "common sense".
I rarely have a "question" there.
However, when I think about that, I get the question, "Is that okay?"
In exchange for the merit of convenience, the improvement of water and sewage will reduce the soil strength (organic fertilizer content), reduce the economic burden, pollute the soil, rivers and oceans with chemical substances (chemical fertilizers and pesticides), and damage health due to purified tap water. "Drinking water" that should be safe and free, such as the disappearance of well culture (fluorine and chlorine (chlorine), etc.), the resulting weakness of groundwater, landslide disasters and environmental destruction, and the monopoly and operation of water supply businesses That is, under the dominance monopoly of someone, it is assumed that it is safe and it is offered for a fee.
Moreover, they are more vulnerable to disasters than spring water or wells.
When you think about it, it is "managed," "dominated," and "exploited," and there is no question there.

Anyway, "values", "common sense" and "rules" are provided from the society by the change of the society, somehow accept it, and it is always changing.
It depends on the country and region.
Cattle droppings that are common on Indian roads may be a "rule violation" in Japan.

The "rules" that you believe may not be correct in terms of other countries or other values.

"Human intentions" reflect the "common sense" and "rules" of the era and society, and it is really questionable whether it is really useful for living and the environment.

"Common knowledge" that "dirty because there are germs in natural water and soil".

"So what's the thing that made them dirty? And why do they get dirty?"


Accepting it without even having a "question" can be very dangerous.
It's also important to look at where you are heading, "Where is this society going?"



I think it is necessary to recognize that the environment created by human intentions is far from the environment created by natural intentions.
I don't know because I don't watch TV, but a high school student named environmental activist Greta Thunberg seems to have been beaten by the media.
Thoughts against the economy, politics and world systems have always been persecuted by great pressure.
I don't know who she really is, but if a 16-year-old high school girl is still being lifted worldwide, isn't she a "real activist"?
"Environmental activities" can also be a business.
"Eco" can also be a business.
I think there are many such companies and people.
However, if you make a "real claim" without looking back on your own interests, and you have a greater influence, it will always be a "target." It feels like it's "real proof."
Real people, Gandhi, President Mandela, and John Lennon, were all persecuted by "great power."
In this era, I think that such a big activity will happen and create friction.



When "human intent" snuggles with "natural intent", it becomes a human rights revolution that Gandhi could do, a consciousness revolution that John Lennon could do, and a racial revolution that President Mandela could do. I think it will be.

Civilization that uses underground resources accompanying climate change as its main energy has "limits".
It is a system that destroys the natural environment, damages the ecosystem, and tightens its own neck.
I think Greta is also appealing that.
Everything that is “unsustainable” naturally has an “ending time”.

Even if humans try to keep it, "natural intentions" may prevent it.
It is "disaster", "climate change", "pathogen" and "economic crisis".
It may be called "natural intention".
If something ends, it ends.



What we have to think about is not "do not end" but "how to end".
And then, isn't that what we are going to make?
I think it is necessary to create something that is completely different (or vice versa) from the past, not the continuation, but also the society, economy, and environment.

A society that is close to "natural intentions."
Diversity is respected and individuals can demonstrate their personality.
Live your desired life and life as you wish.
There is rich nature, clean water, soil and air.
Everything you need for life is safe and free from nature without destroying the environment.
Not bound by time, not bound by country or region,
A society full of love and freedom.

I want to live in such a society! !
I really think so.



It really feels like "What blog is it?", But if there are a lot of "intentions", it will be a "great feeling" and I think it has a very big power.
The “intention” of “like this” has the “power” to create a real environment.
I don't think this is a dream, but a "real thing" and a "what is happening right now."

"I'm talking about reality," he states clearly here!
And it is also true that there are two "options" at the turn of this era.
Which one to "select"?

I think it's really a matter of serious consideration.




In the middle of this pond was a round puddle in which a large frog lived.
When I was working, I saw something like, "What's the matter?", And it seemed like I was hiding quickly, and that figure wasn't included in the photo.
I named myself "Nusushi" and arbitrarily got along well for about 4 days.
The work is over, you're quiet, and you're relieved.
I wish I was there again the next time I went.

本格的な日本庭園@姫路市 「意図」が環境を造る



姫路市のお庭です。
とても本格的な日本庭園で、お家自体も昔ながらの古くからある集落に建てられた立派な日本家屋です。



植えられた木も松やカイヅカ、ツツジなど、日本庭園では定番の風土によく合うものばかりです。
年をとる事に、経験を重ねる事に、日本の気候には日本庭園で使う日本の自生植物がいちばんしっくりと馴染むし、生き生きと丈夫で、花や実も良くできると改めて思います。



山、谷(川)、池(海)、平野。
南に設けられた縁側から庭を眺めると、山から谷川が海に注ぐ風景が見事に造形されています。



土を盛り、石を組み、池の縁を回って小さく回遊できる造りです。
一つ前の明石市のお庭と同じ様に「回遊式」の造形です。
「回遊式」の日本庭園は兼六園や後楽園など「名園」とされる日本庭園の代表的な造りで極楽浄土を再現した世界だと言われています。
自然の姿をそのまま庭に落とし込み、浮き世(現実世界)に浄土(仏や菩薩が暮らす場所)の世界を表現したものです。
日本庭園の根本はその「浄土の再現」というものであり、日本人の精神性や風習に深く根ざしたものです。


庭への入り口には門担ぎの立派な黒松が仕立てられています。
こちら(現実世界)から、あちら(浄土)への入り口として、この立派な黒松がその境界を示している感じです。



仕立て方としては、いつの頃からか一般的になった「玉刈り」というやり方で仕立てられていました。
今回は初の管理作業という事で、基本的に現状に即した作業をして行きます。
ただ、全てを玉刈り状態にはせず、風通しを考慮して、枝抜きや散らし剪定も混ぜながら作業を進めます。
一気に形を変えずに、少しづつ自然形に戻して行ければと考えています。



古来の日本庭園も、本来は自然形の姿を維持していたのでは無いかと考えます。
「刈り込み剪定」は、例えば西洋のお城とか、生垣、お寺のツツジの大刈り込みなど、何か「緊張」を強いる様な場面で用いられる方法で、仕事をしたり、修行をする環境では良いかもしれませんが、リラックスしたい環境では、あまりふさわしくない様に思います。

松も本当はもっと自然形でも良いと思います。
絵に描いたような松も綺麗ですが、自然形の姿は本当に綺麗です。
庭木の松で自然形はほぼ見ることはありませんが、海岸の防風林や山や公園などでは自然形のままの佇まいを見る事ができます。
柔らかさ、しなやかさ、力強さ。それは「松」本来の美しさだと思います。



伸びている一芽一芽が一本の松の木の様です。

作業前にこんな事をいろいろと感じながら、庭を眺めています。
これからお施主様や自分の「意図」を持ち込み、この風景を造形して行くのだという思いです。
「環境」に対して「こうしよう」という「意図」を持ち、そういうエネルギーを向ければ、「意図した環境」が創り出される。
当たり前の事と言えば当たり前の事ですが、「ふむふむなるほどね」と改めて思うのです。
「意図したもの」が「現実を創造して行く」。
今の自分や自分達が暮らす「環境」というものは全て自分(個人)や自分達(集団意識)が「意図」した様になっている。という風に改めて思うのです。
環境問題について、いろいろと考えていますが、全てはこの「人間の意図」によって、この環境は造られているという事ですね。



ではどうすれば、気候変動や環境汚染を含む様々な環境の「危機的状況」を解決することができるのでしょうか。
答えはすごくシンプルで「良い環境にしよう」という「意図」を持つ事だと思います。
仏教では「依正不二[えしょうふに]」という考え方があります。「正報[しょうほう](自分)」は「依報[えほう](自分を取り巻く環境)」とは一見別のもののように思うが、二つは分かち難く関連している。という考え方です。「報」とは報い(結果)の事です。
昨年から始めたヨガの思想にも同じ思想があります。
「今に居る」という瞑想の状態は、「本来の自分(豊かで不足のない自分)」を見出すこと(ヨガ初心者の見解ですが)だと思うので、自分や環境に不足を感じたりしている時点で、自分も、それを取り巻く環境も「その様になって行く」という事だと思います。
考えてみればお釈迦さんもインド人でヨガの修行をしていたので、こういう考え方は古代(約5,000年前)のインド哲学からずっと続いている「この世界の仕組み」みたいな思想では無いかと思います。
もしかすると、それ以前の文明でもそういう思想はあったのかもしれません。

ただ本当にその「意図」を現実の環境に反映させようと思えば、それはそういう考え方を「知っている」とか「理解している」だけでは何の役にも立たないと感じます。
自分事ながら「それをやってる(行動に移している)」状態でないと自分を取り巻く環境は何も変わらないと感じます。
日々、自分はそれをやれているのか、観念だけでは無いのか、それを自分に問いながら、行動も気持ちも「外の環境」に振り回されたり、影響されたりしながら実践してみているところです。
「内側の環境(心の状態、意図)」が外側の環境を創造している。その具体的な実践は、常に外からの影響に左右されがちな自分を見つめる事でもあります。
良い感じだなと思える時もあれば、何かや誰かに影響され、不安や心配、怒り、悲しみ、などにとらわれて右往左往してみたり。
そしてまた瞑想や祈りで自分をリセットして行く毎日です。



いつもながら、話しが庭仕事の事から大きくズレてしまいましたが(笑)、もうあまり気にしないで行きます。
読んで頂けるのも良し、読んで頂けないのも良し、ですから。



旺盛に伸びていた枝を整理して行くと、だんだんと庭の形が見えてきます。
この庭を造った人の「意図」も読み取れるようになって来ます。
池の周りを石で囲い、対岸に灯籠を配してそこから山を望み空を見る景色です。
もしこれが庭の外に実際の山が望めたなら借景として素晴らしい景観になると思います。
その場合は、自分ならもっと木の数を減らして間合いを多く取ると思いますが、実際には集落の建物がありますので、これくらいの植栽量が必要なのでしょうね。
あるいは、造られた当初は奥のモクセイやウバメガシはもっと大きく仕立てられていたのかもしれません。
道路に面した南側はどの木にも傷みが出ていましたし、剪定も押さえ気味に強く手入れされていました。
庭木は年数が経つとだんだん大きくなりますので、強く剪定や伐採をされる事が多いですが、事情が許せば、あまり強剪定はせずに育ててやれればいいと思っています。



歩く場所や使う場所はその用途に合わせて草や低木の管理をする(現状に戻す)必要はありますが、眺める景観に関しては経年につれてその景観は変化して行くのが自然な事だと思います。
大きくなる木を植えれば、その環境に合わせて木は育ちます。
低木は木陰になれば勢いを弱めるかもしれません。
それぞれがお互いのバランスを保ち、枝を伸ばしたり、落としたりして空間を共有するようになります。



それが「自然の意図」であり、自然そのものです。
いつも山の景観と比べてしまうのですが、「人間の意図」を加えた景観と「自然の意図」が造った景観では、やはりその美しさは比べものになりません。
どれだけ自分達が技を使って手入れをしても、そこに「人間の意図」が入ると、それはもう「自然」ではなくなります。
そしてそれは、当たり前ですが「自然」では無いのです。
それが「自然」と「庭」との違いです。
自分はよく「庭仕事に不向きなのではないか?」と考えることがあります。
お施主様の「意図」を聴き、それを庭に造ることは「とても不自然なこと」と感じるのです。

勿論、それが悪いことではありません。
お施主様には「意図」があり、それを実践するのが庭師の仕事ですので、当たり前の事をやっている訳です。



しかし心の何処かで「不自然なこと」をしている自分を感じるのです。

お施主様には喜んで頂けますし、その事は自分にとっても、とても嬉しいことです。



それで良いのだと思い、そうやっているのです。



建築やアートと同じように造園を考えると「意図」を庭に持ち込む事はとても当たり前の事だと思います。
そもそも、それが「庭」なのだと思います。

ただ、ここ数年の心境の変化の中で、以前は「当たり前」だと思っていた事が「当たり前ではない」と感じることが多くなりました。



「意図を表現する」という事柄で言えば、良い感じに仕上がった、と言えると思います。


風通しも良くなりましたし、見た目にもスッキリしました。
悪くない仕上がりです。
ホントに。

そうですね、長くなってきましたし、今回はこの辺にしておきましょう。
もう少し、頭の中をまとめてから続きを書きたいと思います。
ネガティブな事ではありませんので念のため。
なんでしょう、なにか「しこり」みたいなものを感じるのです。

ではまた、改めて続きを書きます。






It is a garden in Himeji city.
It is a very authentic Japanese garden, and the house itself is a fine Japanese house built in an old-fashioned settlement.



Planted trees, such as pine, kaizuka, and azalea, are all well suited to the classic climate in Japanese gardens.
As I grow older and gain more experience, I think that the Japanese native plants used in Japanese gardens are the most familiar with the Japanese climate, and that they are lively, durable, and that flowers and fruits can be improved.



Mountains, valleys (rivers), ponds (sea), plains.
Looking at the garden from the southern side of the porch, the landscape where the valley river flows from the mountains into the sea is beautifully shaped.



It is a structure that can be filled with soil, assembled with stones, and moved around the edge of the pond.
Just like the previous Akashi garden, it is a “migration style” model.
It is said that the Japanese garden of the “migration style” is a world that reproduces the paradise of the paradise with the typical structure of a Japanese garden that is considered a “renowned garden” such as Kenrokuen and Korakuen.
The natural form is dropped into the garden as it is, expressing the world of the Pure Land (where Buddhas and Bodhisattvas live) in a floating world (real world).
The root of the Japanese garden is the "reproduction of the Pure Land", which is deeply rooted in the spirit and customs of the Japanese people.


At the entrance to the garden is a splendid Kuromatsu that is carried by the gate.
From here (the real world), as a gateway to that (Jodo), this fine Kuromatsu feels the boundary.



As a tailoring method, it was tailored in a way that was generally known from some time ago, called “gama cutting”.
This time it is the first management work, so we will basically work on the current situation.
However, we do not cut everything in the state of cutting, but we work while mixing pruning and scattering pruning in consideration of ventilation.
I want to return to the natural form little by little without changing the shape at once.



I think that the ancient Japanese garden originally maintained its natural form.
"Pruning" is a method used in situations where you need to "tension" something, for example, when you are cutting a large azalea in a western castle, hedge, or temple, and it is good for working or training environments. Perhaps, but in a relaxed environment, it doesn't look very appropriate.

I think pine can be more natural.
The pine like the picture is beautiful, but the natural form is really beautiful.
You can hardly see the natural shape of the garden pine, but you can see the natural shape in the coastal windbreaks, mountains and parks.
Softness, flexibility, strength. I think that is the original beauty of "pine".



Each growing bud is like a pine tree.

I'm looking at the garden while feeling various things before working.
From now on, I want to bring in the owner and my own “intent” and shape this landscape.
If you have the "intention" of "this way" to the "environment" and direct such energy, you will create the "intended environment".
Speaking of course, it is a matter of course, but I think again, "I'm sorry."
“Intentional things” “create reality”.
Everything about the environment and the environment in which we and ourselves live now is as if ourselves (individuals) and ourselves (group consciousness) had intended. I think again.
I'm thinking a lot about environmental issues, but everything means that this environment is created by this "human intention".



So how can we solve various environmental “crisis situations” including climate change and environmental pollution?
I think the answer is very simple, with the "intention" to "make a good environment".
In Buddhism, there is the idea of ??"Eshofuni". "Shoho (self)" seems at first glance to be different from "eho" (environment around me), but the two are hardly related. Is the idea. "Rewards" are rewards (results).
The same is true of the yoga philosophy that we started this year.
I think that the state of meditation "I am now" is to find "real self (rich and complete lack of self)" (it is a view of a beginner of yoga), so I feel lacking in myself and the environment At one point, I think that myself and the surrounding environment are going to be like that.
If you think about it, Buddha also practiced yoga as an Indian, so I think that this kind of thinking is like "the mechanism of this world" that has been continuing since ancient (about 5,000 years ago) Indian philosophy. You.
Perhaps even earlier civilizations had such an idea.

However, if you really want to reflect that "intention" in the real environment, it feels that simply knowing or understanding that idea does not help.
I feel that the environment surrounding me will not change unless I am in the state of doing it (taking action) while doing myself.
Every day, I am asking myself whether I can do it or not only the idea, and I am trying to practice while acting and feeling are swayed and influenced by the "outside environment" .
"Inner environment (state of mind, intention)" creates the outer environment. The specific practice is to always look at yourself, which is often influenced by outside influences.
Sometimes it feels good, others are influenced by something or someone, trying to go right and left with anxiety, worry, anger, sadness, and so on.
And every day I reset myself with meditation and prayer.



As always, the story has shifted a lot because of my garden work (laughs), but I don't mind much anymore.
You can read it, or you can't read it.



As you organize the branches that were growing vigorously, you can gradually see the shape of the garden.
You will be able to read the "intention" of the person who built this garden.
The surroundings of the pond are surrounded by stones, lanterns are arranged on the opposite shore, and you can see the mountains and view the sky from there.
If this were to see the actual mountain outside the garden, I think it would be a wonderful view as a borrowed view.
In that case, I think I would take more time by reducing the number of trees, but in fact there are buildings in the village, so it will be necessary to plant this much.
Or, at the beginning, the back Mokusei and Ubamegashi might have been tailored much larger.
On the south side facing the road, all the trees had been damaged, and pruning had been suppressed and they had been well maintained.
Garden trees grow larger over the years, so they are often pruned and cut down, but if circumstances permit, I would like to be able to grow them without too much pruning.



It is necessary to manage the grass and shrubs (return to the current state) according to the purpose of the place where you walk and use it, but I think that it is natural that the landscape changes over time as you look at it .
If you plant a tree that grows, the tree will grow to fit the environment.
Shrubs may diminish in shade.
Each will maintain their balance and stretch and drop branches to share space.



That is the "natural intention", which is nature itself.
I always compare it with a mountain landscape, but the beauty created by the “natural intentions” and the landscape created by adding “human intentions” are still incomparable.
No matter how much we use the techniques to care for them, once "human intentions" enter them, they are no longer "natural".
And it's natural but not "natural".
That is the difference between “nature” and “garden”.
I often think, "Isn't it suitable for garden work?"
Listening to the owner's "intentions" and creating them in the garden feels "very unnatural".

Of course, that's not bad.
The owner has an "intention", and it is the gardener's job to put it into practice, so he is doing something natural.



But I feel myself doing something "unnatural" somewhere in my heart.

The owner will be pleased and that will be a great pleasure for me.



I think it's good and I'm doing it.



Considering landscaping in the same way as architecture and art, it is very natural to bring "intention" into the garden.
First of all, I think it is a "garden".

However, in the last few years, my mind has changed and what I thought was "natural" before is often felt "not natural".



In terms of "expressing your intentions", I think it's a good feeling.


The ventilation has improved, and the appearance has been refreshing.
Not bad finish.
Really.

Well, it's getting longer, so let's keep it around this time.
I'd like to write a little more in my head before continuing.
It's not a negative thing so just in case.
I feel something like "lumps".

Then, I will write the rest again.

剪定作業@明石市 大いに伸びた木々たち



なかなか記事を書く時間が無くて、紹介したい現場も紹介しきれていないですが、ぼちぼちと少しずつでもUPしていければと思います。

明石市の現場です。
よく茂っています。おそらく5年以上は剪定をせずにいたと思います。
でもそれは決して「悪い事」ではありません。



庭木は、ほぼ本来の自然樹形に戻り、枝葉を縦横に伸ばして、よく見ると隣の木同士の枝はぶつからないように上手く譲り合っています。
「木のてんこ盛り」状態になっていて、個人的には、とても楽しげな感じです。
見ていて楽しくなります。



人を寄せ付けない森のよう。
でもよく見ると入り口があって、この中に入ってみれば、木に囲まれた別世界のようになっています。
「となりのトトロ」でメイが迷い込んだ世界のような感じです。

こんな所に入って行くと変な虫がウジャウジャいるのでは?という想像もされると思います。
この現場は夏に作業させて頂きましたが、これくらいの年数、自然に置かれていると毛虫なども大量発生しなくなり、人の視界でざっと観察する範囲では「何も気にならない」程度になっています。
キャンプ用のコットやハンモックで昼寝しても良いと思える程に清潔な感じです。

もちろん、よく観察すると、驚く程の虫たちが居るはずですが、森の中で虫がウジャウジャ居た、という思いをあまりした事が無いように、一見して、その姿は見当たりません。虫は見えない所に隠れています。
いつもこういう現象は不思議だなと思います。



そして、地面を見ると清潔さも感じます。落ち葉が体積して下の方は腐葉土になっています。
下の土は団粒化していて、雨の浸透性も良く、滞った感じがしない事が「清潔さ」に繋がっているのだと思います。
滞っていないと環境は腐敗せず、発酵します。好気性の菌類が増え、嫌気性の有機ガスも無く、土が熟成されて行きます。
目に見えない世界では環境は「生かし合う」方向へと進んでいます。
そういう環境の中に身を置いていると、とても心地良い気分になります。「昼寝」が出来そうだと思うのもそのせいです。
掃除していない部屋よりも放置した自然環境の方が圧倒的に清潔だと思います。

余談ですが(余談ばかりですみません)土の中には様々な菌類が居て人に有害な種類もいます。
体内に入ると人は免疫力でその力を無力化して害が出ないようにしています。
実際に話を聞きましたが、現代医療ではその菌を入れないか、入ると投薬で良い菌もろとも殺菌する方法が取られます。
免疫力を上げる方法は考えの中に入っていないようです。

現代人は現代生活がもたらす様々な事柄が原因で免疫力が低下していて、有害な菌類に対しての抵抗力が低下しています。
そして、菌類に触れない「殺菌」の考え方はそれを助長しているように思います。

例えば人間の皮膚には様々な菌類がいます。
手のひらの皮膚の1センチ角の面積に約400万個の常在菌が検出されたケースもあります。
全身の皮膚、頭皮、口内、鼻腔内、耳腔内、腸内、肺、血液、リンパ、関節・・・。様々な場所で菌類やウイルスは人体の細胞と共生しています。

その数は人体細胞の数と同じくらいか、それ以上とも言われています。
人体がそういう造りになっている以上「殺菌」の考え方は、この事からしても不可能と言えると思います。
無菌状態がもたらすものは抵抗力のない無防備な状態です。
発想を真逆にして、有用に働く菌類や微生物と積極的に共生する方向へと転換した方が良いと感じます。
免疫力が高いとあらゆる病気に負けない身体づくりができます。



さて、事情が許せば、このまま自然に任せていると日の当たらない下枝は枯れ、その分上へと枝を伸ばし、最終的に木の種類による高低差へと落ち着き、全体のバランスも完全に安定した状態になりますが、住宅地の庭という環境のため、そういう訳にもいきません。

しかし、個人的にはそういう(剪定しない)方向性になれば良いと思っています。
必要最低限の剪定(安全性の考慮)のみを施し、必要以上に伐採する事を見直せば、街全体が剪定という管理作業から解放され、神社や森にあるような大木が街中にあり、森の中に街があるという環境が造られるのではないでしょうか。

実際に林道へ行くと道の脇の大木が両側から枝を伸ばして木のトンネルになっている所が多くあります。
その様な環境は景観的にもとても心地良いですし、自然環境を考えても虫や鳥類などが多く生息できる環境が得られます。
枯れ枝や落ち葉は道路に落ちてきますが、台風など大風が来ない限り生枝が落ちてくる事はありません。
実際にそういう環境になってみれば、スピード優先、経済優先の価値観から、もっとゆっくり、慌てなくても良い社会へと転換できるのではないでしょうか。
日本は世界一働く時間が長い国です。
人生の殆どの時間を仕事に費やしているようです。
自分の事や家族の事よりも仕事を優先する風潮は、まだまだ現代日本の常識として根付いている様に感じます。
「ゆっくり生きる」という事は、何よりも「心を大切に生きる」という事だと思います。
本当に大切なのは、経済よりも「一人ひとりの心(内側の環境)」だと思います。
それを最優先できる社会が「街の環境」という「外側の環境」に現れ始めた時に、「日本も変わり始めたな」と思えるのではないでしょうか。

そして、安全性への考え方にも変化がもたらされ、「殺菌」のような「危険な要素は全て取り除く」という発想自体が見直されるのではないかと思います。
それはリスクを受け入れ、それに害されることの無い環境づくり、リスクよりもそれがもたらすメリットを優先する環境づくりができる社会へと転換して行ける考え方ではないかと思います。
この事は長くなりますので、少しずつ、また別の機会に記事に出来ればと考えています。



自然に最終変遷を任せる事ができれば良いのですが、その期間が数十年かかる場合、今の社会の感覚ではそれは難しい事です。
人為的に剪定をしますが、それでもこの庭が管理されていた時のような状態には戻しません。
それぞれの木の根は枝を伸ばす事でそれに合わせた根を伸ばし、枝や幹も太くなっています。
維持管理されていた当時のサイズでは無理がある事と、既に自然形樹形に戻っている事で、現状に即した剪定をします。
近隣にはみ出している枝を敷地内に収め、混み合っている枝を整理して、光と風を通します。



年に一度のメンテナンスを想定して、その間の伸びしろも考えて剪定をします。
最終的にどれくらいの大きさで管理して行くか、様子を見ながら数年かけてそれを調整して行きます。



とても良い日本庭園です。40年から50年程前に造られたものだと思います。
光も良く入るようになって、風通しも良くなりました。



日本庭園は自然の風景をコンパクトに庭に落とし込んだものです。
海、山、川、平地がスペースに合わせて落とし込まれます。
このお庭にも、手前に池が造られています。
今は水もあまり溜められていなくて上手く使われていない様でしたが、庭に池やビオトープがあると生物の多様性もその裾野は格段に広がります。
その池が浸透性を保った自然に近い池であれば、植生も多様化し、両生類や昆虫の種類も増え、鳥も集まって来ます。
タガメやゲンゴロウといった水生昆虫も都市開発や農薬や街灯などの影響により生育環境が悪化して今はその数が激減し、絶滅危惧種に指定されています。
野生の姿を見たことがある人は少ないと思います。

「庭」という環境は、これからの時代、とても多くの可能性を秘めていると思います。
小さな自然が生き生きと都会の中に点在する事で、綻んで行く生態系の連鎖がまた紡がれ始めるかもしれません。

都市部に造られた庭では杉や檜などの資源木はあまり植えられる事は無く、逆に現在の山よりも植生が多様化すると思います。
平野部では一級河川が街中を巡り、豊富な水と肥えた土があります。
鳥や動物が種を運び、人の営みが無ければ、あっという間に平野部は森になると思います。
例え人の営みがあったとしても、そこに自然と共生する環境が築けるのではないかと思います。
今思う事は、はたして、どうすればそこにレールを切り替えられるのだろう、という事です。
ずっと考えていました。そして今は、思いつく限りのことをやってみています。
そして、その答えも、自分の中では明確になりつつあります。

自分を含め、人が意図的に何か(外の環境)を変えようとしても、それは徒労に終わる事が多いと思います。
社会や政治や経済が絡まっている環境というものは、それを変えようという事はとてつもなく大事です。
とても大きなエネルギーを集め、それを駆使しても、それをさらに上回る力というものが存在していたり、そもそもそんな大きなエネルギーを集める事自体が難しい時代でもあると思います。

「自然の成り行き」というものは「良い方向にしか向かわない」のではないかと、何となく今は感じています。
これまでの地球の変化をみてみても、例え途上に「破滅的な何か」があったとしても、その先にあるものは「蘇生して行く自然」しかあり得ませんでした。
たかだか数千年の文明社会は自分達が生きる環境は破壊できても、45億年の自然の営みを破壊する事はできないと思います。
持続不可能な文明には限りがあります。
でもその先にあるものは、持続可能な文明しかあり得ないのではないでしょうか。
そしておそらく、もう既にそこに向かって進み始めているのではないかと思います。
「なんだ、じゃあもう自然に任せていれば良いね」という心境になって来ています。
自分は自分の身の回りの仕事をする。
「なんだ、それだけで充分なんだ。よかった、よかった。ぼちぼちやろう、マイペースで行こう」
と思う今日この頃です。






I don't have much time to write articles, and I haven't been able to fully introduce the sites I want to introduce, but I hope to improve them little by little.

This is the site of Akashi City.
It is overgrown. Perhaps I haven't pruned for more than five years.
But that's not a bad thing.



The garden tree has returned to its original natural tree shape, and the branches and leaves are stretched vertically and horizontally.
It's in a state of "heaps of wood" and it's a very fun personal experience.
It will be fun to watch.



Like a forest that keeps people away.
But if you look closely, there is an entrance, and when you enter inside, it looks like another world surrounded by trees.
It's like a world where Mei lost in "My Neighbor Totoro".

When you enter such a place, there are strange insects? I imagine that.
I worked on this site in the summer, but for so many years, caterpillars etc. did not occur in large quantities when placed in nature, so that it was `` not minding anything '' within the range of a quick observation with human vision It has become.
It feels clean enough to take a nap in a camp cot or hammock.

Of course, if you look closely, you will find surprising insects, but at first glance, you can't find them, as if you've never thought that insects lived in the forest. Insects are hiding out of sight.
I always think this phenomenon is strange.



And when I look at the ground, I feel clean. The fallen leaves are volume and the lower one is humus.
The soil below is agglomerated, has good permeability to rain, and does not feel stagnant, which leads to "cleanliness".
If not stagnated, the environment will not rot and will ferment. The aerobic fungi increase, and there is no anaerobic organic gas, and the soil matures.
In an invisible world, the environment is moving in a direction of "live-to-live."
Being in such an environment makes you feel very comfortable. That's why I think I can take a nap.
I think that the natural environment left untouched is overwhelmingly cleaner than the room not cleaned.

As an aside (sorry for the aside), there are various fungi in the soil and some are harmful to humans.
Once inside the body, humans use their immunity to neutralize their power and prevent harm.
As I heard, modern medicine uses a method that does not allow the bacteria to enter, or when entering, kills both the good bacteria with medication.
It doesn't seem like a way to boost immunity.

Modern people have reduced immunity due to various things brought about by modern life, and have reduced resistance to harmful fungi.
And I think that the concept of "sterilization" that does not touch fungi promotes that.

For example, there are various fungi on human skin.
In some cases, about 4 million indigenous bacteria have been detected in a 1 cm square area of ??palm skin.
Systemic skin, scalp, mouth, nasal cavity, ear cavity, intestine, lung, blood, lymph, joints ... Fungi and viruses coexist with human cells in various places.

The number is said to be equal to or greater than the number of human cells.
I think that the concept of "sterilization" is impossible from this point as long as the human body has such a structure.
What sterility brings is an unprotected, defenseless state.
I think that it is better to reverse the idea and change to a direction that actively coexists with useful fungi and microorganisms.
High immunity can create a body that can withstand all diseases.



By the way, if circumstances permit, if you leave it to nature as it is, the lower branches that do not shine will die, extend the branches up by that amount, eventually settle to the height difference depending on the type of tree, and completely balance the whole It will be stable, but that's not possible because of the residential garden environment.

However, I personally want to be in that (non-pruning) direction.
If only the necessary minimum pruning (consideration of safety) is applied, and the logging is overreviewed, the entire town is freed from the management work of pruning, and there are large trees like shrines and forests in the town. Isn't there an environment where there is a city inside?

When you actually go to a forest road, there are many places where large trees beside the road extend branches from both sides to form a tree tunnel.
Such an environment is very comfortable in terms of scenery, and even if you consider the natural environment, you can get an environment where many insects and birds can live.
Dead branches and fallen leaves fall on the road, but live branches do not fall unless a large wind such as a typhoon comes.
If such an environment were to be created in practice, wouldn't it be possible to shift from values ??that prioritize speed and economy to a society that would be slower and more comfortable without panic?
Japan is the country with the longest working hours in the world.
He seems to spend most of his life at work.
I feel that the tendency to prioritize work over myself and my family is still common sense in modern Japan.
I think that "to live slowly" means "to live with care for the heart" more than anything else.
I think that what is really important is not the economy but the individual mind (the inner environment).
When a society that can prioritize it begins to appear in the “outside environment” of the “city environment,” you may think that “Japan has begun to change.”

And I think that the way of thinking about safety will be changed, and the idea of ??"eliminating all dangerous elements" such as "sterilization" itself will be reviewed.
I think it is a way of thinking that can be shifted to a society that accepts risks, creates an environment that is not harmed by it, and creates an environment that prioritizes the merits it brings over risks.
Since this will take a long time, I hope to be able to write articles little by little on another occasion.



It would be nice to be able to leave the final transition to nature, but if it takes several decades, it is difficult in the sense of society today.
The pruning is done artificially, but it does not return to the state it was in when the garden was managed.
The roots of each tree grow by extending the branches, and the branches and trunks are also thickened.
The size at the time when it was maintained is unreasonable, and since it has already returned to its natural form, pruning is performed according to the current situation.
Branches protruding into the neighborhood are stored on the premises, crowded branches are arranged, and light and wind are passed through.



Assuming maintenance once a year, pruning is performed with consideration given to the extension during that time.
Over the course of several years, we will adjust the size while managing how much it will eventually be managed.



It is a very good Japanese garden. I think it was made about 40 to 50 years ago.
Light came in well, and ventilation improved.



The Japanese garden is a compact, natural landscape.
The sea, mountains, rivers and flats are dropped according to the space.
This garden also has a pond in the foreground.
Nowadays, the water is not well collected and it is not being used well, but if there is a pond or biotope in the garden, the diversity of biodiversity will be greatly expanded.
If the pond is a natural pond that retains permeability, vegetation will diversify, amphibians and insect types will increase, and birds will also gather.
Aquatic insects, such as turtles and beetles, have deteriorated in their growing environment due to the effects of urban development, pesticides and street lamps, and their numbers have dropped sharply, making them designated as endangered species.
I think few people have seen the wild.

I think the "garden" environment has so many possibilities in the coming era.
With small nature alive and scattered throughout the city, the dying ecosystem chain may begin to spun again.

Resource trees such as cedar and cypress are not often planted in gardens built in urban areas, and on the contrary, I think that vegetation will be more diverse than the current mountain.
In the plains, first-class rivers run around the city, with plenty of water and fertile soil.
If birds and animals carry seeds and there is no human activity, the plain will quickly become a forest.
Even if there is a human activity, I think that an environment that coexists with nature can be created there.
What I think now is how can I switch the rails there?
I've been thinking for a long time. And now I'm doing everything I can imagine.
And the answer is becoming clearer within me.

Even if people, including myself, intentionally try to change something (the outside environment), I think that in many cases, it ends up in vain.
In an environment where society, politics and the economy are entangled, it is incredibly important to change it.
Even if we collect a very large amount of energy and make full use of it, there are still more powers than that, and in the first place it is difficult to collect such a large amount of energy.

Somehow I feel now that the "natural outcome" is only going in the right direction.
Looking at the changes in the Earth so far, even if there was something "catastrophic" on the way, what was beyond it could only be "natural reviving".
I believe that a civilized society of up to thousands of years can destroy the environment in which they live, but cannot destroy the life of nature for 4.5 billion years.
Unsustainable civilizations are limited.
But what comes after it can only be sustainable civilization?
And probably, you're already starting to get there.
The feeling is "What's up, let's just leave it to nature."
I do work around me.
"Why, that's enough. Good, good. Let's do it at your own pace."
I think this is around this time.

剪定枝のマルチングについて 2019 冬



剪定作業の際に、業者は切った枝葉を持ち帰り、ゴミとして焼却処分する事が多いと思います。
民間処理業者の中には、剪定枝を堆肥にしてリサイクルする所もあります。
また農家さんでも堆肥づくりに使うために持ち込みをさせてもらえる所もあります。

できれば剪定で出た枝葉は化石燃料を使って焼却処分せずに、堆肥や燃料(薪)としてリサイクルできれば環境にも優しいと考えています。

いちばん良い方法としては剪定枝をその場でマルチング材として利用する事だと思います。
枝葉の持ち出し経費を削減できますし、土づくりにもとても良い資材となるからです。

草も何も生えていない剥き出しの土の状態の場合、何が起きるかというと、有機物不足になり、雨に叩かれて土が細粒化し、泥水が出来やすくなります。
傾斜地の場合は土の流出が降雨のたびに起こり、崖崩れなどの原因にもなります。
平地の場合では、表面の細粒化した土が泥膜をつくり、水溜りができやすくなり、水の浸透性も悪くなり、そこに生える植物は水切れを起こしやすくなります。
また、土が細粒化するため、微生物の生活数も少なくなります。

さらに生産者(草)や分解者(虫)が居ない事により土がどんどん痩せて行き、生態系の分断が起こります。
木は本来、草や虫や土壌の中の微生物と太古の昔から現在も共生関係にあります。
自分の落とした落ち葉や枯れ枝を分解者(ダンゴムシやゲジゲジなど)が分解し、さらにそれを微生物が分解して、初めて植物が養分として吸収できる状態になります。人間の腸内細菌の役割を土壌の微生物が担っている訳です。
ですので微生物をはじめ、これらの分解者が居ない土壌では、木は大地からの栄養分を取り込むことはできません。

何もない土の上に生えている木(日本の庭木)の場合、水不足と栄養不足(飢餓状態)になり、本来の健康を保つ事は難しくなります。
「地力のある土」とは多様な生き物が沢山生活している土の事です。 またそれは人間の腸内環境そのものだと言えます。



落ち葉が堆積し、草が生えている環境では多様な生き物が生活します。
蜂などの昆虫は分解者としてだけではなく、受粉の役割もあり、植物の繁栄のための重要なパートナーです。彼らが居なくては森は形成されませんでしたし、実も種もできない事になります。
アリはシロアリの天敵で、アリに見つかるとシロアリはひとたまりもありません。
その他の昆虫も小動物を含めた生態系の維持のための不可欠な存在です。
芋虫や毛虫はその殆どが他の昆虫や鳥や小動物の餌となります。
健全な生態系が機能している環境では毛虫などの大量発生はあり得ない事柄です。
草や虫と共生している環境には自然と他の小動物などの生き物も集まる様になります。

この様に、庭木を健康や環境に有害な農薬や化学肥料を使わずに維持管理するには、小さな生態系を維持する事が最も大切な事だと考えています。
生態系循環が適切に機能していると、自然はそのままの機能を正常に発揮して「何も持ち出さない、何も持ち込まない」状態で「必要なものは自然とそこに集まり、それがお互いに機能し合い、相乗効果を保って環境と健康を維持できる」ようになります。


見た目について

枝葉を庭木の周囲に敷き込んでいる光景は殆ど見る事はないと思います。
弊社のお施主様方にはその事を受け入れて頂き、ご理解して頂ける事を深く感謝致します。本当にありがとうございます。

とは言え、普段目にしない光景であり、まだ青い枝葉が敷いてあると「散らかっている」ような感じがすると思います。
その事はとてもよくわかります「違和感」があるという事だと思います。
実はこの事についてご理解いただく事はとても苦労している点でもあります。

対策として、例えば市販のマルチング材を上から被せるようにすれば、一般的な景観にはなると思います。
しかし、今後毎年、剪定枝をマルチングして行くとなると、その度に市販のマルチング材の費用や施工費という経費がかかる事になります。
しかも市販のマルチング材は針葉樹の皮などで出来ていて、形状は違いますが、枝葉と同じ有機物ですので、いずれ分解されて土に返ります。

山に登山に行かれたり、温泉地に旅行に行かれたりすると、山の斜面には落ち葉や枝が分厚く堆積しているのを見る事があると思います。
自然風景の写真などを見ても、木のある風景には必ず枯れた枝葉が落ちています。もしそれが無いとすれば、それは「管理された風景」だと思います。
自然の風景の中の枯れ枝や落ち葉は、それに違和感を感じる事なく、風景に馴染んでいます。

庭に剪定枝をマルチングした場合、はじめは「違和感」のある光景だとは思いますが、そのまま観察していると、だんだんと色が変わり、枝葉がしんなりとして来て、体積も小さくなって、徐々に地面に馴染んでくる事に気付かれると思います。
そしてそれは、いづれ跡形もなく土に返ります。
豊かな土になればなる程、その分解スピードは早くなって行きます。
自然の有機物は「風化」と「分解」により自然に馴染むようになって行きます。 この事自体が「生態系」という自然の循環システムであり、最も基本的な生命の循環サイクルだと考えています。

もしも、そういう変化や自然に馴染む様子などを受け入れて頂ける様でしたら、マルチング材など余計な経費をかけずに維持管理できるかと思います。

経済や社会が近代化するに連れて人の意識の中から「生態系循環」という概念が失われて来たと感じます。
自分自身、もしも子供の頃から都会で育ち、全く自然と触れないでいたとしたら、そういう概念は持てなかったかもしれません。
しかし、幸運な事にうちは農家であったため、田植えや稲刈りなども経験しましたし、実家には庭があって庭木が沢山植えられていました。
そんな環境で遊んだりしていると、枯れ葉や枯れ枝がだんだんと土に還っていくのを日常的に見ていました。

大人になり、社会のシステムが理解できるようになると、「経済」というシステムが、この環境と社会に大きく影響していると気づきました。
街中はアスファルトとコンクリートで固められ、河川もコンクリート張りで固められ、都会の中で生き物の姿を見る事は困難になりました。
経済と効率を最優先させた結果、環境も社会も現在のようになっていると思います。

人の感覚も枯れ枝や落ち葉は「ゴミ」だという感覚が固定化され、それは「資源」です、という意見は、なかなか受け入れて頂けない事もあります。
「固定観念」というもの自体が社会や経済の影響を大きく受けて作り上げられたものだと思います。
時代と共に「常識」というものは移り変わります。
これからは、経済や効率、最優先の社会から、自然の豊かさや気持ちの豊かさが優先される社会に変わっていくのだと思っています。

皆さんのお庭とのお付き合いの参考になれば幸いです。






When pruning, the traders often bring back the cut leaves and incinerate them as garbage.
Some private processors recycle pruned branches into compost.
There are also places where farmers can bring in compost for use.

If possible, we do not use fossil fuels to incinerate the leaves and leaves that have been pruned. We believe that if we can recycle them as compost or fuel (firewood), we will be environmentally friendly.

I think the best way is to use the pruned branches as mulching material on the spot.
The cost of taking out foliage can be reduced, and it is a very good material for making soil.

In the case of bare soil where no grass is growing, what happens is that there is a shortage of organic matter, the soil is hit by rain and the soil is finely divided, and muddy water is easily formed.
In the case of sloping land, soil runoff occurs each time it rains, which may cause cliff collapse.
In the case of flat terrain, fine-grained soil on the surface forms a muddy film, making it easier for water to accumulate, poorer water permeability, and the plants that grow there are more likely to drain.
In addition, because the soil is finer, the number of living microbes decreases.

In addition, the absence of producers (grass) and decomposers (insects) causes the soil to become thinner and thinner, causing ecosystem fragmentation.
Trees have a long history of symbiosis with grass, insects and microorganisms in soil since ancient times.
Decomposers (such as dung beetles and gegegeji) decompose fallen leaves and dead branches that have been dropped, and microorganisms decompose them before they can be absorbed by plants as nutrients. Soil microorganisms play a role in human intestinal bacteria.
Therefore, in soils free of these decomposers, including microorganisms, trees cannot take up nutrients from the ground.

In the case of trees growing on clear soil (Japanese garden trees), water shortages and nutrient deficiencies (starvation) occur, and it is difficult to maintain their original health.
"Ground with soil" is the soil where many creatures live. It can be said that it is the human intestinal environment itself.



A variety of creatures live in an environment where fallen leaves are deposited and grass is growing.
Insects such as bees not only act as decomposers, but also play a role in pollination, and are important partners for plant prosperity. Without them, forests would not have formed, and neither fruit nor seed would be possible.
Ants are the natural enemy of termites, and when they are found there are no termites.
Other insects are also essential for maintaining ecosystems, including small animals.
Most caterpillars and caterpillars feed on other insects, birds and small animals.
In an environment where a healthy ecosystem is functioning, catastrophic outbreaks cannot occur.
Environments that live in harmony with grass and insects also attract nature and other small animals.

In this way, to maintain and maintain garden trees without using pesticides or chemical fertilizers that are harmful to health and the environment, we believe that maintaining a small ecosystem is the most important thing.
If the ecosystem circulation is functioning properly, nature will function normally as it is, and "need nothing, bring nothing", and "necessary things will naturally gather there, Work together to maintain synergy and maintain the environment and health. "


About appearance

I don't think you will ever see a scene with branches and leaves laid around the garden tree.
We thank our owners for accepting and understanding. thank you very much.

That said, it's an unusual sight, and I think it feels "scattered" if there are still blue branches and leaves.
I understand that very well.
In fact, it is very difficult to understand this.

As a countermeasure, for example, if a commercial mulching material is applied from above, it will be a general landscape.
However, every year when mulching pruned branches, the cost of commercial mulching materials and construction costs will increase each time.
Moreover, commercial mulching materials are made of conifer bark, etc., and differ in shape, but they are the same organic matter as the leaves and foliage, so they will eventually be decomposed and returned to the soil.

When you go on a mountain climb or go on a trip to a hot spring, you may see thick leaves and branches piled up on the slopes of the mountain.
Even if you look at pictures of natural scenery, dead branches and leaves always fall on trees. If not, I think it is a "managed landscape".
Dead branches and fallen leaves in the natural landscape are familiar with the landscape without feeling uncomfortable.

If you mulch pruned branches in the garden, you may think that it is a scene with "uncomfortable feeling" at first, but if you observe it as it is, the color gradually changes, the branches and leaves come in softly, the volume decreases, You will notice that it gradually adapts to the ground.
And it returns to the soil without any trace.
The more soil you have, the faster it will break down.
Natural organic matter becomes naturally compatible with "weathering" and "decomposition". I think that this is the natural circulation system called "ecosystem", which is the most basic cycle of life.

If you can accept such changes and how they adapt to nature, I think it will be possible to maintain and manage them without extra costs such as mulching materials.

As the economy and society modernize, I feel that the concept of "ecosystem circulation" has been lost from human consciousness.
If you grew up in the city from childhood and never touched nature at all, you might not have been able to have that concept.
Fortunately, however, I was a farmer, so I experienced rice planting and rice harvesting, and my parents' home had a garden with lots of garden trees.
When I was playing in such an environment, I would regularly watch dead leaves and dead branches gradually return to the soil.

As I grew up and became able to understand the social system, I realized that the "economic" system had a significant impact on this environment and society.
The city was hardened with asphalt and concrete, and the rivers were hardened with concrete, making it difficult to see creatures in the city.
As a result of giving priority to economy and efficiency, I think the environment and society are now as they are now.

The feeling that dead branches and fallen leaves are "garbage" is fixed, and the opinion that it is a "resource" is not always accepted.
I think that "fixed ideas" were created by the influence of society and the economy.
"Common sense" changes with the times.
From now on, I believe that the economy, efficiency, and society of the highest priority will change to a society where the richness of nature and the richness of feelings are prioritized.

I hope it will be helpful for your relationship with your garden.

お庭の改装工事@神戸市北区



神戸市北区のお庭で改装工事のご依頼をいただきました。

広さとしては、とても一般的なスペースが確保されています。駐車場と、その横の門をくぐり階段を上ると植栽部分がアプローチを挟んで設けてあり、裏庭へと続くアプローチを抜けると家庭菜園がありました。



階段を上った左側のメインの植栽部分は色々と増え過ぎたり、株が大きくなり過ぎたりしていてスペース的には少しごちゃごちゃとした雰囲気でした。
余裕があれば何も問題無いのですが、見た目的にももう少しスッキリしたい感じです。


階段右側にはキンモクセイが丸く玉刈りにされていて、よくある感じに整えられていましたが、問題無ければもう少し大きく自然形に仕立てて行きたいところです。



門の横には立派な門担ぎの松の枝が仕立てられていました。
風景としては良い感じですが、傘などが当たる様ですので、この枝は切ることになりました。



先ずは剪定作業と植栽植物の整理から始めます。
キンモクセイは自然形に向けて枝を抜き、全体的にばらけさせて行きます。解いていくという感じ。
枝先をおさえると勢いを抑えられますが、この木はもう少し伸ばしてあげたいと思います。



初めは小さな株だったヒペリカムは株も大きくなり、圧迫感が出ているので、掘り上げて株を小さくし、鉢植えにします。


切り詰めると株が大きく成長しているのがわかります。


掘り上げ完了。



ヤブランなども増えすぎているので少し数を減らします。



その他いろいろと風通し良く剪定と整理をしながら刈り草と剪定枝は地面に敷き込みます。
右手の菜園の畝もこの後生かしておきます。
周りを囲んでいた木の柵も撤去しました。
地面に敷かれている平板もこの後撤去します。





お隣りとの目隠しに植えられているヒイラギも剪定して枝を根元に敷き入れます。





平らな地面に高低差をつけて雨の浸透性を良くします。
炭や枝葉を使って虫の目線で見た時に険しい山脈地帯の様にして行きます。



玄関横のヒイラギがかなり傷んでいるので、この後、植栽部分を囲んでいる石組みのコンクリートを破り、根元に縦穴を開けて行きます。

剪定整理を進めながら太陽光と風と雨の通りを良くして行きます。
傷みが出る原因としては、そこが停滞している事が挙げられます。
浸透性が悪かったり、風通しが悪かったり、光が入らなかったり。
循環を正常にしてやると環境は自らの治癒力を発揮して、自然の要素と互いに関連し合い、健全な方向性に向かいます。

庭の管理も含めて、改装や新たに設計する場合は、自然の循環を滞らせないような工夫が必要だと思います。





丸く石組みで囲まれた植栽部分はコンクリートの目地を取り水が抜けるようにします。
硬く締まった土の上にコンクリートで囲んでしまうとプールのような状態になり、停滞が起こります。



外した目地の所に枝葉を差し込み、大まかな土留をして、土をかぶせ、地被植物を植え込みます。
今回はイワダレソウを植えましたが、芝生やワイルドストロベリーなどでも良いと思います。



イワダレソウはその名のとおり岩の間から垂れるように植えつけてやると、数年かけて周囲にどんどん根を伸ばして石組みととても良い感じになります。
春頃から夏の間には小さな白花をつけるのでとても可愛いです。楽しみですね。



石を組み直して縦穴を通し、炭や枝葉を敷き詰めて土の中の微生物を増やして活性化させる下ごしらえをします。
これらの作業はみな、この微生物の活性化が目的です。
微生物そのものを土に混ぜる方法もあるようですが、浸透性を確保して、枝葉を敷き草を抜かずに管理して行けば表面から徐々に土の団粒化が進み、特別な事をしなくても「そこにあるもの」だけで微生物は育めます。
微生物が増えると地面に敷かれた枝葉の分解も早くなって行き、自分の敷地で実験していますが、5年以上そうやって土を育てていくと夏場の剪定枝の場合、2週間ほどで形がなくなります。
気がつくと、剪定枝は「どこに行ったの?」という状態です。



庭全体にこの様な分解機能を保たせてやると、それ自体が生物循環の生態系機能の土台になります。
微生物や虫などの分解者、草木などの生産者、小動物などの捕食者、そこに人間などの高次消費者が生活します。




土の中の微生物は、増えて行けばひとすくいの土の中に億や兆という単位で生息する様になります。
まさに天文学的数字です。



余談ですが、目に見えない微生物はどんなに環境が過酷になっても生き残り、次の環境に適応して、新たな生態系をつくっていくのでしょうね。
人間の身体も45%程(諸説あり、50%以上とも90%という説も。個体数)は微生物やウイルスで出来ているようです。
約半分くらいは自分以外の生物と共生しながら生きている事になりますね。



さらに言うと、人間などの複雑な動物はそれらの自分以外の生物と共生していなければ生きることが出来ません。消化や免疫など生命維持に大切な事は、それらの生物と更に自分の外の環境の生物たちの助けが無ければ成り立たないようになっているのが生態系です。



目に見える複雑な動物が生きるためには目に見えない小さな微生物が生きられる環境を保つ事が大切だと思います。



裏庭です。



レンガ造りの植栽部分を撤去して、アプローチからの動線と風の通りを良くします。



敷地のコーナーに何か抜けの悪い構造物があると風の通りも阻害して気分的にも圧迫感が出ます。



コーナーを開けて、隣の擁壁と側溝に添わして畝を造り、蔓ものの野菜をつくる時は擁壁に支柱を立てかけて這わせられるようにしました。



側溝の土や草は全てを取らずに風通しだけ確保して残します。
体積した土に草が根を張り、ここにも微生物の棲家が出来ています。



流れの下流に枝とレンガで土留をして、流れ出る土を止める工夫をします。
メンテナンスも容易に出来ますし、コンクリートの側溝が小さなビオトープの機能も有すようになります。
全てを作り込まなくても、自然の成り行きで、微生物も含め小さな生物がそこに居場所を見つけます。

また余談になりますが、街中のコンクリート張りのドブ川も土や枝や石を入れて有機的な環境にしてやると、そこに生き物が生息する様になり、水も微生物で分解ろ過されて、現状の雑菌と腐敗ガスで良くてボウフラか、もしくは何も生きられないような排水溝もメダカやドジョウが居るような生きた環境になるのではないかと思います。



何かを大きく模様替えしたり、何かの設備をつくった訳でもありません。



そこにある環境の風と水と生物の循環を改善して、その機能を維持できるように、そのやり方をお伝えさせて頂きました。



お施主様とは、そんなに話し込んだ訳ではありませんが、要点をお伝えさせて頂くと、とても良く理解して頂きました。



少し前まで、自分の仕事に関しては説明するのに大変な苦労をしていました。
一回の打ち合わせに5〜6時間かかる事もしばしばありましたし、それでもすんなりと理解して頂くのは難しい状況が多くありました。



最近は違います。良いご縁を頂いているのだと思いますが、一つの説明でその深い真意も察して頂いているような気がします。



「大切な事」という価値観は人それぞれ違うとは思いますが、何に価値を見出すのか、そのポイントを理解して頂ける事に本当に感謝します。



階段の割れたコンクリートの隙間にイワダレソウを植え込んで、花が咲くのを楽しみにして頂けること。

本当に嬉しいです。
楽しく作業させていただきました。
ありがとうございました。






We received a request for renovation work in the garden of Kita-ku, Kobe City.

As for the area, a very general space is secured. Going through the parking lot and the gate next to it, going up the stairs, there was a planting part across the approach, and there was a home garden after passing the approach to the backyard.



The main planting part on the left side of the stairs was too much and the stocks were getting too big, and the space was a little messy.
If you can afford it, there is nothing wrong, but I want to feel a little more refreshed for the purpose.


On the right side of the stairs, the cypress was rounded and trimmed in a common way, but if there is no problem, I would like to make it a little larger and natural.



Next to the gate was a fine pine branch carrying a gate.
Although it looks good as a landscape, it seems to be hit by an umbrella, so I decided to cut this branch.



Start with pruning and organizing the planted plants.
Kinmokusei will pull the branches toward the natural form and let them loosen as a whole. Feeling to solve.
You can suppress the momentum by holding down the branches, but I would like to extend this tree a little more.



Hipericam, which was a small stock at the beginning, is also growing, and there is a feeling of pressure, so we dig it up to make the stock smaller and plant it in pots.


If you cut it down, you can see that the stock has grown greatly.


Completed digging.



Since the number of Yablanc is increasing too, reduce the number a little.



Pruning grass and pruning branches are laid on the ground while pruning and organizing in a variety of ways.
I will keep the vegetable garden on my right hand side after this.
The wooden fence that surrounds it has also been removed.
The flat plate on the ground will also be removed after this.





Prunes the holly planted in the blindfold with the neighbor and lays the branch at the base.





Improves rain permeability by creating a level difference on flat ground.
It looks like a rugged mountain range when looking at insects from charcoal and branches.



The holly beside the entrance is quite damaged, so after this, we break the stone concrete surrounding the planting part and open a vertical hole at the base.

We will improve the streets of sunlight, wind and rain while pruning.
The cause of the bruise is that it is stagnant.
Poor permeability, poor ventilation, or no light.
When the circulation is normal, the environment exerts its own healing power, interacts with natural elements, and heads for a healthy direction.

I think that it is necessary to devise measures that will not slow down the circulation when renovating or designing new designs, including management of the garden.





The planted part surrounded by a stone frame will take concrete joints and allow water to drain.
If it is surrounded by concrete on hard soil, it becomes like a pool and stagnation occurs.



Insert the branches and leaves into the joints that you removed, make a rough earth retaining, cover the soil, and plant the ground cover plants.
This time I planted Iwadaresou, but I think it can be a lawn or wild strawberry.



As the name suggests, Iwadaresou can be planted so that it hangs down between rocks.
It is very cute because it adds a small white flower from spring to summer. I'm looking forward to it.



The stones are reassembled, passed through the vertical holes, and charcoal and branches and leaves are spread to increase the microorganisms in the soil and activate them.
All of these tasks are aimed at activating this microorganism.
There seems to be a way to mix the microorganisms themselves with the soil, but if you keep the permeability, spread the branches and leaves and manage without removing the grass, the soil gradually aggregates from the surface, doing special things. Even without it, microorganisms can be nurtured by just “there”.
When microorganisms increase, the decomposition of branches and leaves laid on the ground also accelerates and we are experimenting on our own site, but if you grow soil like that for more than 5 years, in the case of pruned branches in the summer, about 2 weeks With no shape.
When you notice, the pruned branch is "Where did you go?"



If such a decomposition function is maintained in the whole garden, it becomes the foundation of the ecosystem function of the biological cycle itself.
Decomposers such as microorganisms and insects, producers such as plants, predators such as small animals, and higher consumers such as humans live there.




If the number of microorganisms in the soil increases, they will live in billions of trillions of trillions of soil.
It is an astronomical number.



As an aside, invisible microorganisms will survive no matter how severe the environment is, and will adapt to the next environment to create a new ecosystem.
About 45% of the human body seems to be made of microorganisms and viruses.
About half of them will live symbiotic with other creatures.



Furthermore, complex animals such as humans cannot live unless they live in harmony with other creatures. What is important for life support, such as digestion and immunity, is the ecosystem that cannot be built without the help of those living organisms and the living organisms outside of them.



I think it is important to maintain an environment in which small invisible microorganisms can live in order for living and complex animals to live.



It is a backyard.



Remove the brick planting area to improve the flow and wind path from the approach.



If there is a bad structure in the corner of the site, it will block the wind and give you a feeling of pressure.



I opened a corner and made a bowl along the retaining wall and the side groove next to it, and when making vegetables for the vine, I made it stand on the retaining wall to make it stand.



Keep all the soil and grass in the ditch without leaving any air.
Grass grows on the volume of soil, and there is a microorganism house here.



The earth is settled with branches and bricks in the downstream of the flow, and the idea is to stop the flowing soil.
Maintenance is also easy, and the concrete gutters have the function of a small biotope.
Even if you don't make it all, small creatures, including microorganisms, will find their place.

In addition, as an aside, if you put soil, branches and stones into the organic environment of the concrete-lined Dobu River in the city, creatures will inhabit there, water will be decomposed and filtered by microorganisms, I think that the current miscellaneous bacteria and spoilage gas are good and that it is a bouura, or the drainage ditch that can't live in anything becomes a living environment with medaka and loach.



It does not mean that something has been redesigned or that any equipment has been created.



I told you how to improve the circulation of the wind, water and organisms in the environment, and maintain the function.



I did not talk so much with the owner, but when I gave you the point, I understood it very well.



Until a while ago, I had a hard time explaining my work.
It often took 5-6 hours for a single meeting, but there were still many situations where it was difficult to understand easily.



It ’s different recently. I think that you have a good relationship, but I feel that you have also been able to see its deep intent in one explanation.



I think that the value of “important things” is different for each person, but I am really grateful for understanding the point of what the value is found.



You can look forward to the flowers blooming by planting sardine in the cracked concrete gap of the stairs.

I'm really happy.
I worked happily.
Thank you very much.

ナチュラルガーデン お茶会 2019・10



10月も終わりのある平日、大阪のお客様のお庭で小さなお茶会を開催させて頂きました。

前日の雨もあがり、とても良い天気の中、主催のオーナーさまから、集まって頂いた皆さんにランチとお茶を振る舞っていただき、僕もハーブ入りの美味しい紅茶を頂きました。
ヴィーガンのため、ランチはご一緒できませんでしたが、こういう時はこだわりを置いておいて、ご一緒させて頂いた方が良かったかと、少し思っています。
何かに執着し過ぎるのも、あまり良くないかも知れませんね。

皆さんがランチをしている間、お庭のメンテナンスを少しする事ができました。
以前頼んでいた植木屋さんにチョンチョン(短く)に剪定されていて、あまり好みではないとの事で「森のようにしたい」というお施主様の想いがあって、「なるべく木を切らずに、今は枝を伸ばしましょう」と提案させていただき、それからしばらく、ほぼ放置していた感じでした。

タイサンボクと梅の木は少し剪定させて頂いていましたが、その他の木は、生垣など多少の剪定をご自分でされていた以外は、切りたいのをじっと我慢してもらっていた感じです。

庭仕事がお好きで大抵の事はご自身でされる方ですので、我慢するのはとても忍耐が必要だったかもしれません。
それでもご提案通り「自然樹形」に戻していく方向で忍耐いただき、お庭の雰囲気も始めにお伺いさせていただいた時よりも、とても良い感じになっていました。



剪定枝や刈り草はせっせと地面に敷き込んで頂いていましたし、そのおかげで植栽部分の土はとても良い状態で団粒化していました。
一見すると、ワイルドな感じがするお庭ですが、そのままワイルド(野生)です(笑)。
そしてそれが、なんとも言えないホッとした雰囲気を感じさせてくれます。

あちこちに刈り草や枯れ枝が地面に敷かれ、木の根本ではそれが地面に馴染み、沢山の虫が居て、カタバミなどの野草や実生の木も沢山生えていて、その様相は自然のままという感じですが、そこにちゃんとお施主様の「意図」が加わり、本当に上手く共生してると感じました。
「思い通りにならないです」とおっしゃってはいましたが、それが普通ですね。
「そうですね」と軽く答えさせていただきましたが、自然相手に「思い通りになる」方が変だと思います。何故なら思い通りになるなら、それはもう自然では無いからです。

「好きなもの(園芸品種)」が消えてしまって「嫌いなもの(蔓延る草)」が増えるのは、それも庭からのメッセージとして捉えていただくと良いのではないでしょうか。
つい「好きなもの」に価値があると思ってしまいますが「嫌いなもの」の方が価値がある場合もあります。
環境を良くする為に「わざわざ」生えてきてくれてる草ですので、自然に埋もれてしまう必要はないですが、ストレスに思わずに上手く楽しんで頂けたら良いかと思います。
嫌いな草もよく見ると、とても綺麗だったと気付く事もあります(綺麗では無い草は思いつきませんが)。

大抵の場合、何かを嫌いなのは、それが「自分の意図の邪魔をするから」です。
「こうしたい」というエゴは、それを邪魔するものを嫌いになります。
でもそれは「価値」とは全く無関係なものです。
エゴの邪魔をするものは、それがあってはじめて自分のエゴに気づきます。
「思い通りにならない」事は、そこから学ぶことがあるから起こる事だと思います。
僕も思い通りにならないことだらけです。多くを学べと言われている気がします。
自分のエゴに気づき、自分の事を少し理解して、また外の世界へと目を向けて、それに気づけた事に感謝して・・・。
「いつまで続くのだろう?」と思いますが、果てしない道のりを行くのが本来の目的ならば、ただ進むしかありませんね。



また少し話しがズレました。すみません。

今回のお茶会は、以前僕が通っていたJAZZ教室の関係の集まりでもありました。
主催者さまは同じJAZZ教室の生徒さんです。
そしていつもお庭のメンテナンスをさせて頂いているJAZZ教室の先生ご夫妻と、先生にご紹介いただき、お庭の改装工事をさせていただいた先生のご友人の方との会でした。

嬉しい事に、久しぶりに先生ご夫妻の生演奏が聴けて、すごく感動しました。
教室に通っていた頃は「歌う事」を習うというのが初めてで、とにかく「右も左も分からない」という感じでした。
歌はぜんぜん上手くはありませんが「歌う事」は好きなので、ただ上手くなりたいという気持ちだけで通っていました。
レッスンでは色々な事を教えて頂きました。ボーカリストの気構えとか、声の出し方とか、感情についてなど、本当に様々な方面からご指導いただき、感謝しております。
アメリカで本場のJAZZを修められたプロのミュージシャンご夫妻です。JAZZボーカル、ピアノを習いたい方は是非オススメいたします。

JAZZという音楽は「セッション」の音楽だと思います。
テーマやフレーズを決めてそれを中心に各プレーヤーが様々な個性を持って共演するのが「セッション」だと思います。
多くの昔のJAZZミュージシャン達は、たぶん誰もが物凄く「個性的」で、多くのエピソードも残っています。
そんな個性的な人達の「セッション」は、凄くエキサイティングで面白いものであったようです。
それがまとまって1つの「曲」として完成するのは、とても興味深いものだと思います。

庭の生きもの達の「セッション」もまた興味深いものがあります。
「全く違うもの」どうしが共存する様子はJAZZミュージシャン達の「セッション」と似ているかも知れません。



そこに一つの「生きる」というテーマがあり、それを中心に演奏が繰り広げられます。

演奏者は誰もが「個性的」ですが、誰もがお互いを尊重し合います。
誰かがソロをとりはじめると、その他の演奏者はその後押しをして「全体」を支えます。
ボーカリストが主役という訳でもありません。ボーカル(身体)という楽器の演奏者です。
演奏者は言葉ではなく「音」で会話をしています。言葉を超えた「波動」や「エネルギー」とも言えると思います。

そういう感覚で庭を眺めてみると、木や草花にも「エネルギー」を感じるのではないでしょうか。
難しく考えないで「感じたまま」が答えだと思います。エネルギーは感じるものです。
大きな木を見て感じる感覚がそのエネルギーです。
小さな花を見て感じるものがそのエネルギーです。 誰でも感じるものだと思います。
何も感じない人はいないと思います。
その感じ方で庭を眺めてみてください。
強い感じ、優しい感じ、柔らかい感じ、硬い感じ。
好みとバランス、雰囲気、野性味、意図。
一つの曲が演奏されています。
自分もその「演奏者」です。

「言葉」は必要ありません。
「彼ら」は言葉を話しません。
「思考」も必要ありません。
「彼ら」は思考しません。
「感覚」のみ必要です。

お茶会では、ご参加頂いた方々に、それぞれのご自宅以外のナチュラルガーデンを見ていただけたのが本当に良かったと思います。
何かを感じて頂けたと思います。
「感じる事」は言葉以上の会話だと思います。
庭からのメッセージは、いつも「感じる気持ち」があれば受け取れます。
人間の話など、必要ありません。
テキスト本も必要ありません。

「セッション」です。
ただエネルギーというもので「セッション」が起こっています。
いつも。
いつでも。
演奏は続いています。

庭に吹く風、日の光。
それらも演奏者です。
街の喧騒、ざわめき、時間の流れ、めぐる季節、それらも演奏者です。
それらは庭に影響を与えます。
雰囲気を変え、メッセージをエネルギーで伝えます。

人は誰でもそれを感じる感覚を持っています。
得意、不得意、鈍い、鋭いもありません。
そんな人の能力は、どんな人でも大差はありません。
気持ちと、どこに意識を向けているかの違いだけだと思います。

演奏者は演奏に意識を集中しています。
エネルギーを感じようとしています。

お茶会はそこに集った人間たちだけで開催されたのではありませんでした。
そこに集った人間たちは自分たち以外の生きものとセッションしていました。

「感じる事」は「教えられる事」とは違います。「情報を得る事」とも違います。それらは「好き嫌い」あるいは「損得」というエゴのフィルターを通して感情を刺激します。

この記事を書いている時、一休みしてネットを見ていると、スエーデンの環境活動家のグレタ・トゥンベリさんの英国議会でのスピーチ記事に行き当たりました。
そして、それを批判する記事にも同時に行き当たりました。

グレタさんの事は少し前に「こんな高校生がいる」と聞いていましたが、調べたりせずに「そんな高校生がいるんやな」くらいに思っていました。
必要な事以外、なるべく「情報」には触れずに、自分の「感覚」を大事にしたいからです。
海外では日本と違い、環境問題に対しての意識が高いので、そういう活動家もいるし、運動も起きているとは思っていましたが、彼女のスピーチ記事を読み、それに対しての批判を見てみると「愕然とする」思いがしました。
グレタさんの訴えが正しい、間違いの問題ではなく、環境問題そのものに対する「関心がない」のだと感じました。
または「考えたくない」「知りたくない」「他人事」と思っている、とも感じました。

「何を訴えているのだろう?」「どういう状況に自分達はいるのだろう?」「真実は何なんだろう?」と、そこに向き合う事すらせずに「考える事」を放棄した「無感覚」の状態だと感じます。

「何も感じない」事に慣れ過ぎていて「言って欲しい事」を言ってくれる人に同調する。
「無感覚」「無感情」は深く眠っているのと何も変わりません。
朝起きて、仕事をしたり家事をしたりしていますが、それは身体や五感が心の反応に対応しているだけのロボットみたいなものです。

自分は「深く眠っている」のだと気づけた時に「無感覚」ではいられなくなると思います。

来年は2020年ですね。
環境問題にしても、社会状況にしても、人の意識にしても、どんどん変化がスピードを増して行くと思います。
我々は何処に向かって進んでるのでしょうか?
そろそろ「目を覚ます」時です。
「無感覚」の時代は終わりました。

皆さんを取り巻く環境が良いものでありますように。

次にもしお茶会の機会があれば「瞑想」などしてみても面白いかも知れません。
たぶん、もっとリアルに何かを感じる事ができるかも知れません。
すごく良い事を思いついてしまったかも知れないです。
楽しみです。

お茶会、ご参加の皆さま、ありがとうございました。
主催のWさま、色々とご準備ありがとうございました。
御礼申し上げます。






A small tea party was held in the Osaka customer's garden on a weekday that ended in October.

The rain of the previous day rose, and the owners gathered for lunch and tea, and I received a delicious tea with herbs.
I couldn't have lunch together because of vegan, but I was a little wondering if it was better to stay with me at this time and stay with me.
It may not be so good to be too obsessed with something.

I was able to do a little maintenance of the garden while you were having lunch.
The owner, who had been asking for before, was pruned into short (short), and he said that he did not like it so much that he wanted to make it like a forest. Now, let's extend the branch. "

I had a little pruning of Thai Sambaku and Plum trees, but the other trees seemed to endure the things I wanted to cut, except for some pruning myself, such as hedges.

I like garden work and most of the work is done by myself, so it might have required patience to endure.
However, as I suggested, I was patient in the direction of returning to the “natural tree shape”, and the atmosphere in the garden was much better than when I first visited.



The pruned branches and cut grass were laid on the ground, and the soil in the planted area was agglomerated in a very good condition.
At first glance, the garden feels wild, but it is wild as it is (laughs).
And that makes me feel relieved.

Mowed grass and dead branches are laid on the ground, and the roots of the tree are familiar with the ground, there are many insects, wild grasses and seedlings such as kathami grow, and the appearance remains natural I feel that the owner's “intention” was added to it, and I felt that I was really well symbiotic.
You said, “It does n’t go as you want,” but that's normal.
I answered “Yes” lightly, but I think it's strange to be “natural” with the other person. Because it is no longer natural if you get it.

It may be a good idea to see the message from the garden as “favorable things (horticultural varieties)” disappear and “dislikes (spread grass)” increase.
You may think that “what you like” is more valuable, but “what you don't like” may be more valuable.
It is a grass that has been grown “intentionally” to improve the environment, so it is not necessary to be buried in nature, but I hope you can enjoy it without thinking of stress.
If you look closely at the grass you hate, you may find it very beautiful (although you can't think of a grass that is not beautiful).

Most of the time I hate something because it "does disturb my intentions".
The ego “I want to do this” hate things that disturb it.
But it has nothing to do with “value”.
Anything that disturbs the ego will only notice its ego.
I don't think it happens because there is something to learn from it.
I'm full of things that don't go as expected. I feel like learning a lot.
Thank you for noticing your ego, understanding a little about yourself, turning to the outside world, and realizing it.
I think, "How long will it last?" But if the original purpose is to go on an endless path, there is no choice but to proceed.



There was a slight misunderstanding. I'm sorry.

This tea party was also related to the JAZZ classroom I used to attend.
The organizers are students from the same Jazz classroom.
It was a meeting with Mr. and Mrs. JAZZ classroom teachers who always maintain the garden and friends of the teacher who introduced the teacher and renovated the garden.

Fortunately, I was impressed to hear the live performances of the teachers and their wife after a long time.
When I was in the classroom, it was my first time to learn “singing” and it was just like “I don't know right or left”.
Singing isn't good at all, but I like singing, so I just went there because I wanted to be good.
I learned a lot from the lesson. I am grateful for the guidance from various aspects such as the attitude of vocalists, how to speak, emotions, etc.
Mr. and Mrs. professional musicians who have studied authentic Jazz in the United States. JAZZ vocals and those who want to learn piano are definitely recommended.

I think that the music called JAZZ is a “session” music.
I think the “session” is to determine themes and phrases and to have each player perform with different personalities.
Many old JAZZ musicians are probably all “individual” and many episodes remain.
The “sessions” of such unique people seemed to be very exciting and interesting.
I think it is very interesting that it is completed as a single “song”.

The “sessions” of the creatures in the garden are also interesting.
The situation where “totally different things” coexist may be similar to the “session” of Jazz musicians.



There is a theme of “living”, and the performance is developed around it.

All performers are “unique”, but everyone respects each other.
When someone begins to solo, the other performers then push to support the “whole”.
The vocalist is not the leading role. He is a vocalist (body) instrument player.
The performers are talking in “sounds” rather than words. I think it can be called “wave” and “energy” beyond words.

If you look at the garden like that, you may feel “energy” in trees and flowers.
I think the answer is “just feel” without thinking difficult. Energy is what you feel.
The sensation of seeing a large tree is its energy.
The energy you see when you see a small flower. I think it's something everyone feels.
I don't think anyone will feel anything.
Please look at the garden in that way.
Strong feeling, gentle feeling, soft feeling, hard feeling.
Taste and balance, atmosphere, wild taste, intention.
One song is being played.
I am the “performer”.

"Words" are not necessary.
“They” do not speak.
There is no need for "thinking".
“They” don't think.
Only “sense” is required.

I think it was great that the owners could see the natural gardens outside their homes at the tea party.
I think you could feel something.
I think “feeling” is more than a conversation.
You can always receive messages from the garden if you feel “feeling”.
There is no need for human stories.
No text book is required.

"Session".
However, there is a “session” in energy.
Always.
anytime.
The performance continues.

Wind blowing in the garden, sunlight.
They are also performers.
The bustle of the city, the buzz, the flow of time, the seasons around, are also performers.
They affect the garden.
Change the atmosphere and convey the message with energy.

Anyone has a sense of feeling it.
There is no goodness, weakness, dullness, and sharpness.
There is no big difference in the ability of such people.
I think it's just the difference between feelings and where you are conscious.

The performer concentrates on the performance.
I am trying to feel energy.

The tea party was not held only by the people who gathered there.
The people gathered there had a session with creatures other than themselves.

“Feeling” is different from “Teaching”. It is also different from “getting information”. They stimulate emotions through ego filters of “like and dislike” or “loss”.

When I was writing this article, I took a break and looked at the net, and I came across a speech article in the British Parliament by Swedish environmental activist Greta Tumberg.
At the same time, I found an article criticizing it.

I heard about Greta-san a long time ago, “I have such a high school student,” but I did n’t look into it.
This is because I want to cherish my “sense” without touching “information” as much as possible.
Overseas, unlike Japan, there is a high awareness of environmental issues, so I thought there were such activists and movements, but I read her speech article and saw criticism of it. When I looked at it, I felt “stunned”.
I felt that Greta-san's appeal was “not interested” in the environmental problem itself, not the right problem.
Or I felt that I didn't want to think, didn't want to know, or thought about other people.

“What are you complaining about?” “What situation are they in?” “What is the truth?” Abandoned “Thinking” without facing them. I feel that it is "insensitive".

Engage with people who are too used to "I don't feel anything" and say "What I want you to say".
“Senseless” and “feelingless” are no different from sleeping deeply.
I wake up in the morning, work and do housework, but it is like a robot whose body and senses respond to the reaction of the heart.

When you realize that you are "sleeping deeply", you can't be "insensitive".

Next year is 2020.
Regardless of environmental issues, social conditions, and human consciousness, I think the speed of change will increase.
Where are we going?
It's time to “wake up”.
The era of “insensitivity” is over.

I hope that the environment around you is good.

Next, if you have a tea party, it might be interesting to try “meditation”.
Maybe you can feel something more realistic.
You may have come up with a really good thing.
I'm looking forward to it.

Thank you very much for the tea party.
Thank you very much for your preparations.
Thank you very much.

2019・10 お茶会メルマガ ナチュラルガーデンへの誘い その6 「思い込み」と「心の声」〜



お茶会メルマガ 第6回目です。

7〜8回の予定でしたが、当日までに文章が間に合いそうもありませんので、これで今回のメルマガは終了とさせていただきます。よろしくお願いいたします。 あとは当日、お届けできなかった分は、ご希望があればお伝えしたいと思います。


「思い込み」と「心の声」

先月から今月にかけて、ありがたいことに、ご新規さまからのお仕事のご依頼が増え、自分の庭に対しての考え方をお話しさせていただける機会を多く頂きました。
「庭の手入れ業者を探していて」という感じで、あまりうちの庭へのこだわりを知らない方からのご依頼もありましたが、剪定枝をマルチング材として使うことや草を抜かずに共生するというお話しをさせていただくと「へー、そうなんですか、なるほどね」とあっさりOKをいただけることが多くなりました。
まだ「すべての現場で」という訳にはいきませんが、先月と今月にご新規さまで入らせていただいた現場では、すべてのお庭でナチュラルガーデンのやり方をご理解いただき、施工させていただいています。
なにか「何か今までとは少し違ってきているな」という感じがします。
テレビやラジオを視聴しないので世間がどういう風な風潮なのかわかりませんが、特にご高齢の方(すみません)以外は、ほぼご理解いただけるようになりました。
ちなみに今、入らせていただいているお庭では、説明の時に、
「剪定枝をマルチングしておくと泥はねも防げるし、土が団粒化して雨の浸透性も良くなります」
「なるほどね」
これだけだったような気がします。
落ち葉や剪定枝は「ゴミ」だという「思い込み」は少し視点をずらして考えると、いとも簡単にそれが「思い込み」であったのだと気づきます。

自分の中での気づきとしては、「思い込み」はお客様にあったのではなく「自分にあった」のかもしれない、ということです。
「解ってもらえないだろうな(解ってもらいたい)」という気持ちは、何か雰囲気としてそれが伝わり、話をしても、理解しがたいという現実を生み出していたのかもしれません。

今の自分の正直な心境は「理解を求めていない」というのが正直なところです。
「ただ伝える」そしてそれに対する反応は「期待しない」というものです。
「すべての人は自分とは違う価値観の中にいる」ということが自分の中でしっくりくる事実ですし「違いがあることが当たり前」だと思います。
ただその中で「共有できる価値観」というものが存在するだけなのだ、というふうに感じています。

一方、社会的な「思い込み」も、自分も含めて全ての人にあると思います。「習慣」「風習」「教育」「メディア」「時代背景」など、子どもの頃から「親」や「学校」「友達」「周囲の大人」「メディア」などから影響を受けて、その周囲の社会環境に則した「思考」を会得していきます。それが集団生活の性と言えるかも知れません。いわゆる「常識」というものです。

「思い込み」と対照的なのが「心の声」だと考えています。あるいは「気づき」と言えるかもしれません。

2017年の内閣府の調査によると、いわゆる「引きこもり」の人口は15歳〜39歳で54.1万人。40歳〜64歳では61.3万人。
100万人以上の方が学校や社会に馴染めずにいるということがわかっています。
その100万人以上の方たちは、この現代の「常識」が何か「受け入れがたいものである」と感じているということかも知れません。
「学校に行くのが当たり前」「仕事をするのが当たり前」という「思い込み」は「心の声」に正直にいて、しかも苦しんでいる人たちにとっては辛いことであると思います。
「集団意識」が作り出す「常識」はそれが「正しいことである」という「思い込み」によって自らも辛い思いをし、自己愛を見失ってしまうのだと思います。

自然が綺麗な環境で、水も綺麗で水道水に頼らなくても生活が成り立ち、大気汚染もなく清潔で美味しい空気がどこでもあり、土も豊かで森も豊かな環境は、ほんの数百年前までは現実でした。
江戸時代以前、電気も水道もガスもなく、日本は豊かな文化が開花し、人の糞尿までもがリサイクルされ、畑の肥やしとなり農作物は現在の野菜の7倍という本来の栄養素をたっぷりと含んだ食べ物が人々の食と健康を支えていました。
免疫力も高かったと思います。化学物質もなく、民間療法が主流でしたし、食事自体が病気予防になっていました。

鎖国を解き、西洋文化が流れ込むと時代は明治時代へと移行していきます。
政治、経済が大きく変わり、石炭の発掘もこのころから始まりました。
日本人は自分たちの生活が「時代遅れ」のように感じたのかもしれません。「世界はこんなに進んでいる」という意識を持たされ、それを受け入れたため、現代文明の波が日本にも押し寄せた感じだと思います。
明治文化がもたらしたものは「国家」「教育」「ジャーナリズム」「科学」など、それまでの日本人の価値観を大きく変えるものでした。
特に「国家による教育」は近代文明を受け入れる国民を育成するように「子供」にターゲットを絞った近代文明のシステムだと感じます。
それが後にインフラが整備され、エネルギーを始めとする「衣食住」が全て有料で提供されるようになり「教育制度」によって「仕事に就く」ことが強要される社会へと誘導されて行ったのではないでしょうか。

「常識」は時に意図して誰かが作り上げることもあります。自然発祥の文化ではなく「経済」が優先される社会ではその「常識」は「押しつけられたもの」であり、それに馴染めない「心」もでてきて当然だと思います。

「自分の本心は何を望んでいるのか」 あまりにも情報が多い現代で「コマーシャルメッセージ」ではないものがどれだけあるでしょうか。純粋なアート、意見や主張、オーガニック(無加工)なニュースなどは「コマーシャルメッセージ」に埋もれてしまっているような気がします。

「本心の望み」が何なのか、それは「心の声」が教えてくれることだと感じます。
たとえそれが「常識」とはかけ離れていたとしても、それを押さえつけたり、忘れてしまえば、その今自分がいだいている「望み」は「思い込まされた望み」だと言えると思います。
「心の声」は自分の「本心の望み」をしっかりと思い出させてくれると感じます。
「思い込まされた望み」に向かって自分を生きれば、それは自分の人生ではなく「誰かの人生」です。
「庭」という空間を自分で創ったり、メンテナンスをする際にも、そこに「誰かの意図」が含まれていれば、それは自分の庭だとは言えません。「コマーシャルメッセージ」に誘導された「皆んなとお揃いの庭」が出来上がるだけです。
「選択」という「自由」を本当の意味で「自分自身の選択」にしていきたいと思います。

ナチュラルガーデンへの誘い

頭の中を「ニュートラル」にして「自分の望む庭」を想像してください。「常識」を無視して「誰かの評価」も無視して、心の中でその庭をつくってみてください。
「誰か」の声や意見を聞くのではなく、共に暮らす「植物」の声を聞いてください。
庭にいる植物がどういう個性を持ち、どういう役割を持ち、どんな影響を自分に与え、より良く共生していくためにはどうすればいいのか。
「庭」からのメッセージを受け取ることは「自分の内部との対話」と似ていると思います。
植物は言葉を話しませんが「表情」としてそれを伝えます。
こちらの想いだけでそれを庭に押し付けても、思ったようにならないことの方が多いです。庭からの「メッセージ」を聞き、自分の想いと照らし合わせて、譲るところは譲り、受け入れてもらうところは受け入れてもらう。
その対話の末に出来上がった庭は「自分よがり」だけではなく「環境と共生している自分」という、別の意味で、とても自分らしい庭になっていると思います。 その庭が出来上がった時に「本当の自分の選択」ができたのではないかと思います。

「心の声」は本来の自分の声です。
ナチュラルガーデンはそういう「心の声」から創造される庭環境です。
さらに言えば、うちが提案する庭でさえありません。
「間違い」も「正しい」もありません。
ただ、自分の内面が表に現れた環境です。
一人一人が違う庭を創ると思います。オリジナルな自分だけの庭です。

「環境」はまさに、自分の内面が表に現れた世界だと思います。
庭は自分以外の「種」を超えた生き物と共生していく「小さな自分の世界」です。

昔、世界には人種差別というものがありました。その他にも部族の差別、身分の差別、男女差別、貧富の差別、価値観の差別など、同じ人間同士でその「違い」を意識し優劣をつけていました。
現在でもその感覚はあると思いますが「差別感」を持ったまま生活を続けていくことは、これからの時代、だんだんと難しくなってくるのではないでしょうか。
「私」と「あなた」は違っていて当たり前だと思います。そこに「優劣」はありません。ただ「違い」があるだけです。

「人間」と「微生物」にも「動物」と「植物」にも優劣はないと思います。ただ「違い」があるだけです。
「生態系」ではその全てが必要とされています。何かは何かに影響を与え、関連してバランスを維持しています。全ては「必然」であり無駄はないと思います。

今、我々に問われているのは「種」の差別ではないでしょうか。「人間同士の差別も無くならないのに、『種』の差別なんて」と思うかもしれませんが、「動物や植物は人間よりも劣っているから好きなように扱ってもいい」という意識は、自然の摂理に照らすと「それはそのまま自分たちに返ってくる」ということだと思います。
「生態系」という自然のシステムが「自分たちを生かしてくれている」ということに気づかないことは、自分で自分の足元を壊しているのと変わりありません。

「庭」という、自分と自分以外の命の世界。その世界を大切にする気持ちは、自分を大切にするという気持ちだと思います。
そしてそれが必ず「地球環境」という大きな問題にも波及していくと思います。
皆さんのその世界が素晴らしいものでありますように。


お茶会メルマガ 第6回目をお読みいただき、ありがとうございました。
メルマガはこれで最終になります。

いろいろと思いをお伝えさせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。
自分自身もまだまだ完全に理想的な生活ができているわけではなく、失敗や間違いも多々あります。
知らないことだらけですし、当然ながら環境に負担をかけながらでしか生きていけないのが事実です。
「楽しみながら、できることを手の届く範囲で」これでやらせていただいています。

「楽しみながら」は特に一番大切なのではないかと感じます。
庭に接する時に「楽しみ」がないとそれは「本末転倒」になってしまうと思います。「生活」自体が楽しくないと、生きている楽しみもありません。
自分に余裕があって、それで初めて「その他」を気遣うことができると思います。
庭と接する時に、その辺の「キャッチボール」を庭とできればいちばん理想的なのではないかと思います。
植物は健気な上に寛大だと感じますので、いつも自分たちの間違いや愚かさを受け止めて、許して、癒してくれていると感じます。
自分たちにできることは、それに感謝して、少しだけでもいいので恩返しの気持ちを持つことだと思います。

当日はお時間の都合もありますし、お茶会ですので、一方向からだけでなく、ぜひいろいろなご意見をお聞かせいただければと思います。

では当日お会いできるのを楽しみにしています。
ありがとうございました。






This is the 6th tea party e-mail magazine.

Although it was scheduled 7 to 8 times, the text is unlikely to be in time by the day, so this e-mail magazine will be over. Thank you. I would like to tell you what I could n’t deliver on that day if you wish.


"Belief" and "voice of heart"

From last month to this month, thankfully, the number of new job requests has increased and I have had many opportunities to talk about my way of thinking about my garden.
There was a request from a person who did not know our commitment to the garden because it was like "looking for a garden care provider", but it was possible to use pruned branches as a mulching material and live together without removing grass When I talked about it, “Oh, is that so, I see, it ’s easy”.
It is not yet possible to say "on all sites", but at the sites where the newness was introduced last month and this month, we understand how to use the natural garden in all gardens and we are constructing them. .
I feel that something is a little different than before.
I don't know what the world is like because I don't watch TV or radio, but now I can understand almost everything except those who are elderly (sorry).
By the way, in the garden you are entering now, at the time of explanation,
"Mutting the pruned branches will prevent mud splashing, and the soil will agglomerate to improve rain permeability"
"I see,"
I feel like it was just this.
If you think about the “belief” that fallen leaves and pruned branches are “garbage” from a slightly different perspective, you will easily realize that it was “belief”.

One of the things I noticed in my mind is that the “belief” may not have been in the customer, but may have been “in my own”.
The feeling that “I don't understand (I want you to understand)” was transmitted as an atmosphere, and it may have created a reality that it was difficult to understand even if I talked.

My honest feeling is that I am not seeking understanding.
"I just tell" and the reaction to it is "I don't expect".
The fact that “everyone is in a different sense of value” is a fact that makes me feel comfortable, and I think it is natural that there is a difference.
However, I feel that there are only “values ??that can be shared” among them.

On the other hand, there is a social “belief” in everyone, including myself. “Customs”, “customs”, “education”, “media”, “background”, etc. We will learn “thinking” in accordance with the social environment. That may be the sex of group life. So-called “common sense”.

I think the voice of the heart is in contrast to the belief. Or it may be called “awareness”.

According to a 2017 survey by the Cabinet Office, the so-called “withdrawal” population is 541,000 between the ages of 15 and 39. 613,000 people between the ages of 40 and 64.
We know that more than 1 million people are unfamiliar with school and society.
The more than one million people may feel that this modern “common sense” is something “unacceptable”.
The “belief” that “it is natural to go to school” and “it is natural to work” is honest to the “voice of the heart” and is difficult for those who are suffering.
The “common sense” created by “collective consciousness” seems to be painful and lose sight of self-love by the “belief” that it is “the right thing”.

An environment where nature is beautiful, water is clean and life is possible without resorting to tap water, there is no air pollution, clean and delicious air is everywhere, soil is rich and forest is rich, only a few hundred years ago Until then it was a reality.
Before the Edo period, there was no electricity, water, or gas. Japan's rich culture blossomed, and even man's manure was recycled. The food supported people's food and health.
I think my immunity was high. There was no chemical, folk remedies were mainstream, and the meal itself was disease prevention.

When the isolation is solved and Western culture flows, the era will shift to the Meiji era.
Politics and the economy have changed greatly, and coal excavation began around this time.
Japanese people may have felt that their lives are "out of date". I felt that the world was so advanced, and I accepted it, so I think that the wave of modern civilization has come to Japan.
Meiji Culture brought about a great change in Japanese values ??such as “nation”, “education”, “journalism” and “science”.
In particular, I think that “education by the state” is a system of modern civilization that focuses on “children” so as to nurture people who accept modern civilization.
After that, infrastructure was developed, and “clothing, food, and housing” including energy were all provided for a fee, and the “education system” led to a society where “employment” was forced. it might be.

“Common sense” is sometimes intentionally created by someone. In a society where “economy” is prioritized rather than natural culture, its “common sense” is “impressed” and it is natural that a “mind” that is not familiar with it comes out.

"What do you really want?" How many things are not “commercial messages” in today's so much information? I feel that pure art, opinions and claims, and organic (raw) news are buried in the “commercial message”.

I feel that what the “desired desire” is is the “voice of the heart”.
Even if it is far from “common sense”, if you hold it down or forget it, you can say that the “hope” that you are now in is the “hope”.
I feel that the “voice of the heart” reminds me of my “desired desire”.
If you live yourself toward the “hope that you have envisioned,” it is “the life of someone”, not your life.
Even if you create or maintain a space called “garden”, if it includes “intention of someone”, it cannot be said to be your own garden. All you have to do is create a “Garden with a Match” guided by the “Commercial Message”.
I would like to make “freedom” of “selection” truly “choose my own”.

Invitation to the natural garden

Imagine a “neutral garden” with “neutral” in your head. Ignore "common sense", ignore "someone's evaluation", and try to make that garden in your heart.
Instead of listening to the voice or opinion of "someone", listen to the voice of "plants" living together.
What kind of personality, what role, and what kind of influence the plants in the garden have on me and how can they be better symbiotic?
I think receiving messages from the “garden” is similar to “dialogue with my own”.
Plants do not speak words, but convey it as an “expression”.
There are many things that don't go as you think, even if you push it to the garden with this thought alone. Listen to the “message” from the garden and compare it with your own thoughts.
At the end of the dialogue, I think that the garden that has been created is not only “selfish” but also “myself living in harmony with the environment”, and it is a very unique garden. I think that "the real choice" was made when the garden was completed.

"Voice of the heart" is the original voice.
Natural garden is a garden environment created from such a “voice of heart”.
Furthermore, it's not even the garden we suggest.
There is no “wrong” or “right”.
However, it is an environment where my inner surface appears in the table.
I think each person creates a different garden. It is an original garden only for me.

“Environment” is exactly the world where my inner surface appears.
The garden is a “small one's world” that coexists with creatures beyond the “seed” other than yourself.

In the past, there was racism in the world. In addition, the same person was conscious of the “differences” such as tribal discrimination, status discrimination, gender discrimination, discrimination between rich and poor, and discrimination of values.
I think that there is still a sense of that, but it will become increasingly difficult to continue living with a sense of discrimination.
“I” and “you” are different and it is natural. There is no “superiority” there. There is only a “difference”.

I don't think that "humans" and "microorganisms" are superior to "animals" and "plants". There is only a “difference”.
“Ecosystem” requires all of that. Something affects something and keeps the balance in relation. I think everything is “necessary” and there is no waste.

Isn't it the discrimination of “species” that is being questioned now? You may think that “discrimination of 'species' is not lost, even though discrimination between humans will not disappear," but the consciousness that 'animals and plants are inferior to humans and can be treated as you like' In the light of nature's providence, I think that it will return to us as it is.
Not knowing that the natural system of “ecosystem” is “making ourselves alive” is no different from breaking your feet on your own.

The “garden” is the world of life other than yourself and yourself. I think that the feeling of valuing that world is that of valuing yourself.
And that will surely spread to the big problem of “global environment”.
May your world be wonderful.


Thank you for reading the sixth tea party e-mail magazine.
This is the end of the e-mail magazine.

I was able to share my thoughts with you, but how was it?
I am still not completely able to live my ideal life, and there are many mistakes and mistakes.
It's true that there are so many things you don't know, and of course you can only live while putting a burden on the environment.
“I ’m doing what I can do while having fun.”

I feel that “enjoying” is especially important.
If there is no “fun” when touching the garden, it will be “falling down”. If "life" itself is not fun, there is no joy of living.
I think I can afford it, and that ’s why I can only consider “others”.
I think that it would be the most ideal if we can use the “catch ball” in the garden as a garden when touching the garden.
I feel that plants are lovable and generous, so they always accept their mistakes and stupidity, forgive and heal them.
What I can do is to thank them and have a feeling of giving back because I can do just a little.

There will be time available on the day, and since it is a tea party, I would like to hear from you not only from one direction, but also various opinions.

I'm looking forward to seeing you on the day.
Thank you very much.

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